男子テニスの国別対抗戦、デビスカップ(デ杯)ワールドグループ入れ替え戦の日本―コロンビアが9月18日(金)から20日(日)まで、コロンビアのペレイラで行われ、エースの錦織圭ら日本代表が通算3勝2敗でコロンビアを退け、ワールドグループ残留を決めた。
初めて最年長の主将格として出場した錦織は、3勝のうち2勝を挙げる活躍でチームをけん引。だが一方で彼は、この南米の地である恐ろしい体験をしていたのである。
それは初日のこと。この日最後の試合だった錦織のシングルスは、今にも泣き出しそうな空の下で行われた。なんとか試合終了(錦織がストレート勝ち)まではもったものの、間もなく落雷とともに激しい雨が降り出した。ペレイラは標高1400メートル以上の高地。さらに会場(屋外)はペレイラの中心部から車で30分ほどの山間部にあった。やがて見たこともないような豪雨となり、稲妻が光ってから落雷までの時間がどんどん短くなる。会場は高い木々や照明設備など、いつ雷が落ちてもおかしくないもので囲まれている。
観客が帰った後も、我々報道陣はコートに隣接したメディア用仮設テントの中で作業を続けていた。すでに日は落ちてあたりは真っ暗。テントの屋根を豪雨が叩き続け、数十秒間隔で特大の雷が響き渡る。ゴルフの大会ならとっくにテントから避難させられているところだが、大きなイベントの会場として使用されたことがあまりない場所だったからか、主催者側からは何の指示もない。我々が怯えながらパソコンに向かっていると、急にテント内までもが真っ暗になった。会場付近がすべて停電したのだ。
真っ暗闇の中、点々とパソコンのモニターだけが明かりを放つ異様な光景。豪雨は衰えを見せず、稲光がオカルト映画のようにあたりを明るくしたかと思うと、すぐに地響きのような落雷。この繰り返し。仕事とはいえ、その内に本当にテントに雷が落ち、全員死ぬのではないかと思った。その可能性は十分にあったと思う。しかし慣れているのか、コロンビアの報道陣は変わらぬ表情で作業を続けている。
通常、試合後には選手の記者会見が行われる。だがこの状況では、どこかに避難しているであろう錦織を連れてくるのは無理だろう。私はそう思っていた。会見場はメディア用テントのすぐ横のテント内にあるのだが、ここももちろん停電で真っ暗。第一、ここまで移動してくるのも、しばらくテント内にいるのも危険過ぎる。
世界ランキング6位の日本の宝に何かあったらどうするというのか?
だがコロンビアのメディアは、自国を訪れたテニス界のスターに話をきく貴重な機会を逃したくないようだった。そして、驚いたことに、錦織は来た。もちろん主催者側に連れてこられたのだが、ここは断っても誰も文句は言わなかっただろう。それでも来たのだ。恐怖からか、表情は明らかに強張っている。豪雨の中、暗闇のテントにたどり着き、会見席に座らされる。バッテリーで動くテレビカメラのライトが数個、彼を照らす。遠くからでは明かりが届かないので、いくつかのカメラが錦織の目の前に近づく。会見場のマイクは使えないため、すべての報道陣が錦織の声を拾おうと至近距離に陣取る。錦織を取り囲むようにメディアの輪ができた。これもなかなかの重圧だっただろう。落雷、豪雨は相変わらずだ。
15分程度だったと思うが、錦織は通訳を通してしっかりと質問に答えた。曰く、「とてもタフな3セットだった。高地で球がよく跳ねるので、完ぺきなプレーをするのは難しかったが、大事なところでギアを上げられた」などなど。異常な状況の中、とても怖かったと思うが、立派な態度だった。コロンビアのメディアも感謝していた。
無事に会見は終わり、錦織も我々も帰路に着いた。我々の送迎バスがペレイラ中心部のホテルに到着した時、「生きてて良かった」と心底思った。錦織にとっても、様々な意味で忘れられない海外での試合になったはずである。