霊犀社2

第2霊犀社(元祖第一は、田中逸平主宰の私塾)@霊際社@P。ネタ帳・メモ書きなど、まあガラクタ。嫌疑76件わざと表示拒否中

QWERTY叙事詩。まだ文学的に高まってない段階?これを五七五短歌定型詩にそろそろおり込んでみては?

2009-09-05 18:30:19 | LinkRecords
QWERTY叙事詩、。まだ、文学的に高まっていない段階?これを五七五和歌短歌定型詩に、そろそろ織り込んでみてはどうか?
QWERTY叙事詩。まだ文学的に高まってない段階?これを五七五短歌定型詩にそろそろおり込んでみては?

QWERTYの教訓は、頭でっかちへの戒め:設計主義やら論理的一辺倒やら何らかの”最適化基準”への思い込み、それら頭のいい手を汚さない解決への戒めにむしろあるのではないか。そして、その対抗戦略として、多様性の大切さ、だからこその多様性の温存、根絶やしにせず、、。そして、ローカルルールでの小さなサイズでの現場適用試行錯誤、その温存涵養様子見、
試行錯誤というと、なにやら泥臭いが、進化論的アプローチというか、遺伝的アルゴリズムというかアリの巣戦略だっけかだとか、論より証拠やってみようしばらくの間だまってみててやる、ってか、

時が来て、世が選べば、そのときデファクトというか、大衆?民衆が市場が、支持選択することであろう。やがては、理屈、科学も追いついてくる、、

用語
頭でっかち
設計主義
試行錯誤

なお、Dvorakへの選択肢棄却に関しては、第二次世界大戦の存在、特に太平洋戦線へのアメリカ参戦が、大きく関与していたのではないかと、因果的にはなるであろう、山田尚勇説を重視する。
だが、Dvorakも、電子時代以前、せいぜい電動機へのとばくち端境期である。また、個人用はまだまだ手動の時代が続くであろう時期。スタガー温存したQWERTYフレームの中の配列換えにすぎない。とも捉えうる。
まあ、しょうがない、機械式の時代だったのだから、。
この点を語るには、Dvorakでの、digraphの配置状況を、フロントストライク時代のタイプバスケット上での隣接状況を、検討する必要があろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« QWERTYよりも絡みにくく、打... | トップ | 「アームはなかった」→「アル... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

LinkRecords」カテゴリの最新記事