レダックのアラコキ紀行 台湾中南部徘徊 その3

2016-02-06 11:12:20 | 日記
⑥ 17日(日)、台湾最大の湖「日月タン」行はあいにくの雨にたたられ散々な1日となった。しかし、同時に台湾人の親切に感激する1日でもあった。日月タン近く、台湾の先住民族の集住する「九族文化村」を経由するバス便を利用したのだが、それらしい入り口のあるバス停らしき所で降りた客は一人だったので、躊躇している間にバスは出発してしまった。こんな時、言葉が分からないハンディを痛感する。ママヨ、とともかくみんなの降りる終点らしきところまで行った。「水社」というところらしい。情報センターと思しき一角には日本語の分かるガイドがいるので、筆談まじりで「九族文化村を降りそびれた。どうすれば行けるのか」と尋ねたところ、「この湖を観光船で渡り、向こう岸にあるロープウェイで上がるしかない」とのこと。
 
 やむなく乗りたくもない観光船に300元(1200円)も支払って向こう岸に渡る。

風光明媚な景勝地らしいが、雨がザンザカザン、湖面が波立つようでは、船室の中に避難せざるを得ない。着いた港は土産物屋、食堂が続いており、その中をロープウエイ目指して歩くも、何回かスコールで店屋の軒先に避難。コリャダメだ、寒いし・・。嘆きながら店屋の前をボトボトになりながらトボトボ歩いていると、
  「先住民族のサオ族の歌と踊り、上演時間11:30~」(書かれた漢字から意味判断)
と書かれたポスターを見かけた。九族は無理でも、サオ族だけでもあっておこうと、雨中、何とかそこにたどり着いた。40人くらいが階段上に座れる野外音楽堂みたいな建造物に着くと、民族衣装を着たかなり年配の男性の歌声に合わせ、数人の女性が舞台の上で踊りを披露していた。MCが説明してくれても分かるわけがない


半時間ほどそこでやり過ごしたが、雨脚は止まないので、また、やむなく連絡船でバス発着場の「水社」にもどり、可能な限りタオル、ハンカチを使ったが、袖口や足元の濡れた状態が乾くわけもない。台中行のバスの乗客は幸い少数だったので、座席の一つを占領し靴下まで脱いで汗かき着替え用に持ってきたシャツで足を温める・・。
 行きとは違う経路だったようで、途中で小都市に寄ると満員の状態となり靴を履かざるを得ない。台中とは2時間ほどの行程だが、体が冷えている分、おしっこが近くなる。そうでなくとも、前立腺肥大と言う男性特有の症状で服薬しているほどだから、得も言われぬ切なさ、やるせなさに見舞われる・・・。それで「ウ・・ウ」とあえいでいる私の窮状をおもんばかってくれた嫁さんの発案で、バス発着場まで帰らずに、台中駅で降車した。トイレ目指し、脱兎のごとく走・・れないのです。下手に刺激すれば〇〇そうで・・

⑦ 今晩は台南のホテル泊です。ピンチを脱して僕がホテルに荷物を取りに帰っている間に妻が切符を購入したわけですが、
日曜のことでもあり、座席指定が二駅先までしか取れないとのこと。それでも立ちっ放しよりまし、やむをえない。予測通り満員で、その座席のところまでスーツケース抱えて立っている乗客の間をすり抜けていくのは、かなり困難なようだ。立ち往生していると若い兄ちゃんが、「どこまで運ぶのか」と聞いてくれた(んだと思う)ので、動作で示すと、やにわにスーツケースを持ち上げ運んでくれた。謝謝です。3時間ほどの行程のうち40分ほどで、座席指定の権利は終わりです。
 
 乗り込んできた権利保持乗客は若いカップルでしたが、スーツケースを持ち上げ替わろうとすると、どうやら「そのまま座っていろ」と言ってるようで、「いや、そら悪い」と日本語で呟き、妻も立ち上がろうとすると、周りの乗客も、どうも「座っていろ」と言ってる?動作をしているようです。2回目の「謝謝」です。お尻こそばいながら好意に甘えて半時間強、2つほど先の駅で乗客の大きな移動があった時、再度「謝謝」と言って車両の端に移動したら、またまた、「ここに座れ」と言ってくれた若い女性がいた。今度は一人分だったので、後で妻と交代したのだけれど、なんでこんなに親切なのか?

 私はリタイア後、鳥打帽をかぶり、ピースボートに乗ってからは、あごひげを生やしている。頭髪のはみ出た部分もあごひげも白いので、かなりの年寄に見られるのだろうし、実際そうでもある。日本でも2度席を譲られそうになったことがあるが、長い時間で2度である。優先座席に長い足を投げ出している若者の前に嫌味を込めて立った経験は何度かある。台湾では、お年寄りに席を譲ったり何かヘルプをするという道徳が当然のこととして行われているように感じられる。パック旅行ではチョット味わえない体験だろう。濡れた体に、ハート温めてもらえて、と何とも言い難い一日でした。

⑧ ト、感心する一方で、台南駅に着くと、あきれる風景に出くわす。この日のホテルは駅から距離がありそうなのでタクシーを探したが、どこが乗り場なのか表示が見当たらぬ。雨の日曜日の駅前、奪い合いの様相を呈している。並んでいる人の列の前から止まったタクシーが乗客を乗せていく。後ろで乗り込もうとした客には、前の客がブーイングであきらめさす。それでも、後ろから乗る者もいる。ようやく先頭近くまで行けたのに、またズルをする者がおりそうなので、関西弁で「こっちが先や」と乗り込んだ。
 (タクシーには3回使ったが、高くないし、運転手は親切だと感じた)
 
 夕食は、ガイドブックに出ている担仔麺の店が近くにある。1杯が50元(200円)と安すぎると思ったが出てきたものを見て納得。少量なのだ。でも、さすがにおいしい。
酒を飲まない妻が一つだけ頼んだが味は良いし少量なのでもう一つ、エビや野菜、飲茶など、当たりはずれの多い夜市よりはよほど安心して台湾料理を満喫できた。
 
 帰り路、ホテルの向かいにある林百貨店に立ち寄った。これまた、戦前日本の統治下にできた建造物で 当時台湾唯一のエレベーターがあるので有名だったとか。日本式イメージの百貨店というより、5階もある各フロアを種別・飾りつけで分けた大きな土産物店というべきものだ。階段を使えばさらに6階?屋上?に出て、街並を展望できる。百貨店そのものもイルミネーションできれいだ。
ト、家で編集作業をしていると「台湾南部」で地震とのニュースが飛び込んできました。死者も出ているとのことで、冥福を祈り、一刻でも早い救出を願ってやみません。