⑨ 18日(月)旅の4日目、台南の街は古くからの名所に事欠かない。まずはホテルの前の通りを一直線に歩いて行ける「赤崁楼セキカンロウ パンフレットの表記はChihkan Tower」を見学する。17世紀中ごろ、台湾南部を支配下においたオランダ人の築いた砦兼役所だそうだ。中に入ると十数人?の小学生(中学年と思われる)が、昔の西洋人の恰好をした数人と台湾人数人が手製の刀や槍のようなものを持って、戦いの真似をしている。それも1グループだけでなく、他の場所でもやっている。衣装まで作っているから、学芸会的なところで発表するのかもしれない。きっとこの建物をめぐっての攻防戦を、子どもが実習しているのだろう。確かに各グループには先生もついていた。おもしろいものを見せてもらった。
その後、今度は同じくオランダが軍事的拠点にしていた古い砦のある「安平 アンピン」へタクシーで向かった。ここにはかつて使われていた大砲も陳列している。
このオランダを追い出したのが「鄭成功」である。中国人の貿易商・海賊の父と日本人の母を両親に持つ彼は日本の平戸で育ち日本名ももっていたそうな。大陸中国での明から清への転換に抵抗し、敗れて台湾に逃れオランダ支配を打ち破ったので、国の礎をつくった人物の一人として今も人気があるらしい。近松門左衛門が人形浄瑠璃「国姓爺合戦」(のちに歌舞伎にも)として著したので、日本人にもお馴染みの名前になっている。
近くの商店街は「延平街」として有名な土産物屋・食堂街がひしめいていた。ぶらついた末、「エビせんべい」を贖った。「かっぱえびせん」とは違い、厚めのせんべいの上に本物の小さなエビが載せられており、お土産としてなかなかのものである。その店でサービス券をもらった。ソフトクリーム屋のもので、ありがたく使用させてもらったが、コーンがV字状に連結しており、同時に二人が食べられるという変わったもので楽しく味わった。 時間があれば、もっとゆっくりノンビリ廻りたい街だが、残念、明日の飛行機のため高尾に戻らねばならぬ。
⑩ またまた台鉄で高雄は例の親切ホテルへ。まずはウェルカムドリンクを。時間もあるので、まずは妻がとても行きたがっていた「三鳳中街」を探す。例によって間違いながら聞きながらもたどり着いた。道を挟んで乾物や薬草などの店が軒を接しているのだが、道の真ん中はバイクが端から端まで置かれている。自然とバイクが分離帯で両側が一方通行のようになってしまっている。バイクが歩行者の流れに逆らわず突っ込んでいき、少し余地がある空間を見つけると、そこにバイクを止める。デ、買い物が終わると、またバイクのところに戻り、商店街の切れるところまで人の流れに沿って進む。いや、猛烈だが、それなりに秩序だっており、たまげながらも感心した。妻も乾燥エビや健康茶をゲットしてご満悦であった。
いったんホテルに荷物を置き、高雄港のある「旗津」という地区に出かけた。MRTの終点の一つ手前である。ここからフェリーに乗る。橋もあるのだが、バイクが主な乗客というフェリーに乗った。10分もしないうちについた。広く港を概観できたから、マ、いいか。昔の砂州が島になったのか、反対側まで数分、本当に狭く細長い島だ。ちょうど太陽が沈む時間に間に合った。この島が観光地になっているのは、この景色と新鮮な海鮮料理の店、屋台が多いせいだ。台湾料理は味わったが、満足できる海鮮料理には出会わなかったので、最後の晩餐と行きましょう! 店頭に並んだ魚介類を指定して料理してもらい店内で食するシステム。何軒もあり困ってしまうが、やはりガイドブック掲載店で足を止めると、日本語で話しかけてくるので、焼き魚と刺身で注文した。日本と違いはないので感激するほどでもないが、マ、いけた。
またフェリーで帰り駅目指して歩こうとしていたら、バス停があり、ちょうど到着したバスの運転手に「ステーション」と聞いたらうなずいたので乗ることにした。右に左に繁華街を縫って行く。初日の夜市の横も通り抜けて行く。気が付けばバス代の小銭が14元しかない。一人12元だそうだ。駅前につき100元紙幣を出したが、お釣りが出てくる機械ではなくコインのみ使える。若い運転手も説明しても無駄と思ったのか、どうも「あるだけ入れて早く降りてくれ」というボディ・ランゲッジのようだったので、ご好意に甘えてしまいました。
9時になりました。あの夜食タイムです。海鮮の魚は魚。麺少々と肉まん1ケとアイスクリーム3種類を、やっぱりいただいちゃいました
その後、今度は同じくオランダが軍事的拠点にしていた古い砦のある「安平 アンピン」へタクシーで向かった。ここにはかつて使われていた大砲も陳列している。
このオランダを追い出したのが「鄭成功」である。中国人の貿易商・海賊の父と日本人の母を両親に持つ彼は日本の平戸で育ち日本名ももっていたそうな。大陸中国での明から清への転換に抵抗し、敗れて台湾に逃れオランダ支配を打ち破ったので、国の礎をつくった人物の一人として今も人気があるらしい。近松門左衛門が人形浄瑠璃「国姓爺合戦」(のちに歌舞伎にも)として著したので、日本人にもお馴染みの名前になっている。
近くの商店街は「延平街」として有名な土産物屋・食堂街がひしめいていた。ぶらついた末、「エビせんべい」を贖った。「かっぱえびせん」とは違い、厚めのせんべいの上に本物の小さなエビが載せられており、お土産としてなかなかのものである。その店でサービス券をもらった。ソフトクリーム屋のもので、ありがたく使用させてもらったが、コーンがV字状に連結しており、同時に二人が食べられるという変わったもので楽しく味わった。 時間があれば、もっとゆっくりノンビリ廻りたい街だが、残念、明日の飛行機のため高尾に戻らねばならぬ。
⑩ またまた台鉄で高雄は例の親切ホテルへ。まずはウェルカムドリンクを。時間もあるので、まずは妻がとても行きたがっていた「三鳳中街」を探す。例によって間違いながら聞きながらもたどり着いた。道を挟んで乾物や薬草などの店が軒を接しているのだが、道の真ん中はバイクが端から端まで置かれている。自然とバイクが分離帯で両側が一方通行のようになってしまっている。バイクが歩行者の流れに逆らわず突っ込んでいき、少し余地がある空間を見つけると、そこにバイクを止める。デ、買い物が終わると、またバイクのところに戻り、商店街の切れるところまで人の流れに沿って進む。いや、猛烈だが、それなりに秩序だっており、たまげながらも感心した。妻も乾燥エビや健康茶をゲットしてご満悦であった。
いったんホテルに荷物を置き、高雄港のある「旗津」という地区に出かけた。MRTの終点の一つ手前である。ここからフェリーに乗る。橋もあるのだが、バイクが主な乗客というフェリーに乗った。10分もしないうちについた。広く港を概観できたから、マ、いいか。昔の砂州が島になったのか、反対側まで数分、本当に狭く細長い島だ。ちょうど太陽が沈む時間に間に合った。この島が観光地になっているのは、この景色と新鮮な海鮮料理の店、屋台が多いせいだ。台湾料理は味わったが、満足できる海鮮料理には出会わなかったので、最後の晩餐と行きましょう! 店頭に並んだ魚介類を指定して料理してもらい店内で食するシステム。何軒もあり困ってしまうが、やはりガイドブック掲載店で足を止めると、日本語で話しかけてくるので、焼き魚と刺身で注文した。日本と違いはないので感激するほどでもないが、マ、いけた。
またフェリーで帰り駅目指して歩こうとしていたら、バス停があり、ちょうど到着したバスの運転手に「ステーション」と聞いたらうなずいたので乗ることにした。右に左に繁華街を縫って行く。初日の夜市の横も通り抜けて行く。気が付けばバス代の小銭が14元しかない。一人12元だそうだ。駅前につき100元紙幣を出したが、お釣りが出てくる機械ではなくコインのみ使える。若い運転手も説明しても無駄と思ったのか、どうも「あるだけ入れて早く降りてくれ」というボディ・ランゲッジのようだったので、ご好意に甘えてしまいました。
9時になりました。あの夜食タイムです。海鮮の魚は魚。麺少々と肉まん1ケとアイスクリーム3種類を、やっぱりいただいちゃいました