レダック ピースボートに乗る 改訂版12

2014-07-09 18:06:01 | 日記
④ タヒチ ?の楽園 (6/2~3)
 6日間の航海の後、6月2日はタヒチ島 パペーテという港に、3日は同じくボラボラ島で遊ぶ。ボラボラ島は大型船は入れる港はないので、港の近くに投錨しテンダー船から上陸する。私は行けなかったけれど、OPで「バリハイ」の清澄な歌声の主題歌「南太平洋」の舞台となったモーレア島に行った者もいる。地上最後の楽園といううたい文句もあるように、垂涎の観光地である。(ピースボートから見た日の出 と タヒチの日の入り)
(もっとも交通手段と目を剥く宿泊料が問題で、通常では行くのは困難)
 物価は(相対的に)高い。店は商売熱心であってもある線以上は負けない、村中を走っても、いかにも村ではあるが、目にする限りは貧民街はない。南米訪問国に比すれば、総じて豊かなのである。なぜとなれば、フランス自治領であるからだ。どういうことか。フランスの核実験地としてムルロア環礁が汚染され、被爆者が出た歴史を持つ。だから、反核と独立を目指す裸足のGさんがピースボートの水先案内人として3回ほど講演と+αの交流を行った。しかし、フランスはいまだ手放していない。過去・および現在の代償としての一定の豊かさがあるのだろう、そして、今後も踏まえると、最後の楽園を死守しなければ立ちいかなくなるおそれがある。環境(観光)資源保護は必須のことなのだ。物価の目安はとしては、私は食べ物を判断基準にしている(それしかないが・・・)し、店を選ぶにはローカルがバンバン買いに行くような店かどうかをまず観察する。昼の軽食として、マクドのような店で、フランスパンを使ったホットドッグ(確かにパンがうまい)とコーラで500フランだった。現地通貨はフレンチ・パシフィック・フランというが長いのでフラン。1フラン大体1.2~1.3円。だから600円強となる。道に出したベンチに座れないほど客が多い。ジェラートの店では2スクープならやはり500フラン、これも学校帰りの高校生でも普通に入ってくる。スーパーで買うローカル・ブランドのヒナノ・缶ビールが230フラン(発泡酒なんか探しても無いもんね、日本での僕よりリッチや)
ゴーギャンの「タヒチの女」はあまりにも有名だ。だから住民はほとんどポリネシアンと思いきや、経緯からフランス人らしき白人も結構見かける。ただし我々含め、観光客が多いので見分けがつきにくい。公用語はイースター島と通底するポリネシアの言葉とフランス語だそうだが、観光業者でも英語が話せるとリーダー格。日本人観光客も多いせいか、それどころか町?村ですれ違うと「ありがとう」「こんにちは」、翌日のガイドなどは「上を向いて歩こう」なども歌うし、どこで「日本語ならったの」と聞かれて、「にほんにお嫁さんいる。ウエトアヤという」くらいの冗談を言う。会った限りでのタヒチ人は陽気。
両日ともOPでなく、自分らで自由行動した。タヒチの港は一歩出れば中心街。自動両替器で現地フランを手に入れ、郵便局へ。ジブラルタルでの教訓から切手はその国の通貨で。特にタヒチの切手は原色を使った華やかな色彩で、収集家の間では人気があるとも聞いていたので、絵葉書を書き溜めていた。しかし、記念切手は大きすぎる。一番小さな通常のモノを求めるものの、それでも既に書いた宛先にかぶり、持っていた鉛筆で修正や書き足しという不細工なものになってしまった(ゴメン)。
次にマルシェという庶民の市場へ、2階が各店舗になっており、色鮮やかなパレオという手織りの布が代表的土産として吊り下げられている。妻のお買いものの付属亭主として見て歩く。ガイドブックに掲載している布地屋にも行く。さらには、上にあげたビール会社がそのブランド名を活かしパレオやアロハシャツ・バッグなどの土産物をやっている店にも行く。キリンやサントリーのTシャツというわけです。それに黒真珠が特産品らしく、その博物館を覗くと、西太后やエリザベス女王の人形に数えきれないほどの黒真珠が飾られているのが印象的だった。
 タヒチに来て泳がないのはご先祖様に申し訳ないというほどたいそうなことではないが、やはり癪だ。ところで、どこにいけばいいのか。ここらが無計画な習性ゆえの効率の悪さで、とにかくiインフォーメーション・センターで聞いたバスに乗り込み、リゾートホテルの前の駅で降りる。やはり無計画な若者10人ほどはそのまま、もっと先まで乗っていく。ホテル内を少し行くとプ-ル、その先にたった4人だけがたわむれているビーチが広がっていた。スタスタとそこまで下りて行けば一組のアベックは日本人。「プライベートビーチかどうか知らない」という。さすがに妻は遠慮したが、私は意地で海に浸かった。波がきついうえに、3mも足を踏み入れればいきなりの深み。どうする?いままで行っていたジムはプールが無いので当然今年は初泳ぎ、老化の表れか明け方に足がつる、等々の総合判断から、「危険」マークが点滅する。ビーチに入るときに読んだ看板では「プライベートビーチだから入るな」ではなく、「ホテルは事故には一切責任を持たない」だったことも思い出す。頭をよぎったのは、確か吉本隆明は鎌倉の海で溺れかけたという記事をよんだことがあったなあ、ということ。有名人ではないが、「タヒチの海で日本人観光客溺死」なんど格好悪いではないか。それでも、未練たらしく波打ち際に平行に30mほど2往復して早々に着替える。帰りのバスもあまり待つことなく港に帰り着いた。帰船までの時間が生じたので、妻は「カードがあれば買える」病にかかり大満足でした。私はといえば、タヒチの海に瞬間的に浸かった、ジェラートを食べた、スーパーで買ったヒナノ・ビールを公園で空けた、ということで、ちょっぴり不満なタヒチの思い出でした。そうそう、この港の公園はジョガーであふれており、そこまでは生きていたい東京オリンピックでタヒチの選手を見られたらイイナと思いました。そして、公園の一画には核実験で犠牲になった200人ほどの慰霊碑にピースボートからの花束が献じられておりました。
その日の5時には出港し翌朝、ボラボラ島に。ここのヴァイタペという港も小さいので、目と鼻の先ながら投錨し、テンダー船で港へ。ただし、イースター島のような救命具などつけずに普通の観光船の感じで数分で着く。ここも自由行動で、まずは昨日の不完全海水浴の挽回とばかりに、ホテルのシャトル?・ジープ?荷台に9人で乗る(一人5$or500フラン)。村道をぶっ飛ばし、先に上陸して歩いているorレンタサイクルのピースボートの諸君を追い抜いて、着いた先には、環礁で囲われたそれはそれは美しい海がまっていました。環礁のあたりだけが外からの波を受けるせいか波頭の白線で、薄い水色が続き、すぐ近くは透明のためお魚が群れているのが見えます(ただし水の色と一体化し極彩色のものではありません)。自然ってこれだけ美しいのかと思ったのは、NZとこの海が双璧でしょう。本当に遠浅で、環礁で囲まれた巨大なプールと言えます。どこまで行っても、遠浅かどうか?そこまでの勇気はありません。でも白く波頭の見える線の半分くらいまでは行きました。ピ-スボートの若者グループも、そのあたりから引き返してくるのを見ると、そこまでで充分です。妻も喜んで遊泳していました。
 今後は望めないだろう生涯最高の海水浴場で二泳ぎして、ホテルのシャトルで港へ戻る。というのは、朝、港に先着した妻(テンダーボートに乗る順番がわずか一人の差でばらばら)が、港のiで尋ねた「ラグナリウムに行きたければ12時半に来い」と言われていたためだ。無計画だと誤算が二つある。港周辺の食堂は1ケ所で満員、i には誰もいない?!
 客ひろいのために集まる車・船の業者等に尋ねる。一つは行くがピースボートのOP用だって、それでも、車で○○まで行けばそこから船が出るとのこと、やはり行先を探していたピースボートの女性乗客3人とその計画に乗った。おかげで昼は昨日タヒチで買ったおいしいフランスパンを分けてしがんだだけ。午前中の道をもう一度走り、美しいビーチのホテルからさらに客を乗せ、さらに道を進め、小さな船泊まりに着く。小ボートで、波を蹴立てて美しい海上を行く。見えてくるではありませんか、誰でも一度はTV等で見たことがあると思われる海上のコテッジの連なりが。これはインターコンチネンタルのものらしいのですが、1泊の最低が8万~10万ですって。ゲゲゲーー。そして、欧米以外では中国人と日本人がよく泊まるんだって、新婚さんとか、ソウナノ、オホホホ・・
 そこを行きすぎ着いた島で、水着に着替えるよう言われ、水中メガネ・シュノーケルを渡される。我々も同行の女性客も自然水族館くらいの知識で、グラスボートみたいなものを想像していたのだが、まったく違った。女性客の中では娘時代が一番昔にあった人だけがこれに挑戦した。まず、海亀の生息している自然の生け簀を見てから、鮫とエイもいる生け簀に連れて行かれ、自由に遊泳しエイに触り、鮫を身近に泳げ、ということらしい。エエ!!海亀の所でもかつては一緒に泳いでいたのだが、噛みつくことが分かったので、今は見るだけという。それなら鮫は?? この鮫はレモン鮫といい、人を襲わない、と言われてもネ。心理的抵抗をなくすため、最初のカメは見るだけ、次にエイは水に入って触るだけという手順を踏む。触りましたよ、もちろん僕のことだから「エイ」という気合とともに、なーんてネ。皮膚はぬめっとしてるが固い、長い尾は節が連なっているようでザラザラして痛い。もちろんエイさんも泳いでいるのだから、わずかな間だけ触れる。結構愚直なやつのようで、遊泳中おしりに何か当たったので海中をみるとエイさんだったりして。他の皆さんは道具を使って、海中を楽しんでいるが、僕はそうはいかない。あちこち悪いが、右耳も鼓膜が破れており、水中に顔をつけると水が遠慮なく入っていく。仕方なく、ただ平泳ぎをしているだけなのです。それでも体長2~3mのレモン鮫が側を通ると、緊張する。
かなりの時間泳いで、帰る段になって、「皆集まれ」ということになった。どうせCMだと思ったがパレオの結び方講習。3種類の結び方をそれぞれ客をモデルにして行われる。皆、ということは妻も含めて感心する。私の内部の声「何や、結び方も知らんと買いまわってたんかいな」。ところが僕も指名される。結局パレオの褌でした。
ピースボートのOPで来た連中と交替で帰ることになり、また10万円コテッジを横目に見ながら、帰船したのでした。行けて良かった。あとはハワイだけだ。思い残すことはないほど、満喫した。

⑤ ハワイイは、結構難しい島だった
 6月3日夜半、ボラボラ島を出港したピースボートは一路最後の寄港地ハワイを目指したわけですが、途中で怪情報がまことしやかに流れます。これまでの見事に左右に描かれていた船の水脈が、右側半分しか出ていない、エンジンの半分が止まっているに相違ない、ハワイ到着も遅れるだろう、あるいは船の状態はもっと悪いかも知れない、というものです。食事の合席していた人から聞かされ、他の人にも確かめると、噂は知っているということでしたし。最近変な揺れがひどいということは皆の思うところでもあったのです。がぜん話は盛り上がり、もし、ハワイで入港が認められなかったり、エンジン修理のためにドック入りしたら、ホテル代は誰がもつのか、等々。しかも、その話を切り出した人が、「他の船に詳しい人と、日本側の責任者(ジャパングレースのHさん⇒スペイン モトリルのバルで僕が軽口を言った相手)に聞いても、否定したけれど、彼はほんとのことは言わない人だ」と、話は大きくなります。翌日には航路説明会があるので、そこで明らかになるだろうということで、いちおうお開きに。その説明会、Hさんのほうが先手をとった。「最近、妙な噂が流れているようです。皆さんも暇ですね・・」と切り出し、片肺飛行・・じゃなかった、片肺航行?は、時間調整のための予定の行動であり、左エンジンも点検後、動かす予定とのこと。
 というドタバタがあったものの、6月10日朝、ハワイ オアフ島の港に到着した。予定通りであった。ところが今までとは違うことがある。テロ対策に敏感な米国では、個別の対面審査が必要とされるのであった。これまでの国は、飛行機と船の違いはあるが、事務局が一括審査を申請し、マ多分問題にもならなかったのだろうから、「全員の上陸許可がおりた」との放送で船外に出たのである。ところが、この朝8時過ぎに、パトカーを連ね港の税関・入管が乗船してきた。少しばかりたまげたのは、麻薬犬である。犬まで乗船してきている。おまけに、米国にとって、PBはいかにもうっとうしい船なのであろう。カリブ海諸国、LA諸国には寄港しても、久しぶりの入国らしいのである。船内講演では、いかに米国が19世紀末からLA諸国を支配してきたかという講演が続いているのである。ご当地ハワイについても、カメハメハ王朝を廃絶させ、軍事のかなめ石として整備しなおすとともに、米本土の観光資本が押し寄せ現地住民の生活破壊を推し進めていったかなどの講演もあった。あのワイキキの浜辺も人工のものとは恐れいる。その中で、あのスペル通り、現地の人にとって、ハワイではなくハワイイなのだ。講演の中身まで知っているわけではなかろうが、米当局にとってはピースボートは胡散臭い船という評価は定着しているのだろう。被爆者の語り部を乗せて各国で啓発・講演活動するような御一行様は、米軍需産業界にとってはウットウシイに相違ない。
 マ、それはそれとして、対面審査はスムースであったのに拍子抜けする反面、帰船のチェックはベルト・荷物等結構厳しかった。ところで、海外旅行の経験の多い妻(およびそれほどではないが私)ではあるが、ハワイは初めてなのである。そして、感じたことは、日本人が溢れかえり、誰が居住者か分かりにくく、ツアーならともかく、自分らだけで旅行するなら、よく調べてからでないと結構移動が難しい島だということであった。ハワイが名だたる観光地だからと舐めてしまって、OPを申し込まず、自力活動を目論んだのが結果的に悔いの残ることとなってしまった。だから、この項については、自力でハワイ観光しようという人にとっての反面教師くらいの値打ちはあるかも知れない。
 10日の予定としては、講演でも聞いたRemember Pearl Harborに「アリゾナ記念公園」ができており効率的に見学できるということなので、まずはそこへ行く、そして妻の自主活動グループが17時に有名ホテルのディナーでハワイアン見学という企画に便乗するというもの。対面審査が終わり結果的に下船できたのは11時過ぎで、しかも港からは、どうも直接行けず、ほとんどが中心街であるアラモアナ・センターという所かワイキキまで行きバスに乗らなければいけないということが分かった。そのアラモアナに行き、iで翌日のアクティビティで申し込めるものを問い合わせたが芳しい結果は得られず、アリゾナ公園へのバスの時間も分からないので、まずは昼食を取ろう、このセンターには回転ずしもあるのでそこで腹ごしらえをすることとした。これがまず失敗、日曜の昼時のせいもあって、おまけに米に吸収されたカメハメハ大王の生まれた日とかで大層な人出、20分ほどでやっと席に座れたが、寿司店なのにビールはおいてない(そうなんですよ、よく調べて行かないとネ)、マアマアのものもあるが総じてマヨネーズべっとり・・期待外れのランチだった。  ともかくアリゾナ・メモリアルに行こう! でもバスストップが分かりにくい、しかも時刻表などありません、ともかく行先方面の番号の書いたストップでひたすら待つ、待つ、待つ・・・「オーイもう半時間や」「ガイドには40分くらいおきとあった」・・・「オーイもう40分や」「あきらめて離れたとたんに来たら癪だし・・」・・・「オーイ 50分たった」「ウーン」・・とそこへ来たんですね。このバス乗車が実は一番の勉強になったのかもしれない。2~300mも行かないうちにバスストップに出くわし、まさにハワイアン(ハワイイ現地人)の生活の足になっている様子を見てとれたからである。それと、どこでおりたらいいのか、前方に小さな字なので見過ごすところであったが、「次停まります」と地域(カウンティ 郡かな?)―駅名が表示されていたのを見つけて一安心。また、降車の意志はボタンが無いのでこれも観察していたら、窓に沿わせてゴムひもが一周してある、これを引っ張るわけネ。前方の表示板に「ARIZONA MEMORIAL」がでる。ア、ここや、思わず強く引っ張る。焦る必要はないのネ。たくさん降りたから。
日曜なので、白人・現地人含め家族連れが多い。なるほど・・・。でも貴重品とカメラ以外の荷物の持ち込みは禁止、荷物預けの3ドルが実質の入場料、そうなのです、特別メニューを取らなければ無料ということの意味を考えるべきなのでしょう。荷物を預け、警備員の示す人一人しか通れぬ入り口を超えたところのiで、係員が親切な案内をしてくれる。
 あとの施設を大急ぎでみてまわり(時間があれば現役の戦艦ミズーリ―に乗船することも可=有料)、いつ来るか分からないバス停へ急ぐべく荷物を取りに行ったら、顔見知りのPB乗客と出会い、彼らもディナーショーに参加予定ということでタクシーに乗り合わせて、ゆうゆう間に合った。間に合い過ぎて、時間をかけて昼飲み損ねたビールとピザ・エビフライなどに時間をかける。結局歌とダンスが始まりだしたのは19時ころ、おまけに途中で、多分フラダンスのワークショップ付きの御一行様の発表会もどきのとび入りがあった。日本人のオバンのフラダンスなど見とうもないレダックは、妻を促して失礼することにしました。ウィンドショッピングも兼ねてアラモアナまで歩きましたが、途中で道に迷いかけるなど結構な距離ではありました。ハワイ一日目あまりいいことは無かったけれど、ピザやスイーツはさすがでありましたことを付記しておきましょう。
 6月11日、昨日の失敗に懲りて、観光客用のトローリーバスで行こうと決め、切符を販売しているビルに行く。一番経済的なのは路線バスで、乗車時2.5ドル払いながら「乗り継ぎ」といえば乗り継ぎ切符をくれる。それでどこまででも、その気になれば島一周でもできる。時間の制約がなければ、それもまた良し。しかし、いつ来るか分からない。このトロリーバスは、まわる路線が4方面に分かれており、その路線内では乗降自由である。時間については、40分ごととか30分ごととか路線によって発着のローテーションが違う。迷いながら3路線が使えるお得切符のお勧めを買った(馬鹿だね・・) たまたまRed方面の発車時間が近いのでそれに乗り、目的地はとりあえずホノルル美術館へ。2階建てのオープンカーのいかにも観光地のバスという感じでワイキキの浜辺を見やりながら、美術館に9:55到着着。だから、次は10:35ということか、40分で回れるかな?と焦りながら見学する。西洋美術とアジア・オリエントと大別されていて、とにかく西洋を中心にまわる。それなりに著名な画家の作品も少なくなく、一見の価値があった。気がつくと10:40ころ、あわてて玄関に行くもどうやら出たようで、もう一度入りなおす(そんな客も多いようで入館シールを付けていると再入場できる)。日本のコーナーもあったが、大したものではない、中国・韓国・イスラムのコーナーもあるが、仏教美術ではこれらが混然と展示されているので、混乱しかねない。こちらは、類似のものは見慣れているせいもあり、あまり見る価値は感じられない。今度は11:10に出る。来ない・・来ない・・・来ない、ナンデ? 同じ方面に行く路線バスは何台も行く、2.5ドルで行けたのに・・・。ひょっとすれば僕らの乗った便は結構市内が混んでおり、予定時間より遅く到着したのかもしれない? もう、待つのは慣れっこ、美術館の外壁にしつらえてある席で、風に吹かれて泰然自若と待っておりました。11:45ころ、2階建てバスがトローリとやってきました。Haa--、来ないわけはないんだから。でも、もう一路線も乗れる切符なんだから、それも使わなくてはもったいない。チャイナタウンで食事してたら、最終の出発時間に間に合うか? 買い物もしたいと妻は言うし、なんで時計見ながら、焦らなアカンの? というわけで、とりあえず出発地点まで戻った時は13時になろうとしていた。途中、カメハメハ大王の誕生日が昨日であったことから、その彫像にたくさんのレイで飾られているのだけはしっかり見ましたが・・・。
グリーン方面のバスは13:10発、ランチ抜きかよ?こうなりゃ、お仕事だね。切符売りの日本人のおばさんが教えてくれるには、「このバスストップのカフェ&マートの食事がおいしいと、わざわざ報告に来てくれたお客さんがいる」とのこと。マ、それで我慢しよう。
ダイヤモンドヘッドの登山口に着く。1時間半かかるそうな、パス。デ、やっと件のバスストップに着いたのはいいが・・どれ? 自家用車を駐車場に止めた人々が、次々とハンバーガー屋に隣接したパンとお惣菜屋風の店に入っていく。店の前に壁沿いにテーブルがあり、そこで数人がサンドイッチなどをぱくついている。エ、レストランじゃないの?まあイイか、早速店に入り、サンドイッチ、パン、飲み物、焼きアスパラ、なんか料理したハム?などを仕入れ、空いているテーブルでやっとランチ。確かに味は悪くないが、わざわざバスの切符売り場のおばちゃんに報告しに行くかねえ? 山の強風で、パックが飛んでいくなどの自然の食事だったけれど、まだ終わらないうちにバスが来る。なんで、ゆっくりしたいときにもう来ちゃうわけ? 結局、ハワイイのバスと我々は相性が悪いということで諦めました。年行けば人間ができてくるのです。
せめて、最後の夕食は、ということで、アラモアナに戻り、妻の買い物中、休憩と下見をかねてブラブラした。最後の土産を買うチャンス、でも妻と別行動で財布にはドルがない、マ無事に帰れば良いだろう、それにハワイの土産など珍しくもなんともなかろう、などと勝手な理屈をつけてベンチで休んでおりました。買い物の終わった妻と待ち合わせ、「つきじ」といういかにも日本料理ッポイ店を覗くと、それなりの値段だったが、横の数字は何だ?Happy Timeとある。例えば15$の横に9$、今は18時を回ったがお姉さんに聞いてみよう、「今?Happy Timeでいけますよ、20時半まではそうです」。決めた!そして迷わず注文する。「ドラフトビール、アキ・ポケ、キャリフォルニア・ロール、スパイシーエビ」。イヤア感激、アキは鮪 ポケは生で、つまりは刺身。角切りだが山のような刺身、エビは40匹はありそう、食べても食べても減らない、ということで食べきれず、ビールをお代わりして、二人で約30$、イヤアHappy Timeでした。(ハワイの常連者にお聞きします、これって一般的?)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿