小学生のころ、10月の第一週に運動会がありました。
当時は10月はじめだと、もうすっかり秋の気配でしたが、最近はまだまだ暑く、
熱中症の心配があって、運動会の時期をずらしていると聞きますが、思い出せる
運動会の早朝は肌寒いほどで、朝露に濡れた強い草の匂いが立ち昇っていたことを
覚えています。
運動会の日は母が大ご馳走を用意していたことも忘れられません。
定番だったのが太巻きずし。具材を山ほど積み上げて、炊き立てのごはんを飯台に開けて、
すし酢を回しかけながら、すし飯を作るそばで、うちわであおぐように指示されたものです。
飯台を切るように母のしゃもじが動き、そこにうちわで風を送ると、米粒がぴかぴかとつやを出し、
いかにもおいしそうなすし飯になる。
頃合いを見計らって、母が巻きすを出して、あぶったのりを広げ、できあがったすし飯を
広げて、厚焼き玉子、甘辛く煮たかんぴょうや干し椎茸、きゅうりやでんぶ、三つ葉などの
具材を山ほど巻き込んで、あっという間に太巻きを仕上げる。
テンポよく、次々と仕上げて行く、その光景はまさに職人技。
私はその速さと、巻き方の上手さに舌を巻きながら、「お母さんはすごい」と心から感心して、
大量に巻かれていく巻きずしを飽きることなく眺めていたことを思い出します。
運動会の時期が私の誕生日と重なって、「運動会でごちそうを作ったんだから、あなたの
誕生日はもうしなくていいでしょ」と言われて、残念ではあったのですが、運動会で手のかかる
ごちそうを作る母の姿を尊敬していた私は、もんくを言ったことはありませんでした。
もうすぐ、そんな運動会の季節。そして、私の誕生日もやって来ます。
母が作る巻きずしは本当においしくて、私が出る幕はないと思い、私は巻きずしなどは、
長く作ったことがありませんでした。
母が認知症を早くに患ったために、私はようやく母の代わりに巻きずしを作るようになりました。
基本的には節分の恵方巻きのころと、母の思い出がある10月の運動会の時期と。
母をしのんで今年も巻きずしを作ろうかな。
写真はずいぶんと前に自分のために作った誕生日のお祝いのお膳。
自分のためであっても、巻きずしがあるだけで、そこは懐かしくもうれしく。
いまだに巻きずしは下手ですけどね。母任せにしていたツケです。残念。
当時は10月はじめだと、もうすっかり秋の気配でしたが、最近はまだまだ暑く、
熱中症の心配があって、運動会の時期をずらしていると聞きますが、思い出せる
運動会の早朝は肌寒いほどで、朝露に濡れた強い草の匂いが立ち昇っていたことを
覚えています。
運動会の日は母が大ご馳走を用意していたことも忘れられません。
定番だったのが太巻きずし。具材を山ほど積み上げて、炊き立てのごはんを飯台に開けて、
すし酢を回しかけながら、すし飯を作るそばで、うちわであおぐように指示されたものです。
飯台を切るように母のしゃもじが動き、そこにうちわで風を送ると、米粒がぴかぴかとつやを出し、
いかにもおいしそうなすし飯になる。
頃合いを見計らって、母が巻きすを出して、あぶったのりを広げ、できあがったすし飯を
広げて、厚焼き玉子、甘辛く煮たかんぴょうや干し椎茸、きゅうりやでんぶ、三つ葉などの
具材を山ほど巻き込んで、あっという間に太巻きを仕上げる。
テンポよく、次々と仕上げて行く、その光景はまさに職人技。
私はその速さと、巻き方の上手さに舌を巻きながら、「お母さんはすごい」と心から感心して、
大量に巻かれていく巻きずしを飽きることなく眺めていたことを思い出します。
運動会の時期が私の誕生日と重なって、「運動会でごちそうを作ったんだから、あなたの
誕生日はもうしなくていいでしょ」と言われて、残念ではあったのですが、運動会で手のかかる
ごちそうを作る母の姿を尊敬していた私は、もんくを言ったことはありませんでした。
もうすぐ、そんな運動会の季節。そして、私の誕生日もやって来ます。
母が作る巻きずしは本当においしくて、私が出る幕はないと思い、私は巻きずしなどは、
長く作ったことがありませんでした。
母が認知症を早くに患ったために、私はようやく母の代わりに巻きずしを作るようになりました。
基本的には節分の恵方巻きのころと、母の思い出がある10月の運動会の時期と。
母をしのんで今年も巻きずしを作ろうかな。
写真はずいぶんと前に自分のために作った誕生日のお祝いのお膳。
自分のためであっても、巻きずしがあるだけで、そこは懐かしくもうれしく。
いまだに巻きずしは下手ですけどね。母任せにしていたツケです。残念。