2021年最大の天体ショー🌕ということで、ちょっと話題になりましたが、
珍しい皆既月食がありました。
地域によってはあいにくのお天気で月さまも最初から姿を見せなかったところも多かったようです。
当館でも仕事の合い間に慌てて外に出て、同時刻に南東の空を見上げてみましたが、
甲府盆地は薄曇りで、月食しているのか、そもそも雲で見えないのかも判断できず・・・。
結局、信玄ミュージアムからは、月食時間に確認することができず。
見ることができなかった原因は後ほど判明しましたが、この時は曇のせいにしてしまいました。
皆さんのお住いの地域からは、いかがでしたでしょうか?
帰宅途中で甲府市街地方面に南下したところでようやく薄雲の中で光を回復するお月様をキャッチ。
高さは意外と低く、館跡周辺からでは古府中を囲む山々が邪魔をして、
探しても見えないのは仕方なかったことだとわかりました。
確認した頃には、4割くらいまで月の形が回復していました。
珍しい天体ショーでしたが、戦国時代にも同じことが起こっていたはず。
科学が発達していない当時の人々は、世にも不思議な怪奇現象?あるいは、神のお告げ、はたまた悪しき前触れなどなど、
どのような思いで見上げたのでしょうか?
戦国時代に使われていた暦は、太陰太陽暦。
月の満ち欠けに合わせて作った太陰暦に、
1年の日数を地球の公転周期をもとにした太陽暦を合わせて、季節のずれを修正した暦。
こんな風に、月の満ち欠けをみながら生きていた時代です。
スーパームーンという用語は、占星術由来の新しい用語のようですが、
月の満ち欠けだけでなく、月の遠近にだって意識を向けていても、意外ではなくむしろ自然。
少なくとも鎌倉時代までの文献では、「月食」を「月蝕」と表記したり、
また、月食は不吉だから、その光に当たらないように細心の注意を図ったとか。
・・・残念ながら、武田氏と月の関係を知る手がかりは、あまり見当たりません💦
しいて言えば、武田氏ゆかりとされる軍配の日月と北斗七星のものとか。
鉄製軍配(天目山栖雲寺(甲州市)所蔵)
でも、やっぱり!
武田と言えば、スーパームーンならぬスーパーサン!
日の丸の御旗(雲峰寺(甲州市)所蔵)
ですが、天文については、当時は陰陽道が力を発揮した時代。
信玄公の近くにも判兵庫なる陰陽師がいて、占星を行ったとか。
つづく・・・。
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