歴史学者の先生と出かける「岡崎!家康公の人生の岐路めぐり」。
憧れの先生と、ご一緒なので、岡崎の暑さも気にならず・・・
・・・とはいかず、やっぱりドロドロ、暑さで溶けていく気分。
そんな酷暑の日盛りに訪ねたのが、
岡崎市郊外にある浄土宗西山深草派の寺、
二村山(にそんざん)法蔵寺。
家康公・手習いの書と三方原戦没者の墓がある寺として知られ、
わたしもTV番組を観た。
境内を歩くと、三方ヶ原の墓以前に、「近藤勇の首塚」に出会う。
近藤勇と言えば、新選組の局長。
武蔵国(現・東京都調布市)生まれ。
なぜ、三河に?
お寺の解説板をザックリまとめると、以下の通り。
明治初年、戊辰戦争で敗走続きの近藤は、捕縛され、
江戸、板橋の刑場で処刑される。
その首は、京に送られ、三条川原でさらされた。
3日後、同志がその首を奪い、
近藤が敬慕していた、新京極裏町の和尚に頼み、
埋葬してもらうことにする。
ところが、和尚は、その半年前に、
ここ岡崎の法蔵寺・貫首へと転任。
それで、この寺に納めることになったのだとか。
近藤と言えば、当時は首をさらされるほどの極悪人。
世間をはばかり、首塚があることは秘密にされた。
(しかも御首は盗んだんだし)
山の中にあり、鬱蒼と樹木が生い茂った、この地でも安心できないと
石碑は土で覆い、無縁仏を装った。
そうして、いつしか、近藤の首塚は忘れられ・・・
時は流れ、90年後、昭和33(1958)年。
総本山の記録などに基づき、調査が行われ、発見されたのだという。
その後、塚の土砂をとりのぞき、近藤の胸像が建てられ、ご供養、
今に至るとのこと。
本堂にも、浅黄色のダンダラ羽織が飾られていた。
そういうゆかりだったのか・・・
御縁だ。
近藤さんには失礼ながら・・・
もしも首塚の主が、トシさんこと土方歳三だったら?
聖地巡礼の如く、参拝者が絶えないい気がする。
お寺については、いずれまた。
余談だが、語り部さんのお話では、
近々、近所にアウトレットモールが建設されるとのこと・・・
そうなると景色も一変の大混雑が予想される。
ひっそりと近藤の首塚が存在していた山里だ。
発見までに90年、それからだって60年以上、
実に150年のあいだ、存在していたのは、この地ならではだろう。
そのたたずまいを感じられるのも、あとわずかかもしれない。
📷首塚の石碑は、画像を撮影することを遠慮しました。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
本日、8月6日、広島平和祈念の日。
歴史は大好きですが、人類の歴史は戦の繰り返しでもあり、
暗澹とすることも、しばしば。
今に感謝すると同時に、
歴史とも、しっかり向き合って行きたいと思っています。
笑いました~
いつもながら小気味よいコメントが痛快です。
ありがとうございました♫
何で岡崎に?
同じ気持ちです。
調布で生まれ、岡崎に葬られる。私は逆かな?