歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

岡崎・法蔵寺へ~近藤勇ゆかりの地

2023-08-06 18:36:55 | 愛知県
歴史学者の先生と出かける「岡崎!家康公の人生の岐路めぐり」。

憧れの先生と、ご一緒なので、岡崎の暑さも気にならず・・・
・・・とはいかず、やっぱりドロドロ、暑さで溶けていく気分。


そんな酷暑の日盛りに訪ねたのが、
岡崎市郊外にある浄土宗西山深草派の寺、
二村山(にそんざん)法蔵寺。

家康公・手習いの書と三方原戦没者の墓がある寺として知られ、
わたしもTV番組を観た。



境内を歩くと、三方ヶ原の墓以前に、「近藤勇の首塚」に出会う。
近藤勇と言えば、新選組の局長。
武蔵国(現・東京都調布市)生まれ。

なぜ、三河に?


お寺の解説板をザックリまとめると、以下の通り。

明治初年、戊辰戦争で敗走続きの近藤は、捕縛され、
江戸、板橋の刑場で処刑される。
その首は、京に送られ、三条川原でさらされた。

3日後、同志がその首を奪い、
近藤が敬慕していた、新京極裏町の和尚に頼み、
埋葬してもらうことにする。

ところが、和尚は、その半年前に、
ここ岡崎の法蔵寺・貫首へと転任。
それで、この寺に納めることになったのだとか。

近藤と言えば、当時は首をさらされるほどの極悪人。
世間をはばかり、首塚があることは秘密にされた。
(しかも御首は盗んだんだし)

山の中にあり、鬱蒼と樹木が生い茂った、この地でも安心できないと
石碑は土で覆い、無縁仏を装った。
そうして、いつしか、近藤の首塚は忘れられ・・・

時は流れ、90年後、昭和33(1958)年。
総本山の記録などに基づき、調査が行われ、発見されたのだという。



その後、塚の土砂をとりのぞき、近藤の胸像が建てられ、ご供養、
今に至るとのこと。

本堂にも、浅黄色のダンダラ羽織が飾られていた。
そういうゆかりだったのか・・・
御縁だ。



近藤さんには失礼ながら・・・
もしも首塚の主が、トシさんこと土方歳三だったら?

聖地巡礼の如く、参拝者が絶えないい気がする。



お寺については、いずれまた。


余談だが、語り部さんのお話では、
近々、近所にアウトレットモールが建設されるとのこと・・・
そうなると景色も一変の大混雑が予想される。

ひっそりと近藤の首塚が存在していた山里だ。
発見までに90年、それからだって60年以上、
実に150年のあいだ、存在していたのは、この地ならではだろう。

そのたたずまいを感じられるのも、あとわずかかもしれない。


📷首塚の石碑は、画像を撮影することを遠慮しました。

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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

本日、8月6日、広島平和祈念の日。
歴史は大好きですが、人類の歴史は戦の繰り返しでもあり、
暗澹とすることも、しばしば。

今に感謝すると同時に、
歴史とも、しっかり向き合って行きたいと思っています。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
syuuさま (ぴあ野)
2023-08-08 09:08:43
あははは、syuuさん、最高ですっ!
笑いました~
いつもながら小気味よいコメントが痛快です。
ありがとうございました♫
返信する
私は逆? (syuu)
2023-08-08 08:09:19
あらまぁ!
何で岡崎に?
同じ気持ちです。
調布で生まれ、岡崎に葬られる。私は逆かな?
返信する

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