![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/fd/abba8c6b4f33f8aaffc6f590dffff032.jpg)
「幻の大本営」、松代大本営地下壕・・・
「六文銭」の真田・10万石の城下町の地下に
巨大な戦争遺跡があります・・・
(アウトラインは前々記事「『幻の大本営』へ」をご覧下さい。)
(松代・海津城)
3回目の本日は、舞鶴山地下壕の見学記です。
といっても、この日は「見学日」ではないため、
地下壕も「天皇御座所」も、外から眺めただけでした。
今まで案内してくださった、
松代大本営平和記念館Kさんもいらっしゃいません。
ガイドさんがいないってことは、こんなにもザックリしちゃうんですね。
さて、舞鶴山地下壕。
象山地下壕から、車で10分もかからず到着。
きれいな「和風のトイレ」(Kさんの言葉)のあるスペースが駐車場です。
その後ろには、既に、地下壕の入り口も見えています。(↓)
まずは、舞鶴山南斜面にある、天皇「御座所」跡へ。
何の変哲もない鉄筋コンクリートの建物ながら・・・
屋根のコンクリートは厚さ約1m!
その上にカムフラージュ用の土をのせ、草まで生やした!
鉄骨入りの壁も厚さは40cm!
連なった3棟の平屋は、高いところからⅠ号舎(天皇・侍従・侍従武官室)、
左へⅡ号舎(皇后)、Ⅴ号舎(宮内省・事務室・会議室)となっており、
それぞれ階段でつながっています。
サッシ以外は、当時のままの建物です。
坂を下り、駐車場から見えた、舞鶴山の南側、入り口へ。
現在は「気象庁地震火山部地震波監視精密地震観測室の大坑道」(長いっ!)と
呼ばれています。
ここは、大本営参謀本部が入る予定だった壕(Ⅳ号舎)です。
(↑)入り口は、がっしりしたコンクリート・・・
中をうかがうこともできません。
舞鶴山の施設は、昭和22(1947)年から中央気象台、
昭和24(1949年)からは気象庁地震観測所が使っています。
この地下道は総延長2.6キロ、
終戦当時、掘削計画の9割が進んでいました。
松代移転先での天皇「御座所」に参謀本部、
最重要ポイントゆえに、1番急がせられたのかもしれません。
こんなに、のどかな山間の里に
もんのすごく、莫大な資金と労働力を費やしているのに・・・
ウクライナ問題を見ていても思うのですが・・・
戦争は、資金も物資もどんどん費やし、
身体も心も、どんどん蝕まれ、命も亡くす・・・
喪うばかり。
お付き合い頂いた皆さま、どうもありがとうございました。
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本ブログは、以下の資料を参考にまとめました。
素人の備忘録ゆえ、間違いもあるかもしれませんが、
どうぞ、ご容赦下さいませ。
◆参考
●松代大本営の保存をすすめる会編『フィールドワーク松代大本営ー学び・調べ・考えよう』平和文化
●NPO法人松代大本営平和記念館「松代大本営」パンフレット
●長野市観光振興課「第二次世界大戦の遺跡 松代象山地下壕」パンフレット