歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

横須賀・第三海堡へ

2023-10-09 17:01:38 | 神奈川県
横須賀、追浜で、ウォーキングツアー
「貝山地下壕と第三海堡遺構見学」に参加した。
ご案内は、NPO法人よこすかシティガイド協会の皆さん。

まずは、「第三海堡」見学記。



ところで「海堡」って、何?

「海堡」とは、「かいほう」、海上に建設された砲台のこと。
幕末、対外的な危機を感じ、建築が提案されたものの
当時は、財政的・技術的な問題が大きく、却下されている。

それが具現化したのが、明治になってのこと。
東京湾要塞計画の元で具現化した。



これが、とんでもない建設なのだ。

まず、東京湾に割栗石(岩石を小さく砕いた石材)を投下し、
外枠を造る。
次に、土砂を入れ、人工の島にする。
そこへ砲台を建設するのだ。
もちろん、大砲や兵舎、火薬庫も必要。
それが海堡。膨大な費用と時間がかかる
結局、建設されたのは、東京湾の3基のみだった。

しかも、だ。

この第三海堡は、わずか2年しか使われていない。
建設には、明治25(1892)年から大正10(1921)年までと、
29年もかかっている。

横須賀沖に浮かぶ、この現場で働いたのは、横須賀市民ではなく、
圧倒的に千葉県出身者、それも対岸の富津地区の住民が多かった。

工事に必要な潜水などの技術力を持った者が多く、
また富津と横須賀との間は、7,8㎞の海峡、
船で行き来をする時代には、海が荒れない限り、
問題ではなかったわけだ。

必要な小石は、東京湾沿岸で調達され、
横須賀の旗先山は、三分の一が掘削され、
形が大きく変わってしまったほどだた。

これほどの費用、資材、時間、労働力をかけながら、
わずか二年で、海堡の使命は終えてしまう。

大正12(1923)年9月1日の関東大震災で水没してしまったからだ。

東京湾は、ただでさえ船舶の交通量が多く、緊張する海であるところへ
この大きな人工の島が沈んでいては、危険極まりない。

迷惑千万・・・と邪魔者扱いにされながら、
結局、撤去されたのは、なんと平成19(2007)年!

造るのも大変だったが、
引き上げるのも、また膨大な費用と技術力を要したからだ。
それにしても、太平洋戦争中も、そのままだったと思うと、呆れてしまう。


(砲台砲側庫)


(観測所)


(探照灯)


引き上げられた構造物の一部は、横須賀市内2ヶ所で展示されている。
その後、2018(平成30)年に神奈川県指定重要文化財 に指定された。

今回、見学したのは、夏島の第三海堡遺構展示場にある、
「砲台砲側庫」「観測所」「探照灯」だ。
大型兵舎は、平成町のうみかぜ公園で展示されているそうだ。

わたしは土木系には疎いので、説明をうかがっても、
案内板を読んでも、全て頭を素通りしてしまったので、
ご興味のある方は、調べていただきたい。
(と、丸投げで申し訳ないです)



感想を言うならば・・・

デカいっ!
ものすごい技術力であることは、土木オンチのわたしにも、わかる。

驚くことに、この技術力を、アメリカに提供しているのだ。
1898年の米西戦争後、アメリカ陸軍は、
チェサピーク湾口に海堡建設を計画しており、
日本へ海堡建設に関する資料の提供を求めたのだという。
日本陸軍は、これを速やかに了承。
英訳までして、アメリカ陸軍へ提供したそうだ。

これって、軍事機密事項ではないのか!?
などと、令和の市民はあたふたしてしまう。

高村聰史は言う。
「開国からすでに五〇年、西洋から新しきを学びつつも、
日本の伝統を基礎とした土木技術が西洋に追いつき、
そして追い越した歴史的瞬間だった」(51頁)

明治、陸軍の人々は、己の技術力への自信を胸に、
誇らしく、引き渡したのだろう。
そんな暢気なことを言っていられないのは、令和の今だからか。



以下、言い訳:
ツアーに参加し、早、一ヶ月が過ぎようとしている。
当初は、軍港都市・横須賀について、もっとしっかり知識をもってから
記事にまとめようと志が高かったのだが・・・

ムリ。

毎日、バタバタで、とてもそんな余裕がないので、見切り発車。
そもそも印象がどんどん薄れているので、
とりあえず、アップ。
これから、わたしの情報や知識が身についてきたら、
また見直すということにしたい。

************************
おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

以下の資料を参考にまとめましたが、
間違いや勘違いはあることと存じます。
素人のことと、お許し下さいませ。

参考:
◆高村 聰史『歴史文化ライブラリー “軍港都市”横須賀―軍隊と共生する街』
  吉川弘文館


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