川奈紀美『女も戦争を担った~昭和の証言』(河出書房新社)を読み終えた。
朝日新聞記者である著者が、昭和50年代(1970年代頃か)、
戦争に関わった女性を取材し、その言葉をまとめている。
1982年(昭和57)の新装版と言うから、
何となく知っているような話題もチラホラ。
たとえば、俳優の故・三國連太郎氏が徴兵忌避で逃亡をしたが
母親に「密告」された・・・というエピソードなど。
息子の佐藤浩市さんが「俳優としてめきめき頭角を現している息子さん」
と表現される時代だ。
昭和は遠くなりにけり。
中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」は
昭和6(1931)年の句、明治終焉(明治45/1913)からは、20年足らず。
一方の昭和終焉から令和の今まで、もう34年。
そりゃ遠くなるはずだ!
さて、この本に書かれている
太平洋戦争中、女性も戦争に加担していたということ。
女性が夫や息子を戦地へ送り出し、よよ・・・と
泣き崩れているだけのイメージは、
もうとっくにないだろう。
その嚆矢のひとつが本書だったかもしれない。
全13章。
女性が戦争中の体験を語る。
国民学校(小学校)教員、「国防婦人会」の幹部、沖縄の軍属だった女性だ。
また、戦後の立場も、さまざまだ。
戦後30年ほどの体験者の声は生々しい。
(令和の今から振り返ったら、30年って、ついこのあいだ、
平成なんだよね~)
怖かったのは、国民学校の新任教員として働いた、
女性の証言。
エスペラント語を学んで平和を願い、
この戦争の無謀さを感じていた人が
着任したら、あれよあれよと戦争中の「模範的教員」に。
過酷な教練を強いて、子ども達をしごき、
ついてこられない子どもには迷うことなく体罰・・・
バリバリの皇国教育を行う・・・
「自分の置かれている立場や仕事に熱中する性格なんですね。
環境にすっぽりはまり込んで、まわりが見えなくなると言うか」64頁
とは、当時を振り返った御本人の弁。
・・・それは、わたしのことじゃありませんか!?
ああ、する!同じ事を絶対に私もする。
同じ状況にいたら、間違いなく私もした。
だからこそ、いつも俯瞰する姿勢を持たねばと、自戒、自戒。
一方で、国防婦人会。
これは去年だったか、NHKの特集でも観ている。
国防婦人会とは、満州事変の後、大阪から全国へと広がった女性の活動。
白タスキに割烹着をつけ、女性は「銃後」を守ろうと、
戦争協力に励んだ。
戦地へ慰問袋を送るのも、この会だったとか。
大家の若奥様だった人も証言する。
姑が一切活動させてくれなかったが、幹部が説得してくれたおかげで
お許しが出て、外に出られるようになった、と。
社会的に抑圧されていた時代、
この会は、女性が堂々と自分の意思で活動できる会だったわけだ。
幸い・・・
まだまだ道の途中ではあるが、
令和の今は、女性の社会進出も当たり前の時代になっている。
戦争協力を社会への扉にする必要はないわけだ。
けれども・・・
もしも状況が分からなかったら?
あの戦争は、当時「聖戦」と、多くの人が信じ込まされていたから
国民は戦争を支持したのではなかったか?
いくらあの時代だって、世論の支持がなければ、開戦には踏み切れない。
当時、国民に「真実を知らせないための法律」は、
なんと26もあったという。
治安警察法、治安維持法・・・などなど。
加えて・・・
国の言う報道をしなければ紙をもらえない新聞社、
短波ラジオをもつだけで罰せられる国民、
事実を知ることは、一般市民には不可能だったわけだ。
(今、近くのあの国、この国をみればも察せられる状況だよね)
状況がわからなかったら、間違った情報を鵜呑みにして、
走り出してしまうかも知れない。
(コロナの時を思い出すんだよね)
だから情報はきちんと知りたい。
ああ、でも、そもそも、その情報が正しいかを見極める
情報リテラシーを養わなくちゃね。
そのためには、文学・哲学・・・
普遍の知恵を知る文系科目も大事なんじゃないかな。
ガザへの攻撃が始まってから怖くてたまらない。
ウクライナの戦争は数ヶ月で終わるのではなかったか?
それだけにウクライナの開戦時以上に、怖い。
とはいえ、ふだんは暢気そのもの。
人との交流も限られる、狭い暮らしだ。
だから、せめて過去の歴史は知りたいと思う。
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