歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

3月10日~東京大空襲の日に

2023-03-10 09:06:03 | いろいろ
今週、年配の女性と話す機会があった。

県央(神奈川県中央部)の相模原市に
お住まいの女性は、おっしゃる。

「わたしは、まだ4つだったけれど、
空襲警報がなると、母が怖い顔をして、『早く早く』ってせかしてね・・・
子どもだから、なんだかわからないでしょう?

でも、八王子が空襲されたときは覚えているの。
八王子の方の空が真っ赤でね・・・
ああ、きれいだなぁ・・・って」

その話をすると、
「相模原に空襲はなかったはずだよ、
でも八王子のはひどかったからね~」と知人。

いずれにしても、80年近く前の幼女の記憶は鮮明だ。



この女性は、母と同年輩・・・

そういえば、
母も、空襲を「花火みたいだな、きれいだな」と
思ったと言っていたっけ。
空襲の最中、顔を上げて見とれるものだから
祖母に、頭を地面に押さえつけられたそうな。



本日、東京大空襲(下町空襲)の日。

太平洋戦争敗戦の半年近く前、
1945(昭和20)年3月10日、未明、アメリカ軍に
軍需工場の並ぶ、東京の下町が狙われた。

あのあたりは、木造家屋の密集する地域でもある。
降りそそぐ焼夷弾に、あちこちで火の手が上がり、
たちまち火の海となり、多くの人が亡くなった。
その数10万。

その様子は、さまざまに伝えられ、小説やエッセイでも、
昭和のベストセラー、高田敏子「ガラスのうさぎ」を初めとし、
近年なら、角野栄子『トンネルの森 1945』(KADOKAWA )など
連綿と続いている。
どの作品も襟を正す思いで読んできた。


今、その語り手の方々は?

角野栄子氏だって、御年88才。
去年、長く東京大空襲を語ってこられた、
早乙女勝元氏も、90歳で亡くなっている。

戦争を知る人たちが、お元気なうちに、
しっかりと声を聞いておきたい。



ウクライナの、いつ果てるとも知れぬ戦いを見る度に
戦争は始めたら、止めることは難しい、と痛感する。

先の戦争でも、日本の死者数360万人のうち、
最後の1年の犠牲者は200万人と聞いている。
数字は私の記憶だが、
とにかく戦争を早く止めていれば
半分以上の方々の命は喪われなかったはず。

ロシア軍の原発攻撃の危機を見ると、
そのことを思わずにはいられない。



東京の下町は、
今年100年目となる、1923(大正12)年9月1日の
関東大震災でも、甚大な被害を出した。
アメリカ軍は、そのときのデータを基に、
下町への空襲作戦を練ったという。

その結果、3月10日が選ばれた。
春の風が強く吹いていたからだ。

風の強い日に、焼夷弾による火災が起きれば、
下町はひとたまりもないことは
関東大震災のデータから、わかっている。
アメリカ軍にとって空襲の「効果」が高い日を選んだのだ。

おそろしい。



今日、78年目の3月10日の朝も、風が強く吹いている。
それでも、庭に出れば、沈丁花の香りが漂う。

あの日、街は、一夜にして焦土となり、
嫌な匂いが立ちこめていたはずだ。
馥郁たる沈丁花の香りを、どこかで感じられただろうか。


明日は3月11日。
東日本大震災から12年だ。
鎮魂の日が続く。

合掌。

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お読みいただき、どうもありがとうございます。
数字など歴史的記述は、私の記憶で、確認をしておりません。
間違いや勘違いは素人のことと、お許し下さいませ。

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