最近休日の朝を「寝過ぎ」で失っていたので、起きられてちょいとうれしい。
同業の方との話の中で子どもへの対応が話題になった。
「やさしく言ったのでは言うことを聞かない」
「努力やできたことを認め、適切に行動できるように勇気づけていくことがうまくいかない」
「最初から(黄金の3日間とか)きつくビシッと言うべきだった」
うちのクラスにも課題が多い。
なかなか適切な行動が身に付かない。ルールの徹底ができない。
子どもには「ほめる(認める)」「叱る」のバランスが重要で初めから「叱る」ことも対応に入れていかなければならない。
確かにそうだと思う。
そう思うけれどそれだけではない気がする。
できれば、子どもを待ち、一人ひとりの気付きや仲間の声かけによって個人とクラスの向上的な変容を期待したい。
しかし、適切な行為を知らなければ教えなければならない。
それをせずにただ待っていてもできるようにはならない。
では、どのように教えればいいのか。
間違ったとき、なかなか成果が見えないときにどう対応すればいいのか。
不適切な行為に注目を与えないようにして、適切な行為を認めてそれが身に付くよう勇気づけていく。
叱るべきときには短くさっぱり叱る。
それだけでなく、目の前の子どもたちはどんな働きかけなら動くことができるのかを早い段階で見取ることが必要な気がする。
強く言わないと言うことを聞けない子どもたち
彼らに対して「認めて勇気づける」ことだけの対応でいいのか。
自ら考えて動けるようになるのか。
目の前の子どもたちは、真っ白な状態でそこにいるのではなく、それぞれの家庭でのしつけの仕方、言うことの聞かせ方、これまでの担任の指導などを経験にもって、それが血となり肉となっている。
強い言い方でしか言うことが聞けなくなっている子ども・集団に、間違いに穏やかに言葉かけをし、ほめて認めていく「だけ」の対応では厳しいように思う。
クラスづくりの達人ならできるのかもしれないけど、なかなかわたしのような庶民には難しい。
なかなか適切な行為ができないときには厳しい口調で何度も伝える。(言い方の工夫は必要だろう。)
強い言い方をすればできるのであれば、できる瞬間がある。できたとき努力がみられるときに大いに認め、だんだん強い口調でなくても動ける、自分で判断し行動できる子どもに育てていくという流れが考えられるのではないか。
ただし、1年間を通じて自分が「強く言って言うことを聞かせる」対応に終始すれば次の担任もその対応をしないと言うことを聞けない子どもになることは明らかである。どんな子ども・集団になればいいのかというゴール像をもって対応にあたらなければならない。
クラス開き後何日かは、緊張もあり適切な行為をすばやくできるかもしれない。
小さな緩みがみられたときがポイントかもしれない。こちらの対応に対する子どもの反応を見て、実態を見取って戦略を練っていくのがよいと思う。みんなやってるあたりまえのことかもしれない。。
年度の途中でうまく子どもたちが動かないと気づいたら、こちらの働きかけを見直してみるといいかもしれない。
子どもの今の実態に合わない対応をしてしまっているのかもしれない。
途中で変えるのはなかなか難しいようにも思える。
でも自分の対応がよくない行動を継続させている悪循環があるのだとしたら、工夫しながら変えていく必要がある。
ただ。。
ベースにあるのは信頼関係であることは言うまでもない。
また、厳しい対応 待つ対応 指導とフォローの対応 勇気づける対応 といった「対応」のみが結果としてあられる子どもの姿につながるのではなく、普段のかかわり、ノートへのコメント、学級の組織のつくりかたなど教育活動は様々な要因が絡み合っていることも頭に入れておかなければならない。
さらに個人をみる視点・クラス全体をみる視点・あせらない長期的な視点をもつことも大事だと言える。
。。。んじゃ、みんな大事なんじゃん。
みんなやっていかなきゃならないんじゃん。
ま、そうなんだけど(^_^;)、子どもの現状と教師の対応という点で考えたとき、ゴールをイメージした上で、実態をちゃんとみきわめて、柔軟に働きかけていく必要があるな、という独り言。
「上から叱る」「感情をあらわにして怒る」ことは「ダメ」とされていることが多いけれど、その対応も実態に応じてはありうるということ。
そういった対応への罪悪感を払拭して、思い描く年度末の子どもの姿に向けて働きかけていけばいいんじゃないかと思ったのです。
洗濯しないと。
はちまきも洗って干しましょうかね。
同業の方との話の中で子どもへの対応が話題になった。
「やさしく言ったのでは言うことを聞かない」
「努力やできたことを認め、適切に行動できるように勇気づけていくことがうまくいかない」
「最初から(黄金の3日間とか)きつくビシッと言うべきだった」
うちのクラスにも課題が多い。
なかなか適切な行動が身に付かない。ルールの徹底ができない。
子どもには「ほめる(認める)」「叱る」のバランスが重要で初めから「叱る」ことも対応に入れていかなければならない。
確かにそうだと思う。
そう思うけれどそれだけではない気がする。
できれば、子どもを待ち、一人ひとりの気付きや仲間の声かけによって個人とクラスの向上的な変容を期待したい。
しかし、適切な行為を知らなければ教えなければならない。
それをせずにただ待っていてもできるようにはならない。
では、どのように教えればいいのか。
間違ったとき、なかなか成果が見えないときにどう対応すればいいのか。
不適切な行為に注目を与えないようにして、適切な行為を認めてそれが身に付くよう勇気づけていく。
叱るべきときには短くさっぱり叱る。
それだけでなく、目の前の子どもたちはどんな働きかけなら動くことができるのかを早い段階で見取ることが必要な気がする。
強く言わないと言うことを聞けない子どもたち
彼らに対して「認めて勇気づける」ことだけの対応でいいのか。
自ら考えて動けるようになるのか。
目の前の子どもたちは、真っ白な状態でそこにいるのではなく、それぞれの家庭でのしつけの仕方、言うことの聞かせ方、これまでの担任の指導などを経験にもって、それが血となり肉となっている。
強い言い方でしか言うことが聞けなくなっている子ども・集団に、間違いに穏やかに言葉かけをし、ほめて認めていく「だけ」の対応では厳しいように思う。
クラスづくりの達人ならできるのかもしれないけど、なかなかわたしのような庶民には難しい。
なかなか適切な行為ができないときには厳しい口調で何度も伝える。(言い方の工夫は必要だろう。)
強い言い方をすればできるのであれば、できる瞬間がある。できたとき努力がみられるときに大いに認め、だんだん強い口調でなくても動ける、自分で判断し行動できる子どもに育てていくという流れが考えられるのではないか。
ただし、1年間を通じて自分が「強く言って言うことを聞かせる」対応に終始すれば次の担任もその対応をしないと言うことを聞けない子どもになることは明らかである。どんな子ども・集団になればいいのかというゴール像をもって対応にあたらなければならない。
クラス開き後何日かは、緊張もあり適切な行為をすばやくできるかもしれない。
小さな緩みがみられたときがポイントかもしれない。こちらの対応に対する子どもの反応を見て、実態を見取って戦略を練っていくのがよいと思う。みんなやってるあたりまえのことかもしれない。。
年度の途中でうまく子どもたちが動かないと気づいたら、こちらの働きかけを見直してみるといいかもしれない。
子どもの今の実態に合わない対応をしてしまっているのかもしれない。
途中で変えるのはなかなか難しいようにも思える。
でも自分の対応がよくない行動を継続させている悪循環があるのだとしたら、工夫しながら変えていく必要がある。
ただ。。
ベースにあるのは信頼関係であることは言うまでもない。
また、厳しい対応 待つ対応 指導とフォローの対応 勇気づける対応 といった「対応」のみが結果としてあられる子どもの姿につながるのではなく、普段のかかわり、ノートへのコメント、学級の組織のつくりかたなど教育活動は様々な要因が絡み合っていることも頭に入れておかなければならない。
さらに個人をみる視点・クラス全体をみる視点・あせらない長期的な視点をもつことも大事だと言える。
。。。んじゃ、みんな大事なんじゃん。
みんなやっていかなきゃならないんじゃん。
ま、そうなんだけど(^_^;)、子どもの現状と教師の対応という点で考えたとき、ゴールをイメージした上で、実態をちゃんとみきわめて、柔軟に働きかけていく必要があるな、という独り言。
「上から叱る」「感情をあらわにして怒る」ことは「ダメ」とされていることが多いけれど、その対応も実態に応じてはありうるということ。
そういった対応への罪悪感を払拭して、思い描く年度末の子どもの姿に向けて働きかけていけばいいんじゃないかと思ったのです。
洗濯しないと。
はちまきも洗って干しましょうかね。