昨日の「ゆらぎ」をきっかけに『自己組織化する学級』をじっくり読み直した。
目指す「自治ある学級」の姿を自分の中でもう少しはっきりさせたかった。
「自己組織的な学級集団を生む理論(オートポーエイシス)は、自らの手で自らを組み替えようとする理論である。自らの経験の質を転換し、連続して産出する行為の機構を転換することが求められる。」(p.146)
個々の違いが認められ、それぞれの行為、相互交流によって新たなルールを生み出し、集団をそして所属する個も変えていく学級集団という感じだろうか。
その基盤には、秩序を守る「最小限のルール」と、一人ひとりが居場所を感じることのできる「親和的な人間関係」が、やはりなくてはならないと考える。「学級集団発達の位相」として、(a)不適応:maladjustment(b)適応:adjustment(c)成熟:grow-upの3つが示されている。(c)の成熟の位相が自己組織化するオートポーエイシスの学級であろう。不適応の学級状態から、大きなゆらぎによって強い志向性が生まれたときには一気に成熟の学級へ劇的に変容することもあるというがそれはまれであろう。滅多にあることではない。大切なのは、ルールとリレーションの確立した適応状態の学級の相を経ることだと思う。そこから自己組織化する学級への成長を目指したい。
何の問題もなく平穏な学級は、見方を変えれば、膠着状態に陥った閉じてしまった学級と言える。子どもが責任ある市民として成長していくには、一人ひとりが自他を認め、集団内のゆらぎを歓迎し、自分たちの行為、かかわりによってルールを集団全体をどんどん変化させていく開いた学級であることが望ましいのだろう。そこを目指したい。
目指す学級の姿を求めてもがいてみた。「自己組織化する学級」と、「自治ある学級」はかけ離れたものではなかった。同じようなことを言っていると言ってもいいだろう。ただ、自分のとらえが甘かった。具体的姿が見えていなかった。それが今回少しクリアになったと言える。ただ、現代の子どもはその手前でつまづいている。人間関係をうまくつくれない、ルールを守って集団で過ごせないといった報告は多い。自己組織化する学級を視野に入れつつ、「適応」状態の学級づくりの原理原則をこれまで通り、がっちりおさえていきたい。
『自己組織化する学級』を読みつつ、学級づくりのベースはやはりアドラー心理学に基づくもので間違いはなさそうだと強く感じたのでありました。
目指す「自治ある学級」の姿を自分の中でもう少しはっきりさせたかった。
「自己組織的な学級集団を生む理論(オートポーエイシス)は、自らの手で自らを組み替えようとする理論である。自らの経験の質を転換し、連続して産出する行為の機構を転換することが求められる。」(p.146)
個々の違いが認められ、それぞれの行為、相互交流によって新たなルールを生み出し、集団をそして所属する個も変えていく学級集団という感じだろうか。
その基盤には、秩序を守る「最小限のルール」と、一人ひとりが居場所を感じることのできる「親和的な人間関係」が、やはりなくてはならないと考える。「学級集団発達の位相」として、(a)不適応:maladjustment(b)適応:adjustment(c)成熟:grow-upの3つが示されている。(c)の成熟の位相が自己組織化するオートポーエイシスの学級であろう。不適応の学級状態から、大きなゆらぎによって強い志向性が生まれたときには一気に成熟の学級へ劇的に変容することもあるというがそれはまれであろう。滅多にあることではない。大切なのは、ルールとリレーションの確立した適応状態の学級の相を経ることだと思う。そこから自己組織化する学級への成長を目指したい。
何の問題もなく平穏な学級は、見方を変えれば、膠着状態に陥った閉じてしまった学級と言える。子どもが責任ある市民として成長していくには、一人ひとりが自他を認め、集団内のゆらぎを歓迎し、自分たちの行為、かかわりによってルールを集団全体をどんどん変化させていく開いた学級であることが望ましいのだろう。そこを目指したい。
目指す学級の姿を求めてもがいてみた。「自己組織化する学級」と、「自治ある学級」はかけ離れたものではなかった。同じようなことを言っていると言ってもいいだろう。ただ、自分のとらえが甘かった。具体的姿が見えていなかった。それが今回少しクリアになったと言える。ただ、現代の子どもはその手前でつまづいている。人間関係をうまくつくれない、ルールを守って集団で過ごせないといった報告は多い。自己組織化する学級を視野に入れつつ、「適応」状態の学級づくりの原理原則をこれまで通り、がっちりおさえていきたい。
『自己組織化する学級』を読みつつ、学級づくりのベースはやはりアドラー心理学に基づくもので間違いはなさそうだと強く感じたのでありました。