教師☆学校心理士のセルフカウンセリングルーム

学校心理士によるつぶやき。教師の悩み・試行錯誤に寄り添うブログです。

自己組織化する学級

2009年07月30日 | Weblog
昨日の「ゆらぎ」をきっかけに『自己組織化する学級』をじっくり読み直した。
目指す「自治ある学級」の姿を自分の中でもう少しはっきりさせたかった。

「自己組織的な学級集団を生む理論(オートポーエイシス)は、自らの手で自らを組み替えようとする理論である。自らの経験の質を転換し、連続して産出する行為の機構を転換することが求められる。」(p.146)

個々の違いが認められ、それぞれの行為、相互交流によって新たなルールを生み出し、集団をそして所属する個も変えていく学級集団という感じだろうか。

その基盤には、秩序を守る「最小限のルール」と、一人ひとりが居場所を感じることのできる「親和的な人間関係」が、やはりなくてはならないと考える。「学級集団発達の位相」として、(a)不適応:maladjustment(b)適応:adjustment(c)成熟:grow-upの3つが示されている。(c)の成熟の位相が自己組織化するオートポーエイシスの学級であろう。不適応の学級状態から、大きなゆらぎによって強い志向性が生まれたときには一気に成熟の学級へ劇的に変容することもあるというがそれはまれであろう。滅多にあることではない。大切なのは、ルールとリレーションの確立した適応状態の学級の相を経ることだと思う。そこから自己組織化する学級への成長を目指したい。

何の問題もなく平穏な学級は、見方を変えれば、膠着状態に陥った閉じてしまった学級と言える。子どもが責任ある市民として成長していくには、一人ひとりが自他を認め、集団内のゆらぎを歓迎し、自分たちの行為、かかわりによってルールを集団全体をどんどん変化させていく開いた学級であることが望ましいのだろう。そこを目指したい。

目指す学級の姿を求めてもがいてみた。「自己組織化する学級」と、「自治ある学級」はかけ離れたものではなかった。同じようなことを言っていると言ってもいいだろう。ただ、自分のとらえが甘かった。具体的姿が見えていなかった。それが今回少しクリアになったと言える。ただ、現代の子どもはその手前でつまづいている。人間関係をうまくつくれない、ルールを守って集団で過ごせないといった報告は多い。自己組織化する学級を視野に入れつつ、「適応」状態の学級づくりの原理原則をこれまで通り、がっちりおさえていきたい。


 『自己組織化する学級』を読みつつ、学級づくりのベースはやはりアドラー心理学に基づくもので間違いはなさそうだと強く感じたのでありました。

苦悩の果てに

2009年07月30日 | Weblog
うれしい揺さぶりにあった。先輩とのプレゼン資料づくりを通してである。大変悩み、途中でほんとうに面倒になったが、実に価値のある苦悩の時間になったと思う。

学級づくりで目標とする集団を自治のある集団と捉えていた。侵害し合わない、認め合う温かい人間関係のある集団にとどまらない、対話のある、自治のある集団。
しかし、その目指す「自治ある学級」の捉えが甘いことに気付かされた。
「自治」とは『例解 新国語辞典』(三省堂)によると、「団体や組織で、自分たちの問題を自分たちで処理すること。」となっている。私のとらえも漠然と、自分たちで問題解決し、学級運営を自分たちの手で行っていく、そんな感じであった。それは確かに間違っていなかったのだが、『自己組織化する学級』蘭千壽 高橋知己著 誠信書房(2008)にある「自己組織化する学級」という視点にハッとさせられた。まだしっかり理解できていないので要勉強なのだが、個々の創出を管理を崩すものとして疎ましく思うのではなく歓迎する、個々のふるまいと集団とが影響を及ぼしあう、活動の連続が集団の変化を生んでいく、そんなイメージである。「ゆらぎ」という言葉が出てくる。
「ベテランと呼ばれる熟達した教師が待っているのは、このゆらぎが起こる瞬間である。ゆらぎのもつエネルギーは、それまでの既存の価値を再体制化し、新たな秩序の構築へと向かわせるエネルギーをもっている。そのゆらぎの瞬間を捉えて学級集団を再構築しようというのだ。」(p.13)
「ゆらぎ」とはいわゆる「ハプニング」や「トラブル」「失敗」「衝突」といったものだととらえる。したがって、自己組織化する学級とは「トラブルをチャンスとして積極的に生かす学級」と言える。そして、個と集団が平衡状態に陥らず、絶えず変容し続けていく学級なのだと思う。イベントを生かすというのも、イベント達成の過程には多くのゆらぎが発生するからではないか。なるほどと思った。

単なる問題解決の自治ではなく、それを通して個も集団も変容していくという自己組織化する学級のイメージも自分の考えに取り入れたい。

さて、「クラス会議」は「ゆらぎ」を生み出すこともあり、そしてそれを生かす絶好の場である。クラス会議を中心に据えた学級づくりは、やはり有効なのだと改めて思った。

よくわかっていないまま、でも忘れないようにアウトプットしている。これからもう少しきちんと理解して整理していきたい。

マイペース・マイペース

2009年07月29日 | Weblog
天候が不安定。
各地で大雨や竜巻などの被害が出ている。
自然の力の強大さに人間はあまりにも無力であることを痛感する。
被害に遭われた方々のご冥福とご回復、一刻も早い復旧復興を祈ります。


最近息切れしているかんがあるが、いろいろなところから刺激をいただきつつ、マイペースで勉強ている。

子どもを「責任ある市民」に育てたいと思って勉強をしている。だったら、自分自身もそうあるべく努力するべきだと思う。それとこれとは別ってことでは説得力がない。最近、共同体の中で自分はどうあるべきか、周りの人に対して自分はどうかかわるべきか、少しずつ見えてきている気がする。自分とは考えの合わない上司がいたとして、自分はどうすべきか。やることなすことうまくいかない、自分はダメだなぁ。。なんて思いそうになったときどうするか。などなど。。少しずつ「こうするといいんじゃないかな」という意見がもてるようになってきた。

相手を尊敬すること、人の行動には目的があること。人それぞれに考え方のパターンがあり、それを正しいと信じて生活していること。問題・トラブルが発生したとき、問題の解決に焦点を当てて考えること。Win-Winの解決策を目指すこと。失敗から多くのことを学ぶこと。。

子どもに身に付けさせたいこと(考え方でもスキルでも)は、自分が身に付けたいこと。以前は今のような考え方はできなかった。学ぶことで多くのことに出会っている。自分が少しずつでも変わることができていることはうれしい。まあ、生意気言っても少し背伸びして今まで見えなかった世界が見えるようになったくらいのことなんだけれど。

そして、自分がいくら情報を得て理論と方法を持つことができたとしても、一人でできることはたかがしれている。人間は社会的な生き物。周りの人と相乗効果を発揮し合ってこそよい仕事、生活ができるというもの。それは肝に銘じつつ、周りとつながりながら伸びていけるよう日々学び続けたい。

局面指導

2009年07月17日 | Weblog
コーヒーが好きでよく飲む。
日々、コーヒーメーカーにお世話になっている。
でも最近ちょいとホットだと暑い。。
アイスコーヒーはアイスコーヒー用の豆の方がいいのだろうなぁ。。と思い、コーヒーメーカーくんには頼らずスーパーでボトルを買ってきた。涼しいおいしい。アイスも悪くない。


『「局面指導」が学級を変える』広山隆行著 日本標準2009
勉強不足極み。。「局面指導」という言葉を初めて知った。
本書で「局面指導」は「ある場面における子どもの不十分・不完全な言動をよりよい方向に正すための指導」と定義している。学校教育全体を通じて行う道徳教育実践という視点である。言葉の響きからことが起きたら対応するという消極的な生徒指導というイメージがあるが、それはもちろん指導内容として含むものの予防・開発的な指導を重視している。目指す子ども像を立て、そこに導くための指導である。「局面指導」と言う言葉を意識していなくても、教師の欠かせない重要な教育実践である。5箇条の心構えが示されている。「1.具体像を持て2.ふるいにかける3.ゆずれない一線を持て4.しつこく続けよ5.みんなで伸びよ」なるほど、と膝を打つ内容である。この心構えと、自分の哲学を持って指導にあたることが大事なのだと思う。具体的な子ども像、子どもの行為レベルにまで具体化した像を持って、そこにどう持っていくかを考えなくてはならない。そして、自分の哲学を持って一点突破する。何をまず目指すか。見て評価できるものにするとよいという。返事、あいさつ、下駄箱の靴、挙手の仕方などである。また、大きな声で返事、相手を見て自分から笑顔であいさつといったことについて「なぜ、そうするのか」ということも語ることができなければならないだろう。

先行実践された局面指導、様々な書籍からの情報を参考に自分の局面指導リストや記録を積み重ねていく必要があると思った。先行実践には子どもの心にストンと落ちるキーワードやズバッと一言で伝える言葉がある。参考にしない手はない。局面指導の豊かな積み重ねが、目指す学級づくりにつながることは間違いない。「局面指導」というピンとくるキーワードを得た。意識して学んでいきたいと思う。

ポジティブ・ディシプリン

2009年07月16日 | Weblog
 ちょっと外にいるだけで日焼けしてしまう。。
でも、激しい夕立はこない。暗くなって雨は降るけれど、ゴロゴロピカー ドカーンとはならない。自分の地元とはそれが違うな~と思った。

『ポジティブ・ディシプリンのすすめ』ジョーン・E・デュラント著 柳沢圭子訳 明石書店2009

「子どもの権利」を守るという基本スタンスに立つ子育ての書。
「ポジティブ・ディシプリン」という言葉とは、『クラス会議で子どもが変わる』の原題『ポジティブ・ディシプリン・イン・ザ・クラスルーム』で出会った。子どもを尊敬して信頼し責任、民主的な話し合いと問題解決を学ぶ、何度も何度も読み返している本である。「ポジティブ・ディシプリン」は日本語にぴったりの訳がないようだが、「前向きな躾け」というような意味である。今回の本の内容も、子どもの存在、権利を尊重し、罰を用いないで話を聞きながら方向性を示す子育て方法であった。

その中でも「温かさを与える」「枠組みを示す」というキーワードは学校教育でも重要であると思った。「温かさ」は安心感・無条件の愛・共感・言葉や行動による愛情表現といった「支え」の側面。「枠組み」は行動のあり方の方向性を示すこと・期待を言葉で伝えること・根拠を説明すること・話し合いを持つこと・成功に役立つ手助けをすることといった「情報」の側面であるという。子どもが「I am OK」といえるように勇気づけるとともに、民主的リーダーとして方向性を示してあげることはやはり教育の基本であり、外してはいけないポイントなのだと思う。また、発達段階を考慮すること、子どもの行動の目的を考えることも考慮する点としてあげられていた。

尊敬と責任、温かさと枠組み。自分が大切だと思う言葉を自分の中にちゃんとインプットし、自分の言葉でアウトプットできるようにしていきたいと思う。そういった言葉ノートを作ろうと思う今日この頃だがなかなか進まない。やり出さないから進まない。重要なことを最優先する習慣が実行されていないのである。そもそも忘れていたくらいだから重要度が自分の中で低かったのか。いや、重要なのに意識から抜けてしまっているという一番ダメなパターンなのだと思う。学期末の課題のせいにしていてはいかん。いかんぞ~。

体育集中講義②

2009年07月15日 | Weblog
 真夏日。暑いったって暑いったって。。車の中は異常事態。
そんな中、内容が「ダンス」と伝え聞いていた体育の集中講義か!?命の危機だと思っていたら夕方は強めの風が熱気を運んでくれたのか、気温が幾分下がってくれました。無事でした。

 本日の学習内容は「ボディ・ボキャブラリ」と「表現方法」でした。
体育の領域で「表現」はどうも苦手、という人は多いと聞く。私自身、どうやっていいいかもよくわからないし、自分が児童生徒時代、やるのが嫌だった記憶がある。でも、今日の集中講義に参加して、楽しく授業デザインできそうだな、と思った。とても勉強になったのである。担当の先生は、コミュニケーションの大切さを説明してくださった。言葉だけでは伝え合うことができない、触れあいのコミュニケーション。今日はそれを感じることできた。また、「これまで、子どもを『型にはめる』のはよくないとされてきたけれど、型を教えるのは悪くない。そこからはみ出すことを認めてあげればよい。」というようなことをおっしゃっていて、なるほどと思った。型はボキャブラリ。それを自分なりにどんどん違う形に変えていい。ボキャブラリは試行錯誤で増えていく。共有できたり、一人一人が工夫して生み出していけたら素晴らしいと思う。

活動1:リズム運動。
2人組でリズムに合わせて体を動かす運動。簡単な動きを覚えて、音楽に合わせたり、相手をどんどん変えて行う。学級の人間関係づくりにも有効だと思う。

活動2:ものを使って表現運動。
かつて、風や波、嵐などを体の動きを使って表現する運動をした記憶がかすかにあるが、なかなか難しかった気がする。しかも、よくわからなかった。今日は「風」を表現するのに「A4の紙」を使った。A4の紙を手の上に乗せて大きく山なりに動かして風を表現した。なるほど。次に右手で紙をつまんで左手を前に出した状態でぐるんと回る。A4の紙は左手にくっついて「風」を感じる。なるほど!である。照れくさくもわからなくもない。今度は二人組で体育館の端と端に分かれる。一人が紙を手にお互いが相手の方へ走る。真ん中で紙を相手に渡す。なんだかとっても気持ちがいい。体を使ったふれあいのコミュニケーションだ。さらには、相手に受け取らせない「フェイントの風」、紙は置いて、想像の紙を想定し、大きさを片方が決めて、その紙を受け渡すロールプレイのような活動もした。なるほどの連続であった。

活動3:トラストウォーク
構成的グループエンカウンターでも、おなじみの活動であるが、私自身初めての体験でとても楽しかった。2人組みになって前で目となって歩く人、後ろで前の人の肩に手を置いて目をつぶって歩く人を決める。しゃがんだ状態から、ゆっくり立ち上がって始める。約束事は「うわっ!」とか「きゃ!」とか声を出さないこと。静かに目をつぶっていいる人が今どうなっているのか分からない状態で行う。前の人はゆっくりしゃがみながら歩いたり、回ったり速度を変えたりする。とても不思議な感覚であった。そして、悪い感じじゃない。前と後ろを交代する。次がまたおもしろかった。今度は後ろの目をつぶっている人は、前の人の肩に手を置くのではなく背中に手のひらを広げてくっつける。そして動くことは同じなのだが、途中で、前の人が他の2人組の人と出会ったとき、後ろの人を交換するのである。後ろの人は目を開けてはいけない。みんな声を出さずに行う。言葉のない触れあいのコミュニケーション。心と体のふれあいだな、と思った。学級づくりにいいかもしれない。

 子どもの交わす「言葉」は、侵害し合わない、認め合いの学級づくりに重要だと思っている。そして、今日は体を動かすコミュニケーションの有効性も学んだ。体育の表現運動を少しでも充実させると共に、学級づくりでも子どもの実態をつかみねらいを明確にして取り入れていきたいと思った。いい汗かきました。

生クラス会議に学ぶ

2009年07月14日 | Weblog
7月も半ば。時間が超特急で過ぎていく~

暑い~。
エアコンがいつの間にかフル稼働に近い状態。
気持ちはエコ生活を送りたいと思っているのだけれど。。(T_T)


 先日、K市の研究授業にお邪魔し、小学校2年生のクラス会議を見る機会を得た。クラス会議の問題解決セクションを見るのは初めてでとても勉強になった。小学校2年生でも自分たちの抱える問題について解決志向で真剣に考え、意見を交わしていた。「いいとこみっけ」というコンプリメントで受容的な雰囲気もでき、話の聞き方も友達を大切にする態度だった。
 クラス会議の哲学と方法について学び、実践に向けてプログラムの流れを考えていたが、改めて学級づくりの中核に据えるべきものだと思った。今回、再認識したキーワード「民主的な話し合い」と新しいキーワード「リアリティ」との出会いがあった。自分が実践するだけでなく、クラス会議とは何ぞや、どんな意味をもて行うものか、どうするのかを自分の言葉で語れるようにしたい。その意味づけにキーワードは重要だ。

「民主的な話し合い」
クラス会議は輪番で話すことを初めのルールとしているが、その意味も自分の中にストンと落ちた。従来の話し合いでは、発言力のある子どもだけで話し合いが進み、物事が決まってしまっていた。しかし、クラス会議では、トーキング・スティックを回して輪番で話す。「輪番」は全員の発言権が保証されて受けとめられる、民主的な話し合いの場にするためなのだ。「民主的」「民主主義」は重要なキーワード。うっかり頭の中から抜け落ちていた。授業後の検討会で授業者の先生に出された質問でハッとしたのである。「なぜそうするのか」がまだまだだと痛感した。輪番でもコンプリメントでも活動の一つ一つをしっかり説明できるようにしておきたい。
「リアリティ」
子どもが本気になって話し合う議題にはリアリティが重要なポイントである。自分たちで話し合ったことが直接自分たちの生活にかかわってくる。自分たちの生活を自分たちでつくりあげていくという点は、人間関係づくりとそのスキル習得、問題解決スキル獲得においても実に有効だと考える。

まだまだ勉強不足。

学級づくりの2本柱「ルール」と「リレーション」双方を体験を通して学ぶことができるクラス会議を自分の実践の核とすることができるように、さらに学んでいきたいと思う。