教師☆学校心理士のセルフカウンセリングルーム

学校心理士によるつぶやき。教師の悩み・試行錯誤に寄り添うブログです。

解決モードで

2009年06月26日 | Weblog
いい天気が続く。。暑い。。湿度がもう少し低ければいいのに。。

自分が「解決志向」になっていないことに気付いた。
昨年のプロジェクトを振り返り、今回どうするかの話し合いでのこと。
問題点をあげるだけで、解決策をつくる頭になっていなかった。
目指すのは「問題モード」ではなく「解決モード」だ。
アドラー心理学の目的論に立った考え方、SFAの考え方が「読んだ」レベルでストップし、使えるまでになっていないことを思い知った。


 『学ぶ意欲を育てる人間関係づくり』中谷素之編著 金子書房2007
 『気になる子への対応術』会沢信彦/曽山和彦編集 教育開発研究所2008
を読んでいて、SFAの考え方を思い出した。そして、自分自身にも子どもにも使えそうな技法をチェックした。

 例外探し:問題が起こっている現状にあって、問題が起こらなかったとき、少しでもましだったときをとらえ、どうしたらそうなったのか、そのときどうしていたかに目を向け、例外状態を広げるようにして解決構築をする。

 スケーリング:自分の状態を1~10で点をつけ、どうしてその点なのか、少しでも上の点に上げるにはどうしたらいいかを考えて解決構築をする。

 SFAの3つの中心原理も頭に入れておきたい。
 1.もしもうまくいっているのなら、それを直すな。
 2.もしもうまくいくとわかったなら、それをもっとせよ。
 3.もしもうまくいっていないのなら、なにか違ったことをせよ。

子どもに対して「なぜ?」と原因を聞くのではなく、「どうすればよかった?」「どうする?」と解決に向けた考えを聞く「解決モード」のスタンスも思い出した。現場では一瞬一瞬が勝負。悠長に考えてはいられない。また、「あ、間違えた。やり直し」ってわけにもいかない。「わかった」を「できる」にしなければならない。

暑い熱い体育の集中講座

2009年06月24日 | Weblog
体育の集中講座「体づくり~マット~」
モアッと暑い体育館の2階、トレーニングルーム。
じっとしているだけで汗がにじみ出てくるそんな中での文字通り暑い熱い授業であった。


周東先生の授業。体を動かすことの理論、授業デザイン、実にためになる授業であった。暑い体育館に触れ、授業の際、気温と湿度と子どもの様子をチェックし、熱中症を予防するのも教師の重要な仕事だと教えていただく。昨日は湿度90%を記録したらしい。恐るべしである。
 
自分がいかにいい加減に準備運動をしていたか、また子どもにさせていたかがよくわかった。まずはウォーミングアップから

・手首回し:手を組んだとき、人は自分が組みやすい組み方で組む。いつも右手が上の人は左手を上にすると違和感を感じる。だから、手首回しと言っても、組みやすい組み方で一方向にしか回していない。組み方が2通り、回す方向が2通りあるわけだから、4パターンの回し方があるはず。1/4しか回していない準備運動は十分とは言えない。テニスやバドミントンのフォアハンドとバックハンド両方のアップにはなっていない。

・肩回し :腕を縮めて小さく回していたのでは肩はたいして回っていない。腕を伸ばして大きく回す。両手前、後ろ、そして交差。交差の動きは初めぎこちないが、仮面ライダーの「へんし~ん」の要領で横回しからだんだん縦回しに動かしてくるとできる。

・屈伸  :膝の曲げ伸ばしだけの運動だと思っていたが、そうではない。足首の曲げ伸ばしもする。したがって、腰を落としたときに、かかとをあげたのでは足首は十分に曲げ伸ばしされていない。かかとを床につけて、足をできるだけそろえて行う。足首が柔らかくないと足を揃えたまま床につけ、膝を曲げて腰を落とし、腕を後ろで組んでキープしていられない。屈伸を正しくすることでトレーニングになる。毎日やることで、若い学生はすぐ腰を落としてキープが楽にできるようになるらしい。

・伸脚  :内ももを伸ばすという予想は合っていた。ただ、それを実感することができる運動には納得。深く伸脚して、曲げている方の足を外側に5cmほどずらす。そうすると、伸びているところがどこか実感できる。

・腰ひねり:腕を横に開いて腰を回して回転。前を向いて見えるものが回転して見えるぐらいまでひねらなければ回転しているとは言えない。

・腰の運動:肩幅くらいに足を開いて立つ。手は腰に。腰を左右どちらかに突き出し、突き出した方の足に体重をかける。首の力を抜いて。首が起きていると、セクシーポーズになってしまう。片方に突き出し体重を十分かけたら今度は逆側に突き出す。交互に腰を回転させるように行う。両方同じ具合に伸びるように行う。痛みは最後には腰にくる。腰は大切。自分の体の状態を知ることの大切さを知った。これをすることで腰痛がよくなった方がいるらしい。

・首回し :目をつぶって伸びていることを感じながらゆっっくり行う。


続いてマット運動の基礎を学ぶ。マットの基本は「前転」と思っていたら大間違い。その前提に体をほぐす、回転できるように体をコントロールするための運動がある。

・ゆりかご :マットに座って膝を抱えて後ろへ倒れて前に戻ってくる。次は手で膝を抱えずに行う。手は膝のあたりに浮かせておく。次は勢いをつけ後ろに倒れたときに足を上に伸ばして腰を浮かし、反動で中腰まで起きる。マットの下からだと、やりやすく、マット下から~マットの上からとするとステップが踏める。できない人は、力のいれ具合がよく分かっていない。
 まずマットに寝てお尻と頭で体を支えマットから体を浮かす。次はマットに寝て足と背中で体を支えお尻を浮かす。こうすることで力のどこに力を入れればいいのかわかる。 
 この動きは、前転から起きる動き。これができないとスムースに開脚前転ができない。

・倒立への段階:手をマットについて足を上に上げ「パンパン」と打つ。頭の位置が最初から高いとうまくいかない。しっかり手で体を支えて腰を落として低い位置からやるとうまくいく。足を開いておくとそれを閉じればいいのでやりやすい。一回はできる。
 次に手で体を支え、足を片足ずつ上に上げて足を入れかえておろす。後の足をつくとき、手で体を突き放し足が体の後ろの方につくようにする。ゆっくりできるようになるともうほぼ倒立ができる。うまくできなかった。この説明もイマイチ。もう一度チェックし直したい。

・ローリング:足の裏と裏を合わせて座る。足首あたりを手で持ち、両膝の外側をマットにとんとんとつける。「蝶々」というらしい。その座った状態から右か左かどちらかに倒れ、膝外、肩、首後ろ、逆肩、逆膝外という具合に回転する。途中で前に起きようとせず、順々にコンパクトに回ると、3回転で元の位置に戻る。2回転で戻るのでは「甘い」らしい。 

・かえるぴょん:腰を落とした状態から、ジャンプして手を前につき、その後で足をその位置につく。手→足の順につく。手より前に足がつくようになるとよい。
 連続で行うと体が動かし方を覚える。その際腰の位置をキープするとうまくいく。
 他の動きでもリズミカルに連続で行うことの効果を教えてもらった。

・ゴリラ歩き:マットに手を交互につきながら足も交互に動かして進む。イメージはゴリラ。手で体を支えながらなめらかに動く。前方向に動いた後反転して後ろ方向にも進む。

・スパイダー:仰向けで、両手両足をマットにつけ腰を浮かして前に進む。反転して逆方向にも進む。

マットの授業のポイント
☆子どもを集めて説明するときは、マットを囲むように集まらせる。マットの向こうへ一列に並ばせると、後ろの子どもは説明を聞けない。他のことを始めてしまう。

☆順番を待って並ぶ場所はどこか。マットの横である。集合と一緒。マットの縦方向に並んでしまっては友達の演技・練習がみられない。友達とお互いに見合って学ぶのである。こうすると、友達演技がモデルになり、初めてなのにうまくできる子どもも多い。互いに認め合い、教えあえる人間関係づくりはやはり大事だと思う。

マットの本格的指導には時間の関係で入れなかったが、非常に多くのことを学んだ。
しっかし、体育館は暑かった~(^_^;)

なるほどメモ②

2009年06月22日 | Weblog
 今日はとにかくムシムシしていた。
 不快指数が高かった~(T_T) エアコン「除湿」つけてしまいました。

1.「共書き」
 鏑木良夫先生より教えていただいた指導技術。
 授業者が書く言葉を黒板にゆっくり声に出しながら書いていく。子どもは授業者の言葉を聞きながら授業者と「共に」同時にノートに書いていくもの。
「かまくらばくふを てん ひらいたのは 赤ペンで みなもとのよりとも またふつうのえんぴつにもちかえて である まる」
という具合。
「視写」よりレベルの高い「聴写」でどの教科でも言語力を高めていくことができる。人間関係づくり・コミュニケーションにおいても言語能力は必要不可欠な力である。

2.「ほめるために叱るんだ」
 師匠から聞いた中村健一先生の哲学。
こどもの自主的に自分を磨こうとする態度、クラスの一員として協力しようとする姿勢や行動、子どもの適切な行動を認め、勇気づけて育てたい。教師ならそう願うもの。しかし、指導しなければならない場面はある。不適切な行動を最初から最後まで無視するのであれば教育者ではない。どうすべきかを自分で考え判断し行動できるよう、働きかけなければならない。時には厳しく指導することもあるだろう。でも、それは「ほめる」ためなのだ。子どもの適切な行動をほめて、自尊感情を適切に伸ばし、「I am OK!!」と子どもが言えるようにしたい。わかりやすく、しかも核心を突いた哲学だと思う。
 罰と報酬を避けたい私としては上から「ほめる」のではなく、横の関係で勇気づけの「ほめる」の働きかけをしたいと思っている。

3.「批判するのではなく、適切な行動を言ってあげればよい。」  
 子どもの不適切な行動を見たときの教師のふるまいである。
「ゴミを廊下にすてるんじゃない。」「どこにゴミ捨ててんだ」ではなく
「ゴミはゴミ箱に捨ててくれないかな。」「私はゴミはゴミ箱に捨てた方がいいと思うな。」と言う。 そしてその通り、行動してくれたら、みんなの使う場所をキレイに使う協力をしてくれて「ありがとう」と言う。
『クラスはよみがえる』を再読していてなるほどな、と思った。
行為と行為者を分けて子どもの不適切な行動には対処すべきである。そして、教師と子どもの横の関係を「水平に」と考える『クラスはよみがえる』では子どもを批判することはしてはならないという考えである。子どもの行動を「それは間違っている」という言葉は、上から下に言う権威的な言い方だという。
 そこで、「間違っている」「違う」「お前何やってる」と、批判するのではなく適切な行動をお願い口調で言う。または、Iメッセージでこうするといいと思うと伝える。そのままはなかなか難しいな、と思うが、この考え方は自分のものにしたい。そして自分流に実践したいと思っている。

布団干し

2009年06月20日 | Weblog
 おもいっきり晴れていたので、洗濯して布団を干した。
しばらく晴れてたけど、なんだか曇ってきたな。。
干した布団で寝るのはホント最高です。


「クラス会議」についていくつか書籍にあたり、どんなことをどんな流れでするのかは分かってきた。


 実践するのに大事なのは、クラス会議の哲学を自分のものにすることだ。クラス会議の考え方に慣れなければいけないと思う。いくら本を読んで「そうそう。」「なるほど。」と思っても、自分のものになっていなければ、実際の場面で適切な尊敬と責任に基づいた対応はできないだろう。
 
 プログラムを自分で組み立てながら、再読再読したい。

リーダーシップ&パワー

2009年06月20日 | Weblog
梅雨はまだか。
暑い晴れの日が続いております。

教師のリーダーシップとパワーについての理論を学んだ。

リーダーシップとは集団に不足している部分を補うという働きで、目的達成機能と集団維持機能がある。PM理論では、目的達成機能(Performance機能)はP機能、集団維持機能(Maintenance機能)はM機能としてPM型、Pm型、pM型、pm型の4つの次元でリーダーシップを分類している。
子どものモラールが高まるのは担任がPM型のリーダーシップを発揮している学級のようである。同時にP機能M機能を発揮しているのではなくて、時に目標を示してぐいぐい子どもを引っ張り、時にカウンセリングの手法を用いて子どもの話を聞くように、時と場合を見て両方の機能を適切に発揮しているのである。また、PM型、Pm型、pM型、pm型を自由自在に行き来できる教師が望ましいと言える。

パワーとは影響力のこと。意識的、無意識的に行動を起こさせたり態度を変容させたりする。様々なパワーの分類があるようだが、親近・受容パワー、外見性パワー、正当性パワー、明朗性パワー、罰パワー、熟練性(専門性)パワー、準拠性パワーという分類がしっくりきた。
発達段階で変化はあるものの、子どもにとって影響力のある教師とは「親近・受容性パワーと熟練性(専門性)パワー」をもつ教師のようである。親しみやすく、専門性の高い教師ということだ。言われてみれば至極当然だろう。一人の教師がいくつものパワーをもっている。どのパワーを強く持っているかというキャラクターの違いはあれど、パワーもPM理論と同じで、時と場合、個人や集団によってパワーを柔軟に発揮できることが望ましいと思う。

 リーダーシップを発揮するにしても、パワーを発揮するにしてもやはり子どもとの信頼関係は外せない。リーダーシップ・パワーを適切に柔軟に発揮しながら信頼関係を築いていくことができたらよいだろう。
 
 私としては賞と罰は逆効果であると認識しているので使うことなくリーダーシップ、パワーを発揮したいと思う。


世間さま

2009年06月10日 | Weblog
今日も暑かった。すこしずつ湿度の多い不快指数の高い暑さになってきた。。
地球に優しく、ここまでエアコンをつかわないようにしてきているが、もう時間の問題かもしれませぬ。。


『世間さまが許さない!』 岡本薫 ちくま新書 2009

多様性と価値の相対性をベースとする「自由と民主主義」。

日本は民主主義の国である。確かにそのはずだ。
が、しかしわが国は、「同質性」と「共通モラルの絶対性」をベースとしている「日本的モラリズム」の国だという。

「自由と民主主義」は民主的な手続きによるルールのもとで多様性が認められる。考え方も行動もその範囲内であれば自由だ。
でも、日本はそのルールの範囲内であるにもかかわらず、いいのか悪いのかは「世間」が決めるそんな文化の国。なるほど、確かにそうかもしれないな、と思った。
どうも我々日本人は真の民主主義がわかっていないようだ。
いじめも同調圧力がかかり、異質なものを排除しようとすることから始まる。ルールの中での自由、多様性が認められず、「その場のノリ」「空気読めの空気」がすべての基準・正義となってしまう。「平等」が「同質であること」というゆがめられた形でとらえられてしまっている。

教室で、みんないっしょ仲良しこよしであることを盲目的によしとするのではなく、違いを認め、お互いを尊敬し合うことの大切さを教えなければならないと思う。
また、情報化、グローバル化する社会の中で、これまで同質であった「世間さま」のモラル感覚がバラバラになり、それぞれが自分のモラル感覚を「世間さま」のモラル感覚だと思いこんで行動し主張して混乱を生み出しているようである。
学校では、ルール内での多様性を認める、違いを尊ぶ教育実践と共に、共有されたモラル感覚を重視する日本人らしさを生かせるよう、生き方の中心に据える普遍の原則について教え、習慣化できるようにしていけたらよいのではないかと思った。
「7つの習慣」でいう「原則」は普遍的であり、不変的で、自明的であると学んだ。原則中心の生き方をベースにした、真のとはいえなくても、日本のよさを生かした民主主義社会をつくっていけないだろうか。



クラス会議を学ぶ②

2009年06月04日 | Weblog
 暑い暑い
 車の中も部屋も暑い暑い
 夏でござる
 空が青くて気持ちよかったなぁ。。


  『クラスはよみがえる 学校教育に生かすアドラー心理学』
   野田俊作・萩 昌子(著) 創元社 1986

       第八章 クラスの中に民主的な秩序を建設する
      第九章 子どもたちが相互に援助しあう環境を作る
      〔付録2〕効果的なディスカッションの体験学習


 クラス会議では、相互に尊敬すること、責任をもつこと、助け合うこと、協力することができるような場とクラスの風土を自分たちで作りながら、その価値観について体験を通して学び、深めることができる。「自分たちで場をつくっていく」そして「体験を通して学ぶ」という点は重要なポイントであると思う。
『クラスはよみがえる』の中で紹介されている「クラス会議」は『クラス討議』と『オープン・カウンセリング』の二種類に区別して考えられているのが特徴である。その二種類を統合する形で「クラス会議」を考えるとしても、クラス全体の運営に関わるルールづくりの「クラス討議」と個人の問題解決を援助する「オープン・カウンセリング」それぞれの機能の違いを理解しておくことは重要なことだと思う。そして、クラス討論の前提となるコミュニケーションのスキルを学ぶ「適切なディスカッション体験練習プログラム」で、「 相手の意見をよく聞くこと」「感情的にならず相手を批判せずに意見を主張すること」をルールのポイントとしていることは、『クラス会議で子どもが変わる』の「コミュニケーションスキルを伸ばす」という基本要素で語られていた内容と合致するところであり、問題解決セクションに入る前に子どもが学ぶべき重要な内容であることを感じた。
 また、『クラスはよみがえる』において強調されているのは、クラスを協力原理のシステムの上に立ったものにするということである。競争原理のシステムでは問題の根本的解決はありえず、問題の解決に着手することもできないという。クラス会議を学級の核に据えることで、そこでの学びを日常生活に転移することができ、協力原理に基づく学級づくりを進めていくことができるのではないかと思う。

クラス会議を学ぶ①

2009年06月02日 | Weblog
 「クラス会議」を自分の教育実践の核にすべく、アドラー心理学に基づく「クラス会議」、「クラスミーティング」、「クラス討議」についてくわしく学び始めた。
まずは、クラス会議のバイブルとも言える、
『クラス会議で子どもが変わる ―アドラー心理学でポジティブ学級づくり』
ジェーン・ネルセン+リン・ロット+H・ステファン・グレン(著)
会沢信彦(訳) 諸富祥彦(解説) コスモス・ライブラリー 2000
を再読し、実践につなげられるよう、考え方・活動の意味、そして実践方法等をメモとして書き出してみた。
 「クラス会議」の実践だけではなく、アドラー心理学の考え方をベースとした学級づくり、子どもへの働きかけが学ぶことができる。
いくつか日本の学校現場にフィットさせるのが難しい部分や、自分がプログラムとしてそのまま実践するには工夫が必要な点がある。基本要素を落とさないようにしながらも、自分なりのプログラムを組みたいと思っている。ただそれには原典を何度も何度も読み直し、理解を深めなければいけないだろう。まだまだだ。

 クラス会議の意義と方法を理解し、哲学を持って学級づくりの中核に据えることによって、子どもが所属感を持って互いに尊敬し合い、学び合っていく教室をつくることができると確信する。子どもは安心できる環境で、居場所を感じることができて、仲間に承認されてこそ、失敗を通して学ぶことができる。共同体の一員として、自分の力を発揮して協力し貢献する、つながり感覚を伸ばしていくことができる。
 これからの日本の民主主義社会を維持し、さらによりよいものにしていく「責任ある市民」を育成するため、クラス会議を実践する意義は非常に大きいと感じる。
実践に向け、他の書籍、先行実践にもあたり、必要な基本要素をどのように活動に組み込んでいくか、あるいは、問題解決セクションで身につけさせていくのか等を考え、効果的なクラス会議になるようデザインしたいと思う。
 

 今日の道徳教育特論の授業で学んだ「ケアリング」という言葉が『クラス会議で子どもが変わる』にも出てくる。同じことを言っているのか、別のことなのか勉強不足でよく分からないので、このあと調べてみたい。