教師☆学校心理士のセルフカウンセリングルーム

学校心理士によるつぶやき。教師の悩み・試行錯誤に寄り添うブログです。

バタフライ

2018年08月19日 | Weblog
バタフライといっても木村カエラさんのバタフライではなく、水泳のバタフライ。




県民体育大会兼都市対抗の水泳大会に出場。




子どもたちに


「チャレンジなしは成長なしだぞ」


なんて言ってる私。



自分もチャレンジしなきゃ説得力ないぞ、と頑張りました。


年代別50mバタフライに出場。




結果は4位。



ちょっぴり残念。



だけど、自分の立てた目標を達成すべく全力でやれたのでよし。



目標にもいろいろある。


結果・能力ある姿を周囲に示さんとする証明型の目標、
自分の成長を目指す習得型の目標。




今回、勝てたらいいな、という気持ちもどこかにあったけど、30秒を切るという、自分の目標に比重をかけて臨んだ。


だから周りの人はあまり気にせずに自分のレースの準備に集中。



(といってもそんなに日頃から自分を追い込んで練習してるわけでもなんでもないんだからかっこいいこと全く言えない)



目標タイムに向けて、緊張感と向き合いながら召集場所に身を置き、体を動かし、呼吸を整えてスタート台に立ったというわけです。



タイムは29秒39。




目標達成。



順位は残念だったけど、正直に自分と向き合ってみてうれしい。



他者との競争なんだから勝った方がいいし、嬉しさも大きいと思うけど、勝ち負けなしで自分の目標をもって全力でぶつかって達成できるとうれしいもんだと体感した。




週に一度泳ぐことをずっと休まず続けてきての結果でもある。




子どもたちに色々伝えられそうです。



プレッシャーのかかる機会に身をおくことは苦しいけど、人生に感動をもたらしてもくれる。



くたびれたけど、頑張ってよかった。

目標達成に向かってやる気UP

2018年08月13日 | Weblog
「やる気UP」にどうアプローチするか。


なかなか難しい。



そもそも「やる気のある状態」ってどんな状態を言うのか。どんな状態を望ましいと考えそこを目指すのか。




それがはっきりしていないとなんとなくの中途半端になる。





・自分の意志で判断し進んで取り組んでいる。
・決まっていること・当たり前に+αしている(量、丁寧さ、工夫、創造、協同など)。
・さらに次・上を目指した動きをしている。






表に出にくいところもあるし、個人差もある。
けれど、上の状態の1つでも見られたとき、認められたとき、やる気がある状態だなと評価したい。



個人内の評価もあるだろう。
これまでちっとも自分からやらなかったのに、やり始めた。
宿題をとにかく出せばいいんでしょと言わんばかりに殴り書いて提出していたのに、ちょっと丁寧になった。など。
そこに気づくアンテナをもっていたいし、その感度は高めていきたい。フィードバックは重要。





そんな「やる気のある」状態にするにはどうしたらいいか。


しかも打ち上げ花火のように一発打ち上げてハイ終了、では残念。やるときはやる、継続的なやる気。



『やってのける』(ハイディ・グラント・ハルバーソン著 大和書房2013)の内容がとても参考になる。
この本には目標達成のためのポイントがわかりやすく書いてある。





適切な目標設定が鍵。
頑張れば達成できる難易度。できること+10%。




具体的に。できれば数値も入るような。
(来年のお正月までに体重を5kg減らす。)
(算数のテストをいつも90点以上にする。)


そしてより大きな目的も意識する。その目標を達成したいのはなぜか。
(健康な身体と心と自分への自信を手に入れて幸せな時間を増やしたい。)
(希望の進学先に進んで、将来の夢を叶えたい)


そのために「いつ」「どこで」「何をどのくらいするか」というシンプルな計画を決める。
(毎週水曜日、仕事帰りにジムで1000m泳ぐ)
(毎日宿題が終わったら、買ってもらったドリルを自主学習ノートに一枚やる。)
さらにもしやらなかったら・・・するという条件型の計画をつくるのも効果あり。


カレンダーや手帳にできたら〇できなかっったら●をつけるものよし。



休んじゃおうかな、面倒くさいな、今日は仕事をいつも以上に頑張ったし やらなくてもいいかなと達成を邪魔する思考がでてきたら・・・
「なぜそれをするのか」の大きな目的に立ち返る。達成している姿をイメージする。
それでもやる気がわかないなら防衛的なタイプかもしれないので、やらなかったらどうなってしまうのかという負のイメージを思い浮かべて自分を脅してみる。


学校では学期の個人目標なんかをよく立てる。でも、教室後方の壁に掲示したらそのまんまで学期末になって「あれ、こんなん書いたっけ?」ってことが起こりがち。


自分の場合、ジャーナルでその目標達成のためにどんなことをするかという行動目標を、実行できたか否か記録することをしてきたけど、やや中途半端だったなと反省。



もう一度、子どもの立てる目標の内容・文言からどうしたらいいか考え直してみようと思う。そして、その目標達成を意識して、つまり成長を日々意識しながら一人ひとりが過ごすことができるように目標達成に向かうことのできるシステムを考えたい。



その際、目標達成のために大切なことやスキルをレクチャーすることも大事かなと思う。


目標を立てようね。


さて、やってる?


やってない?

じゃあちゃんとやらなきゃね、頑張って。



と言うだけじゃダメなんだと思う。



どうやって達成させていけばいいのか、方法やコツを教えて・させて・フィードバックしないと。





勉強のやる気だけじゃなく、生き生きと生きることへのやる気や活力を高めていけたらいい。元気UP。それがまた勉強やらスポーツやらいろんなことのやる気につながっていったらいい。





一筋縄じゃいかないやる気UP。






自分のやる気をどう高めていけばいいのか、気分が落ち込んだり、やる気がでないときにどうしたらいいんだろうという自分のための学びが、子どもたちのやる気UPの実践につながっていけばいいなと一石二鳥をねらうお盆休み。











信念が扉を開く

2018年08月12日 | Weblog
頭がいい、頭が悪い。

運動ができる、できない。



勉強と運動、この2つのポイントは子ども同士が学校で評価し合う際、大きなウェイトを占めている。


まず「学校は勉強するところ」


と多くの家庭では親に教えられる。



そして
1日6時間、1週間で約30時間、授業という学習の時間を共に過ごし、成果としてのテストが返されたり、授業中での発言の様子を見合ったりしてるのだからそれは仕方ない。


運動は体育の授業が一定数あり、運動に関する行事もある。この運動に関してはできるできないがその場ではっきり見えるという特徴もある。



だからモテるポイントとなる。
そう考えればわかりやすい。互いを評価する重要な観点なのだ。


まあ、発達段階によって差はあるし、当然この2つのポイントだけでお互いを評価してるわけじゃない。

「おもしろさ」「ひょうきん」なんてのもポイントが高い。歌が上手、ダンスがキレキレ、絵がうまいなんてのも互いのよさとして認め合えたらいい。ルックスのよさもポイントが高いか。そんな多様なよさを本気で認め合える学級、学校が理想だ。上機嫌、笑顔志向でそれを目指したい。


だが、ここでは一般論として勉強と運動の2つのポイントができることは学校で仲間から認められやすいし、本人の自尊感情も高いといいたい。


日本の子どもは国際的な比較調査で自尊感情が低いという結果が出ている。


国民性や風土、文化、生活スタイル両親の養育態度や方法など多様で複雑な要因があるだろうけど、学校現場での偏った評価の観点も少なからず影響していると思う。


自分も学級の子どもたちみんなの自尊感情を高め、やる気いっぱいにできているかというと、ちっともできてなく日々悩みながら過ごしている。



そこに、一発「信念(思い込み)へのアプローチ」をしてみたい。一発と書いたけどこれは毎日シャワーのように意識、無意識に働きかけないといけない。


というのも
「子どもは信念によってやる気を失っている。」という心理学実験の結果があるから。


「経験と努力によって頭はよくなる。はじめから頭のよしあしは決まってないことが、証明されている。」
ということを示されはグループとそうでないグループの数学の成績に大きな差が出たという。そう、示されたグループの方が成績がよかった。


できない子ども、そしてもしかしたら教えている教師や、一番近くにいる親も「ボク、わたし(この子)は勉強が苦手だしできない」という信念をもってしまっているのではないか。


その信念が行動につながるわけで、できないループを作り上げてしまっているというわけ。


運動でもそうだ。できるできないがわかりやすいんだけど、自分はやってもできない、これは生まれつきだし変わらないと思っていればやる気はでないだろう。誰もがイチローになれないように限界はあるだろうけど、人間の能力としてある程度はできるようになるようだ。できなくしてるのは「信念」。


子どもたちの前にたちまず、このことを語ろう。高学年には心理学の実験結果や脳科学の最新情報を伝えるのもいい。とにかくいつの間にか強くしてしまった「信念を」突き崩しやる気につなげたい。メッセージをポスターにして貼るのもいい。朝の話でちょいちょい語るのもいい。テスト返却の時に一言行ってみるのもいい。個別のフォローをしているときに思い出させるのもいい。

信念によって扉を開けることも閉めることもできる。


これは大人も一緒かもしれない。脳はかなりの、年齢になっても成長するとどこかで聞いた。もうダメさという信念で扉を閉めていたとしたらなんかもったいない。



まだまだいけるかもと信じて上機嫌でやってみる、幸せな人生にするポイントかも。

上機嫌で幸せに過ごす

2018年08月10日 | Weblog
今日も暑かった。



午後は特に。




講習会が終わったのは夕方。




建物の外に出ると、夕方だというのに太陽ががんがん照りつけ眩しく、モワッとしていた。




水筒の中身が空に。



コンビニに行って補充しようと考えた。




が、道は渋滞。




信号で3度目の赤を耐えてやっとこ青になって進んだ。



こんなとき穏やかな上機嫌で過ごせるか、イライラ不機嫌で過ごすかで、その時間の幸不幸が違ってくる。



今日は最近こんなことを考えて書いているだけあって、イライラせずに穏やか上機嫌でやり過ごせた。




イライラやムカッというネガティブな感情はわきあがってくる。




それは自然。



それを押さえ込むことはできない。




わき上がってきたときどう対処するかが問題。




巻き込まれてしまうとその感情に飲み込まれ、ネガティブな感情が増幅して「怒り」に変わり強くイライラ感じて過ごすことになる。



巻き込まれないようにするにはどうしたらいいか。




まずは「思考」を転換することが大事。



どうも現代の自分たちは恵まれていてクリック一つでいろいろができてしまうこともあり、世の中が自分の思い通りになるといつの間にやら思い込んで(思い込まされて)いるみたい。




ものに関しても人に関しても自分に関わることは自分の思い通りになる。そして、なるべきだ、と。




そして、それを邪魔するものは罰するべき対象、排除すべき、相手がすぐさま改善すべきだと考えてしまう。



そこの「べき」を立ち止まってみて、ほんとうにそうかと思考を転換してみる。





世の中は自分の思い通りになるようにできているわけではない。ならないことが大半。


周りの人は私の期待を叶えるために生きているのではない。





「過去と他者は変えられないけど、未来と自分は変えられる」の原則。



ついつい忘れてイライラしてしまうし、最近イライラ耐性が落ちてきているみたいで些細なことですぐイラッとしてることに気付く。


そして、イライラして事が上手く運ぶならいくらでもイライラする方がいい。



でも、例えば渋滞にはまっているとき、イライラすることで渋滞が解消するか。


否。



暑くて持っているアイスが溶ける~!!


なんでこのアイスすぐ溶けるんだよ!!とイラついて怒ったらまたアイスが凍ってくれるか。


否。



自分でどうにもできないことで、イライラしてもしなくても何も変えることはできないのに焦ってイライラしてムカムカして過ごしていることがほんとに多い。



どうせ変えることができないのなら、その時間、上機嫌で過ごした方がいい。同じ人生の時間。しかもイライラしても渋滞は渋滞。溶けていくアイスは溶けていく。変わらない。




イライラし始めたら、深呼吸でもして、そのことに気付いて「イライラしても変わらんな」と思考から状態を上機嫌にチェンジできるといい。


もちろん、対面でイライラしたり人権を傷付けられても思考を生かして気分をチェンジして上機嫌でってわけにはいかないし、自分の考え権利を主張しべきところはする。


ただ我慢して状態だけ変えようというのではない。


自分が動いて変えられることは変えられるように行動力を行使しよう。

でも、主張しない、動かないのならその責任は自分で負うべき。そんなときには、この思考を用いての状態チェンジは生かせそうかな。




どうしたって変えられないことでイライラして不幸な時間を過ごすのはもったいない。


上機嫌で幸せに過ごす時間を増やしたい。



とはいっても、難しい。特に私はほんとに小さな事で自分のせいなのにってことでもすぐにイラッとしてしてしまう。





人の真価はピンチになったときにこそ問われる。本性がでちゃうという。




きっとこれからも忘れてまだまだイライラしてしまうのだと思う。




でも失敗を繰り返しながら少しずつ上機嫌が当たり前でピンチにも強い自分にしていきたい。






上機嫌でっていうのはほんとに自分の自分に対する目標であり、そんな人生にしていきたいという願い。


































上機嫌の学級づくり2

2018年08月09日 | Weblog
  酷暑の次は台風。


  ノロノロ台風が東北の日本海沿岸付近を北上している模様。


  通過した後は台風一過でまた猛暑。


  南からは次の台風がきているという。 


  まだこれからも発生しそう。


  台風の父の次は台風の母その次長男そんでもって次男なんて、



  まさに台風一家って感じか。


  ここのところ何かと災害が多い我が国だけど、被害が少なくて済みますように。
 

  


                * * * * *  

 上機嫌の学級づくりを考える。

 
 当然だけど教師も人間。 自分の人生の物語を生きている。


 いろんなライフイベントもあれば、体調がよくないときもある。

 
 いつもいつもご機嫌でいるわけではない。

 
 常に上機嫌でいることは難しいことに思われる。 


 ましてや上機嫌をノリノリ☆ハイテンション!と考えてしまうと、とてもじゃないけどムリだわってことになる。


 ただ、「感じのいい状態」「おだやかな上機嫌」ならどうだろう。



 ノンバーバルつまり非言語で不機嫌さや脅威、不安を感じさせるようなメッセージを発しないことはできそうだし、それは毎日子どもたちが生活する環境としての責任であるように思う。


 教師の仕事は感情労働の部分が大きいと言われる。

 いろんな子どもたち、多様な価値観をもっている保護者の方々、自分と合う人ばかりではもちろんない。

 
 自分の感情をコントロールして、うまくかかわっていく必要がある。そこも専門性なんじゃないかと思う。


 アンガーマネジメントやらマインドフルネスなどの感情コントロールの方法を身に付けるのもよし。


 オンオフの切り替えをうまくして好きなことをする時間をもったり趣味の時間を確保したりするもよし。


 毎日子どもの前には上機嫌で立っていたい。



 教室で唯一の大人である担任。


 一度も子どもの前に立って話さないなんてことはない。毎日毎日子どもの前に立つ。


 その言葉、態度、表情、子どもとのやりとりをする1つ1つ、その姿は子どものモデルになる。


 不機嫌で威圧して言うことを聞かせている姿からは、子どもたちは、何を学ぶだろう。


 人に言うことを聞かせるには「恐怖」や「力」を使えばいいのだと学ぶのではないか。 

 
 

 そして、機嫌は伝染する。

 家庭で過ごすのと同じくらいいやそれよりも長い時間を過ごすこともある教室。

 その教室全体が不機嫌な空気か、上機嫌な空気かは、子どもに大きな影響があるに違いない。


 その最も重要な要因の1つが教師の機嫌であり上機嫌さなのである。




 とはいえ、やっぱり先生も人間。失敗しちゃうこともある。不機嫌さが出てしまうこともあるだろう。


 でも、機嫌の大切さを理解していてそこに自覚的であるかどうかは次の瞬間に気を付けられるし、気分で不機嫌をどしどし出してしまうののとは大きな差だ。




 職務としての上機嫌をプロとしてコントロールしていきたい。


 

 それがムリせずできるように日頃、プライベートから上機嫌な自分にしていきたいなあと思う。


 

 ったく、マウスが上手く動かない!!ムカムカッ!



  ハッ!



 小さなことでイライラ、プリプリしてしまう自分が情けない。



 


 上機嫌な毎日。


 幸せに気付く、幸せを感じられることが増えるんじゃないかと思う。 









上機嫌の学級づくり

2018年08月07日 | Weblog
 今年度も夏休みがやってきた。


 暑い夏だけど今年は例年以上に暑い。身の危険すら感じる暑さ。


 全国の小学校でプールの中止が相次いでいるというが致し方ないかもしれない。

 子どもの命、安全安心を守るのが第一。

 ただ、闇雲になんでも中止というのも考えもの。中止の基準が明確だとよい。

 どうも水温+気温が65℃以上だと熱中症の危険ありというラインがあるらしい。
 
 が、その出所がはっきりしない。現場の管理職もどうしたもんかと困っているだろうなあ。



「今日は天気がいいのでプールは中止です」



 という笑えない冗談が現実になっている。

 学校の危機管理は様々な面で難しくなっている気がする。

 ただ何が一番大事か、目的は何かを見失わないで結論を出すことが重要だと思う。






                   * * * * * 




 この夏に入り、齋藤孝先生の『不機嫌は罪である』(角川新書 2018)を読み「上機嫌の学級づくり」というテーマいいなと思った。


 その中に「上機嫌」について、上機嫌はおちゃらけハイテンションと考えがちだけどそうではなく、仏像の半跏思惟像の姿を理想として「感じのいい状態」「おだやかな上機嫌」であり、それをイメージし目指そうとあった。


 教師は最も重要な学習環境の1つであることを考えると「上機嫌」で教室にいることはとっっても意味があること。



 自分が子どもの立場だとしたら毎日通い、長時間を過ごす教室の担任が「不機嫌」でいた方がいいか「上機嫌」でいた方がいいかと考えるとやっぱり後者の方がよさそうだし、幸せな学校生活時代を過ごせそう。





 「上機嫌の学級づくり」が、どう子どもの幸せ・幸せになる力の育成につながるかちょっと考えていきます。