新潮文庫、番号41、『ボッコちゃん』収録。
人は、往々にしてそれは男性は、日常生活に関わっている私物、無機物に強い思い入れを持つ事が多い。
それは車だったり、バイクだったり、カメラだったり、そして腕時計だったり。
スマホが普及した今、腕時計の存在意義は薄れたかもしれないが、少なくとも昔は、腕時計といえばステータスの象徴の一つだった。
自然、毎日一番大切にする存在となる。
まして、自分で毎回ネジを巻き上げて動かすようなタイプだったら尚更である。
この話の主人公も当然の流れで、自分の腕時計に愛情を注ぐ。
今で言う、ゲームなどでの無機物の擬人化、ひいては「推し」への「萌え」のさきがけでもあろう。
今時の作品だったら間違いなく、美少女キャラ化されたバージョンの絵が付く。時計の。
そしてある日、主人公の愛する美少女、もとい腕時計もまた、主人公へ掛け値無しの愛情で報いてみせる。
アナログ時計ならではの、シンプルにしてスマートなオチへの流れは、個人的にとても好み。
私が昔お気に入りだった腕時計も、何度調整しても針が進みがちになるきらいがあった。
おかげで待ち合わせに遅刻しないで済んだ事がしばしばあったっけ。
ところでデジタルのスマホだと、果たしてこういう展開作れるだろうか。
時刻の数字だけに不具合の出るバグって起こり得るのかな。
分どころか秒以下の単位で制御されてる今の機械だと厳しそう。
文字表示機能がおかしくなればチャンスあるか?
それでは。また次回。
『程度の問題』
新潮文庫、番号40、『ボッコちゃん』収録。
分かりにくいたとえになってしまうが、『かまいたちの夜2』の「わらび唄」と話の流れが似ている。少なくとも表面上は。
あちらの話では、主人公は何度も何度も殺人事件の惨劇を体験したループ記憶に振り回された結果、旅程の当初から警戒心マックスで挑むが、その時の旅に限って何も起こらず、主人公は空回りしまくってしまう、という流れになる。
翻って、この『程度の問題』の主人公は、一般人でなくスパイであり、確かに周りに対して警戒心マックスで挑むべき立場ではある。
しかし、それで空回りするのは、一般人だから許せるわけで。
曲がりなりにもスパイである以上、そもそも目立ちまくっちゃいけないのである。
このスパイのあらゆる行動は、あつものに懲りて膾を吹く、というより凍らせる勢い。
石橋を叩いて渡らない、どころか、木っ端みじんに爆破しかねない。
これじゃ埒が開かないと、別のスパイが派遣されるが、そいつもそいつで、またどうしようもない。
スパイじゃない一般人でも早晩、シャレにならない事態になるだろう。
現代人なら間違いなく詐欺に遭う。
ところで、危険な相手と飲み交わす時、相手の飲み物とすり替えて飲むって場面、フィクションで結構見るが、私としてはあまり有効とも思えない。
すり替えるのを、敵が初めから計算に入れてたら無意味だ。
まず、自分の飲み物から目を離すのが良くないし、それに、相手から出された飲み物にはやっぱり警戒した方が……いやいや……ぐるぐる……。
まあ、詰まるところ、何事も程々が一番って話です。
それでは。また次回。
『意気投合』
新潮文庫、番号39、『ボッコちゃん』収録。
そうはならんやろ!なっとるやろがい!
……読み終わった時、そういうツッコミ入れたくなった。
星新一ショートショートの十八番、異星人とのファーストコンタクト。
私たちの所に彼らが来る場合と、私たちが彼らの所に行く場合とがあるが、本作は後者。
てっきり御しやすい与しやすい相手だと油断してたら、エライ目に遭うパターン。
ただ、冒頭にも掲げたように、勢いで読み終わった後に改めて読み返すと、細かいツッコミ所が浮かんでくる。
何で本作の地球人たちは、宇宙船から全員いっぺんに降りちゃったのか。
最初の内は、不測の事態に備えて警備の人が残るんじゃないのか。
月着陸の時だって、一人は船内に待機してたんだが。(まあ着陸できなかったからなんだが)
着いた先の異星人も謎が多い。
地球人たちを「神の御使い」と思ったなら尚更、「ではコレを使わせていただきます」的な儀式とか何とかやらなくて良いのか。
くれた物はゼンブ問答無用で消費していいと思ってるくらい警戒心が薄いのか。
それに、そもそも金属が非常に少ない環境なのに文明が進んでる(ように見える)というムジュン。
複雑な機械には、強度のある金属が確実に必要じゃなかろうか。
という事はもしかしたら、金属に匹敵する性能を持つ別の物質があったりしないか。
そうすれば地球人たち、無事に帰れるハッピーエンドもあり得るか。
更に言うなら、星作品だからこの程度の、比較的穏やかな?オチで済んでるのかもしれない。万が一、「地球人たちそのもの」を天からの授かり物だと思ったら、そしたら惨劇一直線。
何が恐ろしいって、もしそういう展開だったとしても、本作の地球人たちの調査では「感情+」(=好意を持ってる)という判定になるだろうって事。
この通り、価値観は立場によって変わる、という教訓が、今回のお話である。
それでは。また次回。
『診断』
新潮文庫、番号38、『ボッコちゃん』収録。
今回はネタバレして感想を書く。
星作品では、精神疾患をテーマ、というより話のネタに使った作品がしばしば見受けられる。
今まで紹介した『暑さ』もその一つだが、本作はそれと対照を成す内容である。
『暑さ』では、当人は異常性を訴えているが、周囲がそれを認めない。
対して『診断』では、当人が異常性への病識を全く持てておらず、周囲の説得を受け入れない。
……という構造を理解できるのは、本作を読み終えて全体を俯瞰できるようになった後。
初読時、本作の主人公は寧ろ聡明な印象に見え、故に、こちら読者は大いにミスリーディングに振り回されて騙される。そう読むように作られている。
ただし、本作の主人公が、収容されている“患者”である事は事実。
そんな主人公は、本作のラストでこそ取り押さえられ拘束され、ひとまずは事なきを得るが、いずれまた病院側の警戒をくぐり抜けるのは時間の問題と思われる。
自傷されるのも困るが、他害の刃傷沙汰が起こる危険性の方が遥に高いだろう。
さて問題。それでいざ刑事事件が発生した時、“患者”の主人公の顛末や如何に。
抱える妄想によって罪を免れるのか、それとも罰を受けるのか。
この「精神的問題を持つ加害者の刑事責任」という、21世紀現在でも非常にデリケートな問題を、これほど早い時代から扱っていた星作品の先見性に、改めて驚かされた私である。
それでは。また次回。