リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

265.  NHK「ラジオ深夜便」その後の反響です。

2022年04月29日 | 日記

▶毎日のように…


花にピントが合っていませんが、可愛い花をつけるタイツリソウ(ケマンソウ)です。友人宅にて。


 「ラジオ深夜便」放送直後の反応を前回書きましたが、その後も毎日のように何かしらの反響が届きました。

 メールは日常やり取りをしている友人、知人からはもちろんのこと、久しくお目にかかっていない方からも届き、30~40人とやりとりをしたでしょうか。初めてお電話くださった方も2人、NHKから転送された葉書が1枚届きました。本の注文はトータル20数冊となりました。写真展では思っていた以上に写真集をお求めくださる方が多く、とても励みになるのですが、NHKラジオの反響は1月の写真展に迫る注文数だったので、とても嬉しく思っています。メールや電話をくださった方、注文してくださった方々に心よりお礼申しあげます。

 また、写真展のユーチューブ(第一回目については400回ほど増加、第2回目は60回ほど増加)やこのブログの閲覧数(いつもは1週間に多くて100~300ぐらいのところ、先週は2594も見られていました)の変化にも驚きました。三津夫が検索したところでは、多くの図書館でも写真集の貸し出し中が増えているとのことです。こうした広がりは予想を超えています。

 

 ここで、放送後にいただいたメールの中でも是非ご紹介しておきたいメールを、ご本人の了解を得てここに転載させていただきます。国分寺のUさんからです。

 

 今日は朝からメール、電話対応にお忙しかったことでしょう。

 写真集の販売に繋がることを、私も願っておりました。
 国分寺での展覧会開催がお役に立って、何より嬉しく思います。

 お二人ともお声も語り口もすっきり、お話もわかりやすく、
 時間内に余すところなくお話されて、素晴らしかったです。
 リーメンシュナイダーの紹介は、勿論ですが、他のお話にも
 見つけられた宝石がキラキラ輝いているようでした。

 そういえば、写真展で、植田先生のご本を大事に抱えていら
 した女性が、「この本大好きで今日持ってきました」と見せ
 て下さったのです。ああ、同じ方がいたと嬉しくなりました。

 あのご本との出会いから、よくぞ20年、世界中のリーメンシュ
  ナイダー作品を追いかけて下さいました。「受胎告知」は、植
  田先生は御覧になっていなかったかもしれません。福田さんが
  見つけて下さらなかったら、少なくとも私は出会うチャンスが
 
なかったと思います。

  そして、多くの方にリーメンシュナイダーの素晴らしさを知っ
 て頂くお手
伝いができたことに、改めて感謝の気持ちでいっぱ
 いです。


    Uさん、感謝しているのは私の方です。
 ギャラリー古藤で第1回目の写真展を開催したときに、日経新聞の記事を読んでかけつけてくださり、リーメンシュナイダーの初期の作品「受胎告知」(アムステルダムの国立博物館所蔵)を見て「どうしても欲しい」とパネルを買ってくださいました。その後、国分寺市でも写真展を開催して欲しいとおっしゃって会場の下見までしてお誘いくださったのでした。Uさんのこの熱意がなかったら、第2回目の写真展はまだ開かれていなかったことでしょう。そしてアサココに載ることもなく、NHKの玉谷ディレクターの目に留まることもなく、NHKのラジオ放送に出演することもなかったのです。

 こうした勢いのある流れを導いてくださったUさんに私から感謝の言葉を贈ります。ありがとうございます。
 今後ともご一緒にリーメンシュナイダーの名前と功績を広げていきましょうね。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2022  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

264.  NHK「ラジオ深夜便」の大きな反響に驚きました。

2022年04月19日 | 日記

▶NHKの「ラジオ深夜便」、すごいパワーです!


4月にベランダで咲いた原種のチューリップです。


▶今年初めての3時半起床

 今日の放送に備えて、昨日はあれこれ録音の準備をしていたのですが、小さな録音機にもラジオ機能がついていることがわかり、何とか資料として残せると胸をなで下ろしました。何年か前まではNHKの方でデータをコピーして送ってくださったらしいのですが、今はもうそれがなくなったと聞いていたので私の足跡の一つとして録音しておきたかったのです。でも、夜になって三津夫がオーディオセットでも録音できることを発見、予備練習をしてこちらはSDカードに保存することができました。これならそのままパソコンに入れられます。ホッとしていつもより少し早めに床に就きました。

 さて、午前3時半、目覚ましが鳴り、そっと起床。こんなに早く起きたのは何年ぶりでしょうか。もしかしたら人生初??

 

▶ドキドキするものですね。

 何となく腫れぼったい目で起きだし、オーディオセットのある居間へ。暖房を入れ、お茶と少々お菓子などを準備して短い録音を試し、いざ本番。

 結構予定の時間が近づくにつれて落ち着かなくなり、胸もドキドキしてきました。4時のニュースが終わり、音楽が鳴っていよいよ「明日へのことば」の時間です。ソファーに座り、アナウンサーの松井治伸さんの落ち着いた声が流れ出しました。収録の時に言い忘れてしまったティルマン・リーメンシュナイダーのフルネームもここできちんと言っていただき、気持ちも落ち着いてきました。

 次に、聞き慣れた玉谷さんの音声が始まりました。玉谷さんとは既に電話やわが家での打ち合わせで何回も話をしているので、落ち着いてポイントのメモを見ながら話し出したつもりでしたが、今日聴いて見ると何と早口だったこと! 次第に興奮してきたらどんどん早口になってしゃべりまくっています。あ~あ、皆さんのお耳にちゃんとことばが届いたかしらと心配になってきました。なまじステレオ放送になっているので、私の聴力の弱い耳では少しぼやけてきこえるのです。でも今さら直せません。まぁ、話している内容は収録の時にモタついたところを上手にカットしていただき(ありがとうございます)、ずいぶん流れるようにきこえました。子どもたちの話になると段々自分でも笑顔になって、最後の辺りでは視聴者の1人になりきってにこにこしながら聴いていました。玉谷さん、録音担当の方々、ありがとうございました。

 

▶早速の反応

 放送終了後、早速スマホが鳴り、ショートメールが入ってきました。またウェブメールも入っています。合計3人の方から素早い反応!! ここに紹介したいのですが、まだご了解をいただいていないので、OKがいただけたら次回に回したいと思います。少なくともこの方々は生で聴いてくださったのですね。朝早くからお疲れさまでしたm(_ _)m。その後もトータル10通ほど、心のこもったメールが届きました。ありがとうございます。

 三津夫が起きだしてから朝食をとり、パソコンを開けると大きな声で私を呼びました。何があったのかと行って見ると、三津夫がアマゾンで運営している「猫家族」という本屋さんにトータル10冊ほどの本の注文が入っていたのでした。まぁ、びっくり!! さすがはNHKです。北海道から日光、愛媛県の方からも注文がありました。写真集を4巻揃ってお買い上げの方もいらっしゃるし、また私の教員時代のまとめとして書いた『子どもっておもしろい』も3冊の注文がありました。ラジオの威力を見直しているところです。

 今年の1月に司画廊に来てくださった後、NHKラジオ深夜便の企画を進めてくださったディレクターの玉谷さんには心から感謝しています。

 では、次回にまた、その後の反応をまとめて書きたいと思います。
※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2022  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

263.  「ラジオ深夜便 明日へのことば」の収録に行ってきました。

2022年04月01日 | 日記

▶初めてNHK放送センターへ行ってきました。



3月31日に家の近くでお花見をしてきました。

 

▶意外にドキドキしないで話ができました。

 花曇りの3月29日、NHK放送センターに初めて出かけました。今まで代々木公園には何度も足を運びましたが、ついその鼻の先に放送センターがあることを知りませんでした。

 約束の時間にラジオ深夜便のディレクター玉谷さんが放送センターの玄関で待っていてくださいました。建物の中に入ると受付でゲートの通過パスをいただき、しばらくロビーで打ち合わせをしました。そろそろスタジオが開いた時間だということでゲートを通ってさらに奥へ。迷路のように同じような顔をしたスタジオが続きます。収録時間の少し前にスタジオに入りました。いよいよと思うとドキドキすることはするのですが、玉谷さんとは既に電話で3回、打ち合わせで1回たっぷりお話を交わしているので、安心感ができていたせいか以外に落ち着いていて、楽しみな気持ちの方が大きかったのに我ながら驚きました。

 持って来た資料を机の上に並べ、家でまとめてきた構成メモを置き、いよいよ収録開始です。その後は聞かれたことにどんどん答え、たくさんお話しました。40分ぐらいのところを8分ほどオーバーして収録が終わりました。およそ想定していた質問なのに、結構話はあっちへ飛びこっちへ飛び、まとめるのは大変ではないかと心配なぐらい熱中して話しました。ただ、玉谷さんから「あとから修正や追加もできますからあまり心配せずに話してください」と言われていたので、それほど緊張せずに済んだのかもしれません。

 でも収録後はさすがに疲れて喉が渇きました。ホッとして思わず「ありがとうございました。美味しいお茶でも飲んで帰ります」と言ってしまったら、玉谷さんが珈琲をご馳走してくださいました。何だかご馳走させてしまって申し訳ない気持ちでした。

 

▶訂正

 さて、262でお知らせした放送時間ですが、申し訳ありません、間違っていました。正しくは以下の通りです。お詫びして訂正させていただきます。

 4月19日(火)午前4時05分頃〜50分頃(長さ40分位)

 ○放送波:ラジオ第1&FM放送

 ○番組名:「明日へのことば」

 ○タイトル:祈りの彫刻を撮り続けて20年

 ○出演者:元教員・アマチュア写真家 福田緑さん

 ○聞き手:玉谷邦博(ラジオ深夜便ディレクター)

 

 私もこの時間に起きて聴いてみるつもりです。

 ※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2022  Midori FUKUDA

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

262.  NHKのラジオ深夜便と「楽活」のお話。

2022年03月13日 | 日記

▶写真展からそろそろ2か月が経ちますが…


このお花は丸善プラネット株式会社の皆さんからいただきました。

 

▶写真展後のいろいろ(その1)

 写真展終了後の間もない頃、ある方からお電話をいただき、私が追いかけ人となった理由などあれこれ聞かれて熱心な方がいるものだと思いながらお答えしたのでしたが、その後さらにお電話をいただき、結局その方がNHKラジオ深夜便のディレクターで玉谷さんという方であり、そのための取材だったのだときちんと認識したのは3月2日になってからでした。企画会議に通ったので以下の内容でラジオに出演していただきたいとのお話だったのです。もちろん喜んでお引き受けいたしました。

 4月19日(火)午前5時05分頃〜50分頃(長さ40分位)

 ○放送波:ラジオ第1&FM放送

 ○番組名:「明日へのことば」※

 ○タイトル:祈りの彫刻を撮り続けて20年

 ○出演者:元教員・アマチュア写真家 福田緑さん

 ○聞き手:玉谷邦博(ラジオ深夜便ディレクター)

 ※番組の主旨は、各界でご活躍の方に仕事や研究を通して得た、ものの見方や人生観などを聞くインタビュー。


 私は軽度の難聴で、電話での会話でお名前とかご用件がしっかり聞き取れないこともあり、玉谷さんのお電話の意図もようやくこのときにしっかりと把握したのでした。玉谷さん、大変失礼いたしました。でも興味を持っていただき、本当に嬉しく思っています。日本中の方に話を聞いていただけるなんて素晴らしい機会ですから、もしお時間がありましたらお聞きください。早朝ですのでもし聞き逃した場合も以下のリンクであとから聞き直しができるそうです。

聴き逃し | NHKラジオ らじる★らじる

 

 

 

 

 

▶写真展後のいろいろ(その2)橋本菜摘さんのインタビューより

ドイツ中世後期の彫刻家リーメンシュナイダーの彫像に出逢って人生を変えた福田緑さん。「リーメンシュナイダーの追いかけ人(びと)」の情熱に迫る | [楽活]rakukatsu - 日々楽シイ生活ヲ

福田緑さんは、ドイツ中世後期の彫刻家リーメンシュナイダーの彫像に出逢って「リーメンシュナイダーの追いかけ人(びと)」と自称し、20年間にわた...

[楽活]rakukatsu - 日々楽シイ生活ヲ

 

 

 前項のラジオを聞き逃した場合のサイトを教えてくださったのは、この「日々楽シイ生活ヲ」というサイトのライター、橋本菜摘さんでした。

 橋本さんは第一回目の写真展に来てくださっていたのですが、今回はオミクロン株による新型コロナ感染拡大のため来廊を諦めてオンラインでのインタビューとなりました。リーメンシュナイダーの追いかけ人となった私のことを丁寧に細かく記事にしてくださったので、このブログでもご紹介しておきたいと思います。

 

▶写真展後のいろいろ(その3)

 今日3月13日の午後、ある女性からお電話をいただきました。その方もアサココを見て切りぬいておき、絵はがきを買いたいと思ったのだそうですが、その後急病にかかり、ようやく今日申し込みができる状態になったそうです。内容はお任せくださるそうですので、明日にでもお送りするつもりです。

 こうして2月20日のアサココの記事が未だに影響を残してくれていることに深く感謝しています。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2022  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

261. 「福田緑写真展 No.2 祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」のフィルムを作りました。

2022年02月05日 | 日記

▶やっと「福田緑写真展 No.2 祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」のフィルムができあがりました。

 

 コロナ禍でなければ「行くね」と約束していた様々な友だちも来られたはずですが、今回は日々感染者数が増えていき、とうとう友人の顔を全部は見られないままで写真展が終わってしまいました。コロナの感染を心配して来られなかった方は他にもいらっしゃるだろうと、今回も写真を繋いでフィルムを作ることにしました。

 4冊目の写真集『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を作っていた2020年にパソコンがおかしくなり、新しく買い換えたので、今まで使っていたフィルム・メーカーが使えなくなりました。そのため、今回はまずフィルムを作るソフトをどうするかというところから始めなければなりませんでした。パソコンに附属していたソフトではとても使いにくかったのです。インターネットであれこれ調べてCyberLinkという無料ソフトをダウンロードしてみました。こちらは以前使っていたものと機能が似ていたので少しずつ使い方がわかってきて、ようやく何とかフィルムを作ることができたのでした。

 今回は雰囲気だけでも記録に残しておきたいと、キャプションは入れずに写真だけで繋いで3分未満の短いものにしました。後から考えたら写真パネルだけ追いかけて撮影したので、せっかくいただいて部屋の角に置いた花籠が全部きちんと写せていなかったと気が付きましたが、時既に遅し。もう少し丁寧に撮影しておいて、ゆとりのある全体の流れをお見せできたら良かったかなと、もうすでに反省しています。次回はもう少し上達したいものです。

 今回もバックに若いチェンバロ奏者、中川岳さんご提供の曲を入れさせていただきました。この録音は、前回のヘンデルとは違って、中川さんがヴュルツブルク留学中に現地で開いた演奏会の実況録音なのだそうです。リーメンシュナイダーとはヴュルツブルク繋がりのご縁で、録音を快く提供してくれたという経緯がありました。ありがとうございます。

 曲名は J. S. バッハ作曲 『平均律クラヴィーア曲集 第2巻』より フーガ 変ロ長調です。

 リーメンシュナイダーの写真と音楽がマッチして、より静かな雰囲気が感じられるようになりました。
 フィルムはこちらからご覧いただけます。

リーメンシュナイダー写真展No 2 20220119

2022年1月19日~24日まで国分寺市司画廊で開催した福田緑写真展No.2 「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」の様子をアップロード...

youtube#video

 

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2022  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

260. 「福田緑写真展 No2. 祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」終了

2022年01月26日 | 日記

▶「福田緑写真展 No.2 祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」が終わりました。









展示場の様子の一部です。

 

▶アサココに感謝!!

 今回の写真展で特筆すべきは開館の35分も前から来場者が見えたことでしょうか。準備が十分はできていないので最初はお待ちいただこうと思ったのですが、せっかく寒い中早くからおいでいただいたので、結局開館しました。6日間のうち5日はそのような早出のお客様が見えたのです。初日こそ36名のご来場でしたが、以下はその倍以上の入場。

 19日(水) 36名
   20日(木)   85名   累計 121名
   21日(金)   91名   累計 212名
   22日(土) 104名   累計 316名
   23日(日)   73名   累計 389名
   24日(月)   82名   累計 471名

となりました。第一回目の写真展では2週間で500名を超えてのご来場に驚きましたが、今回は日々コロナ感染者数が増える中でも来場者数も増えていきました。さすがに都内のコロナ感染者が12,000人を超えたあと、少し来場者も減りましたが、それでも皆さん熱心に写真を見、キャプションを読んでくださったことに深い感動を覚えました。

 これは14日にわが家まで取材に来てくださったアサココの長田米子記者のおかげです。2時間お話しした内容を手短に要点をきちんとまとめて書いてくださったのでした。三津夫共々20日の記事を拝見して感激!! 長田さん、ありがとうございました。

 

 このアサココは朝日新聞と共に多摩エリアの28市町村に配布されるタウン紙ですが、その数何と約31万戸。20日の朝から問い合わせの電話がたくさんかかってきました。その熱心さに驚きましたし、来てくださった方の中には50年前からのリーメンシュナイダーファンの方もいらっしゃいました。日本にもこれだけのファンがいるんですよとリーメンシュナイダーに知らせたくなります。今日も「次はいつ開催されますか。友だちがアサココを送ってくれたけれどももう終わっていて、残念でなりません」と電話をくださる方がいらっしゃいました。お手許にない方はデジタル版をどうぞご覧ください。もう少し時間がかかりますが、全体の様子を動画でもアップしたいと思っています。できあがりましたらまたお知らせします。

http://asacoco.jp/topnews/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%81%AB%E9%AD%85%E3%81%9B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6/

 

 また元気とエネルギーが充満してきたら第3回目の写真展も考えたいと思っています。お運びいただいた方々、ありがとうございました。手伝ってくれた友人と家族へ、本当にありがとう。司画廊さん、お世話になりました。大変だったけれども忘れがたい1週間となりました。

 何はともあれ、まずはコロナが落ち着くのを待ち、秋にはドイツに行って6月に発行予定の『ドイツ中世後期の彫刻を歩く リーメンシュナイダーからファイト・シュトース』をお世話になった方々に手渡してきたいと思っています。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2022  Midori FUKUDA

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

259. 「福田緑写真展 No2. 祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」スタート!

2022年01月21日 | 日記

▶「福田緑写真展 No.2 祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」が始まりました。




以まずリーメンシュナイダーの一番初期の作品、受胎告知がお出迎えします

▶国分寺市 司画廊で写真展スタート!

 JR国分寺駅から大変近く、前回の練馬からは乗り換えもあって不便という地域での開催のため、以前とは違う地域の方が多く見えています。初日は36名のご来場、昨日2日目はお知らせしてあったアサココの記事が大反響を呼び、開館前から4名の方がお見えになって、準備しながらもご入場いただきました。電話も度々かかり、場所はどこなのか、何時までなのか、福田緑は在廊しているのか、話をする時間は取れるのかなど、多くのお問い合わせにあたふた。嬉しい反響でした。記事を書いてくださった長田さんも来てくださり、反響の大きさにニコニコ。前回お世話になった永田浩三先生、ギャラリー古藤の大﨑文子さんも朝のうちからお見えになって感激でした。その後も書くのにきりがないほどの方々とお喋りが弾み、身体は疲れましたが心は充実。今日もがんばります。取りいそぎ、雰囲気をお伝えする写真を少しずつアップします。まだ動画まで余力がなく、ごめんなさい。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2022  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

258. いよいよ写真展No.2が始まります。

2022年01月16日 | 日記

▶「福田緑写真展 No.2 祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」が始まります。


 
以前も載せましたがもう一度載せておきます。

 

▶あっという間に1月も半ば…

 毎日めまぐるしくバタバタしているうちに、もう1月も半ばを過ぎてしまいました。毎日のように国分寺市の「司画廊」の展示をイメージしながら文章を書いたり、レイアウトを考えたりする毎日でした。連れ合いの三津夫や庭造りの仲間、山田文子さんや松井香保里さんに助けてもらいながら準備を進めてきました。

 今回、初めて釣り銭の両替というものをしにいったところ、銀行では両替してもらって受け取るお札が10枚を超えると窓口なら550円、機械だと330円かかるということがわかりました。つい先日はテレビでも新聞でも小銭から大きなお金に両替するのにこれからは手数料がかかるというニュースが流れていましたが、お札からお札でも大変なことなのだなぁと痛感しました。
 前回の写真展
では小銭でお財布が重くなると箱に入れてきたものでなんとか釣り銭も賄えたのに、今回は箱の中には10円、5円、1円玉しか残っていなくて500円玉は皆無、100円玉がようやく数枚見つかっただけでした。コロナ禍で買い物が減ったから? それとも友人たちと食事などをする機会が減ったから?? 何とも不思議です。

 私たちは自費出版で発行してきた『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を初めとする4冊の写真集をまだまだ売らなければなりません。リーメンシュナイダーの写真を見に来てくださる方々には少しでもお安く手渡せたらと準備していますので、お札でのやりとりも増えるかと、両替は必須でした。何度も両替に行くとなったら10枚にならないように小まめに行かなければならないのだなぁと勉強になりました。

 

▶アサココからのインタビュー

 そんなある日、アサココの長田米子さんからメールが入ってきました。私が昨年11月に「リーメンシュナイダーの写真展のお知らせを載せてください」とお願いメールを送っていたからです。でもお返事もずっと無く、1月6日号にも全く記事が載らなかったので、「ダメだったんだねぇ」と三津夫とガッカリしていました。ところが写真展目前にしてインタビューに来たいとのお申し出。嬉しくて飛び上がらんばかりに二つ返事でお引き受けしました。
 そして1月14日、長田さんがわが家にいらして約2時間ほどあれこれ質問に答えながらリーメンシュナイダーの「追いかけ人(びと)」となったいきさつを語ったのでした。今、長田さんは一生懸命記事をまとめていらっしゃるはずです。このインタビュー記事はアサココの1月20日号に掲載される予定とのこと。正味6日間という短い期間ではありますが、一人でも多くの方とリーメンシュナイダーについて語れたら本望です。皆さん、お時間がありましたら是非おいでください。

 と言いつつも、オミクロン株の感染者急増のニュースにはハラハラしています。是非、マスク着用、出這入りの時には手の消毒をしていただき、大きな声でのおしゃべりや飲食はお控えいただくという感染予防の基本を守りつつ、祈りの彫刻を見ていただけたらと願っています。

 朝日新聞を購読していない方、また多摩北部地域にお住まいでない方はアサココを見る機会がないかもしれませんが、ホームページでもご覧になれますので、覗いてみてください。

  アサココのホームページ  http://asacoco.jp/

 私も18日の搬入が終わったらできるだけ早く動画で展示の雰囲気をアップしたいと思っています。会場内での写真撮影はマリア祭壇ロール前でのみお願いして、各パネルは撮影をお断りしていますので、動画ができたらそちらでご覧になってください。

 何人のリーメンシュナイダーの追いかけ人たちと出逢えるのか、今から楽しみです。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2022  Midori FUKUDA

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

257. ドイツの関税に要注意!!

2021年12月22日 | 日記

▶関税に関するウェブサイト

日本からドイツへの荷物、関税はいくらかかる? - ドイツ駐在なび - Germany Expat Guide-

日本からの荷物を楽しみにしていたのに、 関税が取られたり、税関手続きで長期間届かなかったりすると テンションがだだ下がりますよね・・。 でも...

ドイツ駐在なび - Germany Expat Guide-

 

このサイトは三津夫が見つけて教えてくれました。

 

▶今年はこんなに郵便事情が違います。

 昨年まで手書きのSAL 小型包装物(2kg以内)用の緑色の小さな書類(商品名と金額を書く)を箱の上に貼り付け、記念切手のオンパレードで送ることができていた年末の小包。今年からは郵便局のホームページから所定のフォームに記入してプリントアウトし、ビニールパックに入れて箱に貼り付けてから送るという手続きが必要になりました。そうでないとEUに、特にドイツ宛に送った荷物は戻ってくることがとても多いと窓口で聞いたからです。戻ってきてしまっては元も子もありません。本当はカラフルな切手で喜んでもらいたいのですが、小さめの箱はビニールパックで覆われてしまいます。それも大変残念です。

 面倒だけどそれでやるしかないとあきらめて、パソコンでフォームを出し、シコシコと友人やお世話になった方々の名前と住所を宛名リストに書き込みました。そして梱包する品物の値段も全部メモしておき、今度は品物のリストを作りました。その後、ようやく荷物を送る書類の欄に移動し、この人にはこれとこれとこれ、とリストから選んで挿入、荷物全体の重さも書き込み、やっとこさっとこプリントアウトするのです。まぁ、来年からは今回作ったリストをほぼ利用することができるので、宛名書きの苦労はずっと楽になるはずですけれど。

 この入力(初めてだったのでちょっとしたところがわからずに書き直したりして合計2日間かかりました)、プリントアウト、梱包が終わってようやく郵便局に持ち込みました。
 今年送ったのは国際eパケットを14箱。中ぐらいの箱と小さめの箱がありますが、郵便局で私の担当になった方も大変です。一つ一つ書類と内容を確かめて料金を確認し、家の計りで測った重さと郵便局の重さは違うこともあるので書き直し(来年から重さは書かずに持っていった方が良いのか確認しますが)控えを私に戻すまでに、この14箱で優に30分以上はかかってしまいました。私はビニールパックの書類の入れ方も貼り方も今年初めてだったのでわかっていなかったこともありますが、来年からは予め自分で貼り付けておけばもう少し時間短縮はできるはずと学習しました。こうして何とかEU宛ての14箱を送り出してホッとしたのは2021年11月21日のことでした。

 以前なら2kg以内の小型包装物をSAL便で送ると2~3週間はかかっていましたが、昨年はコロナ禍で飛行機があまり飛ばなくなったせいか年明け、しかも2月になって届いたという友人もいたので、早めに送り出したのでした。すると、今年は11月30日にはもう届いたという喜びのメールが来たのです。

 良かった~と胸をなで下ろしていたのでしたが、何と12月1日に届いたという友人、ヨーラから「今年は15ユーロほど税金を支払わされたのよ」という話をメールで読み、びっくりしました。すぐさま彼女にそれは初めてのことなのか、今までも払うことがあったのか、何のための支払なのか、と尋ねたところ、今までは払ったことが無く、今年初めてだとのこと。DHLが手数料(?)として6ユーロ、関税が8.2ユーロだとのこと。その税金は商品だった場合にかかるもので、今回のようにクリスマスプレゼントなら必要ないはずだとボンにあるDHL本社に抗議をしたところ、8.2ユーロは戻ってくることになったというのです。

 国際 e パケット所定のフォームには商品か贈り物かチェックを入れる欄があります。当然すべてのフォームに贈り物とチェックを入れたのです。しかもヨーラとは長い付き合いで、わが家にも2回来たことがあり、どうしてもお気に入りの日本食品などがたくさんあるので、それらを毎年送っているのです。そのためリストが小さな表だけでは足りなくなり、インヴォイスを別にプリントして入れてありました。チェックボックスとそのインヴォイスを見れば贈り物だとわかるはずなのにおかしいと思い腹が立ってきました。こちらで送料も払っているのに何であちらでまたお金を払わなければならないのかと最初はとても気持ちがおさまりませんでした。そして他の人たちも皆お金を払わされているのかと胸がドキドキしてきました。親しい友だちならまだ許してもらえる範囲なのかもしれませんが、私は美術館や博物館で親切に支援を受けた方々にもお礼の品を贈っています。そういう方々にまでお金を払わせてしまったら何と申し訳ないことと冷や汗が出てきました。

▶友人たちにアンケートを送ってみました。

 そこで、気を揉んでいても事実がわからないと今後の対処のしようもありませんので、「荷物が届きましたよ」と連絡をくれたドイツとオーストリアの友人、お世話になった方々12人に、受け取りの際、支払が生じたかどうかの質問をメールで送りました。その返事をまとめてみますと、

 1)支払いをまったくせずに受け取れた方 …2名
 2)少し~10ユーロ未満支払った方    …4名
  (はっきり金額を書いてくれませんでした)
 3)10ユーロ以上支払った方       …4名
  (うち1名は手続きをして半額以上が戻ってくる予定)
 4)問い合わせに答えてくださらなかった方…2名

という結果となりました。


▶この結果わかったこと

 特別な用事がない日曜日の朝は、シルヴィアとスカイプでお喋りをします。彼女はコロナ前に通っていた日本語クラスが閉じてしまって日本語をもっと覚えたいと、そのテキストを少しずつコピーして送ってきます。それを解説しながら進める一方、私も辞書に載っていない単語をドイツ語で何というのか教えてもらったり、友だちの手紙の理解できない部分を教えてもらったりしているのです。
 そのシルヴィアがこの関税問題について「ミドリの送り状は個人が作ったように思えないから会社から買った商品だと勘違いされているように思えるわ」と教えてくれました。規定のフォームで渋々入力したというのに…。従って今後はヨーラのアドヴァイスのように手書きで「贈り物」と大きく加筆した方が良いのではないかと賛同してくれました。

 また、トップに載せた「NO MORE 関税  6つの注意点」でわかったことは、個人から個人でないと関税がかかるという事例です。
 バイエルン国立博物館のヴェニガーさんは最初から個人として住所交換をしているため、彼の自宅宛に送った荷物は何のおとがめもなく支払いもなしで受け取ることができたそうです。しかし他の美術館の方は3名とも関税を徴収されてしまったのでした。これは、美術館の住所宛てで送ったからに違いありません。

 ただ、一方で個人宅から個人宅へのプレゼントでも支払いなしに受け取ることができた人はヴェニガーさんも含めてわずか2名でした。それも人によって小包の内容が違うので小さなものもあれば中ぐらいの箱もありますが、中ぐらいの箱でもOKだった人がいる反面、小さな箱でほんのささやかなプレゼントだと一見して分かるものにも関税をかけられた友人もいます。そちらが一番腹立たしく思えます。
 上記のサイトの記事によれば総額45ユーロ以内に納めることが大事とありますが、レートによって違いはあるものの現在のほぼ127円で計算しても5,715円です。確かに多めの料金を課せられたのは付き合いの長い友人で、いつも宿泊したりご馳走していただいたり、車であちらこちら案内してくれる友人に送った品物の総額はこの金額を越えていました。これは今後注意するしかありません。昨年まで同じようなものを送っていても引き取りの際にお金を払わなければならなかったとは聞いていないのです。今年が大きな変わり目だったということのようです。

 いずれにせよ、来年は手書きではっきりと「Eine Geschenksendung und KEINE Handelsware」と書いて試してみるしかありません。
 皆さんの心を込めたプレゼントがこのような悲しい、そして腹立たしい思いをすることなく届きますように祈っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

256. マリア祭壇を背景とした女性像

2021年11月14日 | 日記

▶今年2回目の国立新美術館

       

宮城千春さん リーメンシュナイダー「マリア祭壇」のある部屋


 すでに三津夫に先を越されていますが、11月10日の水曜日は久しぶりの美術館巡りをしました。たまたま二人の方から同時に開催している二つの美術館の招待状が届いたからです。お一人目がこの絵を描かれた宮城千春さんです。2019年に開催した福田 緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」に来てくださって本も購入いただいた方で、クレークリンゲンにあるヘルゴット教会のマリア祭壇(本ブログ255に掲載したチラシの写真と同じ日に写したものです)を背景にした人物画です。今年の3月には白日展で第一作目を拝見してブログ250でご紹介しました。恐らく同じモデルさんですね。柔らかな微笑みがそうだと確信させてくれます。前回よりもより祭壇を細かく描写された感じがしました。モデルさんの佇まいも凜として素敵です。



▶気になった小さな彫刻がありました。

 それにしても日展というのはこれほど大きな展覧会なのだとつくづく思いました。一つの作品にそれぞれの思いを込めて描かれたり制作されたりした力作ばかりで圧倒されてしまいます。でもこんなに混み混みではお互いがお互いを圧倒し合うので、却ってそれぞれの魅力が伝わりにくくなってしまうような気がしました。これが一壁面に1~3枚ずつぐらいの大きな美術館で置かれていたらどんなに素敵だろうと思います。でも歩く方も大変かもしれませんけれど。

 彫刻もしかり。ぎゅう詰めで並べすぎですよね~。可哀想になるぐらいです。その中でも一点、とてもほわっとした雰囲気を醸し出している「どんぐり」(森田一成さん作)という小さな作品がありました。ホームページからブログをたどって拝見したところ、3歳のお嬢さんの彫刻だそうです。この子の周りには現在を超越した空気が漂っているようです。ちょこんと座る姿は現代版の座敷童のようで、とても心惹かれました。ちょうど同じ作品を見ていた女性が私を見て「良いですよね~」と笑顔でおっしゃって。でもその写真は無断ではここには載せられないのが残念です。連絡が取れないかと試みてみましたが、メッセージを送ろうとしたらアメーバブログにログインしないとできないのです。以前会員になっていたことがあるのですが、再ログインしようとしても入れず宙に浮いたままで、今回も試してみたところやはり入れず。あきらめました。

 

▶写真展チラシの反響

 11月3日に、以前夫婦で発行していたミニコミ「啓」を送っていた方々、第一回目の写真展に来てくださった方々(そのうち主に関東圏にお住まいの方々)にチラシを発送したところ、連日のように「是非伺います」「友人の○○さんに送ってください」「うどん店をやっているのでチラシを置いても良いですよ」などのメールや電話の反響がありました。その度に嬉しくなって、元気をいただいています。幸い、国分寺に住むUさんの働きかけで、国分寺市の市報にも(しかもその元旦号に!)写真展のお知らせを載せていただけることになりました。なんとおめでたいことでしょう!!

 この分なら、写真展の1週間、手持ち無沙汰で困るということはなくて済みそうかな…と胸をなで下ろしています。

 これからしばらくの間はまた本の原稿の仕上げと画像の整理に取りかかるため、ブログの更新はあまりできそうにありませんが、来年、多くの「リーメンシュナイダーの追いかけ人」仲間にお目にかかれるのを楽しみにしています。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2021  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

255. 日独交流160周年のロゴ入り リーメンシュナイダー写真展のチラシ

2021年10月31日 | 日記

▶2ヶ月半もご無沙汰してしまいました。

 

 

 

▶ようやく第2回写真展のチラシができあがりました。

 恐らく日本で最初の写真展「リーメンシュナイダー 祈りの彫刻を歩く」を私が開催したのは2019年のことでした。コロナの感染が始まる直前だったのですね。2週間の開催中に足を運んでくださった方が500人を超えるという大きな反響をいただきました。それほど、日本ではリーメンシュナイダーの隠れたファンが大勢いたのですね。私が20年間リーメンシュナイダーの作品を追いかけて16回のドイツ旅行、2回のアメリカの取材旅行をしたことなど、まだまだ若輩者だと痛感した日々。その倍もの長い時間、リーメンシュナイダーの作品に愛情を傾けていた人もいらしたのです。そうした方々とお話しする時間はとても貴重なものでした。

 現在、連れ合いの福田三津夫と共に来年6月発行予定の5冊目の写真集を準備中です。もう本は作らないと何回も断ったのに、三津夫に何度も何度も説得されてとうとう筆を執ることになってしまいました。でも書き始めたらやはり少しでも良い本にしたいと、手も時間も取られて忙しい毎日を過ごしています。そのため、なかなかブログをアップするゆとりがなく、写真展のチラシもようやく仕上げて印刷してもらった次第です。

 もう少し時間が取れるようになりましたら、本の内容など紹介していきたいと思います。

 今日は、写真展のチラシを見ていただけたらと久しぶりにブログをアップしました。来年、国分寺の司画廊でリーメンシュナイダーや中世ドイツの彫刻に関心がある多くの方々とお目にかかれることを、そしてお話を交わすことができることを願っています。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2021  Midori FUKUDA 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

255. 日独交流160周年のロゴ申請に許可が下りました!

2021年08月12日 | 日記

▶しばらくの間、このカタログに奮闘していました。

 


リービークハウスのカタログ『ニコラウス・ゲルハールト 中世後期の彫刻家』
 編集:Dr.
Stefan Roller 出版:IMHOF

 

▶朗報? 悪報??

 本日、2021年8月12日の午後、ドイツ大使館から電話がかかってきたのです。
  
何事かと思ったら 第二回  福田 緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」の開催に対してドイツ大使館から「日独交流160周年」のロゴ申請に許可が下りたとのこと。思わず喜びの声を上げたところ、

「ところがメールで申請許可のお知らせを送ろうとしたのですが、届かなくて戻ってきてしまったのです。」

と言われてしまいました。今度は「またやってしまった!?」と冷や汗が出ました。確認してみると、私が申請書に書いたメールアドレスが一部抜けていて、届かないのも当然だったのです。このおっちょこちょい!! いつも三津夫には注意されてばかり、自分でも情けなく思うのになかなか直りません。恐らく私は一生おっちょこちょいで生きていくのが宿命なのでしょう。電話で何度も担当の方に平謝りをして正しいアドレスをお伝えし、2階に上がってパソコンを開いたところ、今度はちゃんと「ロゴ使用許諾書」「ロゴ使用条件」と大小のロゴ画像が届いていました。本当に嬉しくて、早速後援団体の代表として第二回目の写真展を支えてくれている国分寺のUさんや三津夫と何人かの友だちにメールで知らせました。

 この「日独交流160周年」は今年の1月24日にスタートしましたが、ロゴの使用期限は来年の1月28日までだそうです。私の写真展は2022年1月19日からオープン、最終日は24日ですので、このロゴ使用期限にギリギリ間に合います。そこで日独交流の目的にかなう写真展であることをドイツ大使館に認めていただき、ロゴを使えたら幸運と思って使用申請にトライして見たところ、無事に許可をいただくことができたのでした。この1年間に日本中でいくつの行事がこのロゴを使用して行われるのだろうと思うと楽しくなります。そろそろチラシを作り始めなければと思っていたところなので大きな励みとなりました。
 チラシができたら使用条件が守られているかどうかを一度審査されるそうで、電子版を送ることになっています。最終許可をいただけたら印刷にかかれますし、このブログにも載せたいと思っています。

 

▶今、取り組んでいること

 いよいよ5冊目の本作りも本番。ティルマン・リーメンシュナイダーと同時代の作家たちについての情報を書くというメインテーマに入っています。

 何とか手許にある参考資料を有効に使用して一人ひとりの作家につき、少しでも実になるガイドブックにしたいと奮闘しているところですが、やはり立ちはだかるのは語学力の壁。高い高いドイツ語の壁です。リーメンシュナイダーより少し年上のニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデンという作家についての資料で日本語で見られるものはわずかなのですが、幸い手許には1冊のドイツ語のカタログ(トップの写真)があります。これは384頁、重さは2.2kgもあり、開くだけでも大変なもの。それだけゲルハールトの仕事は偉大だったということだと思われます。でも何と文字が小さいことでしょう。白内障があり、まだ手術をするほど緊急ではないものの、定期検診に通っている身としては辛い…。何時間かにらめっこしているともう目がぼやけてしまって続けられません。もう少し大きい文字で印刷してくれたら良かったのにと思う一方、そうしたら頁が増えて本の重さが3kgを超えてしまうかもしれないと思うと、それもまた大変です。このカタログを持ち上げるにも、頁を開いたままで支えて読むにも、とても力が要るのです。いくつもわからない単語があり、アンダーラインを引いて辞書を引き引き小さな字で意味を書き込み、次第にゴチャゴチャして他の人には見せられない本になりつつあります。当然1冊全部なんて読むことは無理。ゲルハールトのおよその仕事について書かれたシュテファン・ロラー博士の章を追いかけて何とか文章にまとめました。それでも日本ではまだまだ知られていないゲルハールトの力量の高さと作品情報がたくさん書けたのではないかと思っています。このカタログを全部すらすら読める人がいたら、是非訳していただきたいものです。

 その後に取り組んだのがティルマン・リーメンシュナイダーについての記事でした。彼については様々な資料を他のどの彫刻家よりも読んできているので筆は進みますが、あまり彼の詳しい仕事内容を書くと切りがないため、結局一覧でまとめて出すことにしました。それでもリーメンシュナイダーとの付き合いは一番長いため、文章もやはり一番長くなってしまいました。三津夫に「ちょっとバランスが悪いかしらね?」と話したら「まぁ、しょうがないね」と認めてくれたのでホッとしましたが。資料がある彫刻家とほとんどない彫刻家では、やはりこちらが書く文章の密度が違ってくるのは仕方がないのでしょうね。それでもまだ日本ではあまり知られていない中世ドイツの作家について紹介することに意味があるというのがこの5冊目の本の趣旨なので、えこひいきに対しては片目をつぶって書きました。

 明日からは、やはりリーメンシュナイダーより少し年上のファイト・シュトースについてまとめ始めます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2021  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

254. 今、飛んでいきたいバイエルン国立博物館

2021年07月15日 | 日記

▶今、飛んでいきたいバイエルン国立博物館

 


バイエルン国立博物館の展覧会カタログ

 

▶ご無沙汰していました。

 すぐにでも前回のブログ 253 の新聞記事について書くつもりでいたのですが、気が付けばもう1ヶ月半がすぎていました。その間に三津夫はいろいろと発信していましたので、もう既にご存じの方も多いかと思いますが、巻頭の写真はバイエルン国立博物館で8月1日まで開催されている「KUNST & KAPITALVERBRECHEN(芸術と大罪)」のカタログです。本当なら今、飛行機でミュンヘンに飛んで行き、ゆっくりと訪ねたい展覧会なのですが、コロナ禍ではそうもいきません。仕方なくインターネットでこのカタログを買い求めました。それでもまだ私はこの内容をほとんど読んでいないのです。ファイト・シュトースが描いた絵の内容をきちんとお伝えできるまでには、まだ時間がかかりそうです。

 

▶さて、前回載せたフランクフルト・アルゲマイン社の新聞記事についてです。

 トップにはおよそ以下のようなことが書かれています。

「Schuld ohne Sühne?
  贖罪(あがない)は無いのか? (註1)

一人は頬に穴をあけられ、もう一人はひどい拷問で手をおかしくされた。なぜティルマン・リーメンシュナイダーとファイト・シュトースはこのように激しい罰を与えられなければならなかったのか。彼らはともにミュンナーシュタットの祭壇を作った名工であるのに。今、ミュンヘンで彼らの足跡を辿ることができる。」

 

 その後の記事の概略をまとめるとこのような感じです。

 「ファイト・シュトースと彼の工房はポーランドのクラクフ大聖堂でマリア祭壇を作り、一生暮らせるほどの収入を得た。しかし、シュトースは、かんしゃく持ちで争いの多い男だったため税金を払えない状態になった(註2)。そこで彼はある証書の書き換えをして捕まってしまう。書類偽造は当時のニュルンベルクでは死罪に値するほどの大罪だったが、それまでの功績によって両頬を熱した鉄で突き刺されるという拷問を受け、一生焼き跡が残る状態となって放免となった。

 しかし当然ニュルンベルクでは仕事ができず、ウンターフランケン(バイエルン州の北)に位置するミュンナーシュタットに逃げ出した。そこでは罪人ではあってもシュトースの力量に免じて、1490~1492年に制作されたリーメンシュナイダー祭壇の彩色(註3)と、両翼の裏側に絵を描く仕事を依頼する。今まで彫刻家として名をあげてきたシュトースが鑿を筆に持ち替えて制作した祭壇と祭壇画が今でもミュンナーシュタットのマグダレーナ教会に残っている。


 一方、近代の感覚ではすばらしい芸術作品とされるリーメンシュナイダー祭壇は、当時は裸体表現は恥ずべきこととされていたため、マグダレーナのあらわな乳頭はカンナで削り取られ、色を塗られ、さらに250年後には祭壇そのものが片づけられたのだった。そして再び開かれた祭壇は部分部分が散逸し、様々な変遷を辿ってベルリンとミュンヘンに買われていった。

 このような素晴らしい祭壇彫刻を残したリーメンシュナイダーもまた、1525年の農民戦争では農民の側に立ったために、鎮圧後に囚われの身となった。ちまたで言われたような腕を切られたということはなさそうだが拷問を受けた可能性はあり、釈放後の作品は見られない。


 しかし、一体ファイト・シュトースの付加価値とは何なのか? 彼の描いた祭壇画のどこが特別だったのだろうか。それは司教区の聖キリアンの伝説描写が尋常ではない構想力を示していることだ。聖キリアンの拷問と斬首を画策した公爵夫人ガイラナや下手人の描写は現代でも尋常ならぬ残酷さを放っている。

 シュトースは1506年に皇帝マキシミリアンの恩赦の手紙を受け取り、再び仕事ができるようになった。彼はリーメンシュナイダーよりよい最期を生きた。

 現在ミュンナーシュタットの祭壇は修復中のため、部分部分の彫刻やシュトースの祭壇画がバイエルン国立博物館で展示されている。」

   福田 註1:この部分はあまりよく理解できていないのですが、このようだという予想です。良い訳がありましたら教えてください。
   註2:上と同じ

   註3:リーメンシュナイダーは当時の常識である彩色を拒み、木地のまま何かしらの虫除けの塗装を施して仕上がりとしていました。
      また、教会の冊子ではこの祭壇を「リーメンシュナイダー祭壇」と表記しているのでそちらに合わて書きます。実際はマリア・マグダレーナ祭壇だと思われますが。

 

 相当すっとばした概略で申し訳ありません。
 ただ、約500年前、直接会ったこともあるかもしれない二人の巨匠がそれぞれに本領を発揮した祭壇が小さなミュンナーシュタット村(?)の教会にあることを思うと歴史の重さを感じさせられます。その両人共が当時の大罪を犯したことになり、このカタログのタイトル「芸術と大罪」になった訳ですね。バイエルン国立博物館のビデオを見ると、どうやら当時の拷問具なども展示されているようです。私は今、ドイツの友人、シルヴィアとお互いに都合の合う日曜日の朝(ドイツでは土曜日の夜)にスカイプで話を交わしているのですが、彼女にこのシュトースが受けた拷問の様子が文面からだとわからないと話したところ、両方の頬に熱した棒が刺されたのだと説明してくれました。それでも例えば、その棒は刺さったままなのか、刺さった跡が残っているだけなのか、そうだとしたら穴はそのうちに埋まって目立たなくなるものか…。どうなんだろうと考えてしまいます。拷問というのは想像するだけでも胸が痛くなります。シュトースは自分が身に受けた拷問の恐ろしさを思いながら、きっと聖キリアンの祭壇画を考えて描いたのかもしれません。実体験に裏打ちされた迫力があるのでしょうね。

 シルヴィアの話では、シュトースはクラクフで得たお金を誰かの詐欺で奪い取られてしまったそうで、ニュルンベルクに戻ってから今度は自分で詐欺をしたのだと言っていました。これがどこに書かれていたものか、今度もう少し詳しく聞きたいと思っていますが、ニュルンベルクは当時のドイツでは大変豊かな大商業都市だったそうで、特にこうした詐欺は許されない大罪だったようです。それに習うと現在の日本の政治家はどうなのでしょうね。

 本当にコロナ禍でなければ飛んでいきたい展覧会なのに残念です。なぜなら普段は高いところに置かれていてじっくり見ることができないリーメンシュナイダーの彫刻が見やすい場所でしっかり見られるからです。せめてじっくりとカタログを眺め、ファイトシュトースとリーメンシュナイダーがどのように仕事をしたのか、もう少し勉強させてもらうつもりです。

 

▶補聴器 × 夏 の大問題

 さてさて、補聴器を付けるようになって3か月目に入りました。どんな音量でどのようなときに身につけた方が良いのか、身につけない方が良いのか段々わかってきたのですが、現在、基本的に外して生活しています。それは夏特有の蒸し暑さからくる耳の痒みが原因なのです。

  以前はこれほど耳が痒くなることもなく生活していたのですが、次第に蒸し暑くなってくるとどうも耳の奥が蒸れてきはじめました。補聴器を付けていると午後には何だかむずむずと痒くなり、思わず耳かきをしてしまいます。気をつけているつもりでしたが先月、いきなり耳の中がじゅくじゅくしてきました。いわゆる湿潤状態です。耳を押さえると水っぽい音が聞こえます。これは困った。子どもの頃に何回か中耳炎をしたことがあり、この湿潤状態がひどくなるととんでもなく痛くなること、治るまでが大変なことを知っています。そうならないように必至で耳かきをがまんして数日。少し音が乾いてきて、今度はガサガサするようになりました。湿潤がひどくならなかったのにはホッとしましたが、このガサガサが固まってきたのか、耳の聞こえが以前よりも悪くなってしまったのです。あわてました。

 補聴器生活の前には、テレビの音量は21~23位にしないとよく聞こえなかったのが、最初の補聴器でピンピン響くようになったときは補聴器を付けて13~14でも十分聞こえるほどでした。そこで一回目の補聴器の調整時には基本の音量を少し下げてもらいました。これで、補聴器を付けた状態で16~18位のテレビ音量となりました。2回目の調整でもう少し基本音量を下げてもらった後で痒み問題が勃発。じゅくじゅくしているところに補聴器を入れるわけにはいかず、裸耳でテレビを見ているとやはり21~23の音量になります。ところが湿潤がおさまったらこれでもよく聞こえない。テレビはできるだけ三津夫が隣の部屋にいないときに音量を24~25ぐらいまで大きくして見る感じでした。

 このまま耳が塞がった感じではどうしようもないので、補聴器を付ける前に行った耳鼻科で診てもらいました。するとカメラに写ったのは大きな耳垢でした(失礼)。固まって耳を塞いでいたのできれいにこれを掃除していただき、鼓膜にも傷は付いていないことが確かめられてホッとしました。

 夏の教訓
 ★蒸し暑い時期は必要な時だけ補聴器を付けることにして、普段は裸耳ですごす
 ★かゆくなったらきちんと耳鼻科で診てもらう

 季節が変わればまた違う問題も発生するのかもしれませんが、1年経ったら大分上手に使えるようになるのではないかと期待します。蒸し暑い夏は大敵と悟りました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2021  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

252. ティッシュが一瞬で固くなるー補聴器の世界

2021年05月03日 | 日記

▶補聴器体験の続きです。

 


あしかがフラワーパークにて 
 日本でも珍しい藤の花 八重黒竜

 

▶パチャピチャの世界

 補聴器生活を始めて12日目となりました。
 最初の頃は耳に圧力や違和感を覚えていましたが、大分補聴器の存在が気にならなくなってきました。入れたり出したりも以前よりはスムーズにできるようになってはいますが、時にはうまくいかない日もあり、その日はちょっとしたことでピーピーと補聴器が文句を言います。入れ直してもこういうときはなかなか切り直しができないのか、直りません。でもうまく入ってくれたときは、着替えで多少耳が圧を受けても全く文句を言いませんから、こうしたすっぽりはまる日が日常になると、きっと第一段階はクリアということなのでしょうね。
 それにしてもこのピーピー音、周りの人にも聞こえているのかどうか、気になります。今度うまくはまっていない日があったら夫の側で音を出して確かめてみるつもりです。

 補聴器専門店でスマホに音と音源のコントローアプリを入れてもらった後、音量は中央値「8」で外に出て電子音があまり大きく響いて驚いたことを前回書きました。
 現在、家では音量を「1」まで落として生活しています。それでも今まで全く聞こえなかった近くの時計の秒針の音、スリッパで歩くときのパチャピチャという残響音が聞こえます。試しに最高の「15」にしてみると、今、目の前にあるパソコンのモーター音まで聞こえます。ベランダに出れば、どこかの工事のモーター音まで聞こえるのです。1階に下りれば冷蔵庫のモーター音が響いてうるさいことでしょう。掃除機をかけるときはさすがに補聴器は辛いだろうと、つけずにかけています。

 この音量「1」でも、雨戸を開けたてするときはガシャガシャ音が大きく、歩くときはスリッパの残響音が響き、パチャピチャの世界となります。あまり快適ではありません。ただ、今まで何か言われているとはわかっても内容がよく聞こえなかった夫の一階からの呼び声も、ほぼ内容まで聞き取れるようになり、大助かりでもあるのです。恐らく「2」にしておけばもっとはっきりするのでしょうけれど、そうすると、食卓ですぐ右から話しかける夫の声(元々よく通る声です)がガンガン響きすぎてしまうことは実験済み。わが家ではちょうど「1」がフィットしている感じです。

 


あしかがフラワーパークにて

 

▶コンサートホールでの体験

 緊急事態宣言下ではありますが、以前から計画されていた孫のバレーの発表会が先日ありました。私は小学生の頃、貧しい家計でもバレーが習いたくて、集会所で開かれているバレー教室を窓からのぞいては家で踊っているような子でした。自分から何か習わせて欲しいと言ったのはバレーが初めてです。何度もお願いするうちに母もようやく折れ、母の願いで私と姉に習わせていたピアノをやめてバレー教室に入れてくれたのだと記憶しています。というのも、ピアノは家に練習するものが無く、今のようなエアーピアノという概念もなかったので、先生の家に行ったときだけ練習するのが関の山、あまり進歩がなかったのです。それに対して自ら進んで入ったバレーは楽しくて楽しくて、学校で踊りを披露して滑って左手首を捻挫したことを覚えています。走るのが苦手で大嫌いだった運動会も、ダンスだけは「そこのおちびちゃん、上手よ」と褒められるぐらい大好きでした。

 そんなことから孫のバレーはできれば見に行きたい。そのためにcocoaが必要だと言われて、今まであまり気が乗らなかったcocoaのアプリも入れました。補聴器は、息子の声が小さめなので音量を「2」にし、マスクはいつものように二重にかけて、喜び勇んで出掛けたのでした。ところが帰りの時間帯には雨が降ると言う予報をすっかり忘れていたのです。

 演目が始まると困ったのは音楽の音量がとても大きく響くことでした。第Ⅰ部が終わった段階でスマホの電源を入れ、音量を「1」に下げました。これで何とか落ち着きました。今後コンサートやバレーなどでは「1」が良さそうだとわかりました。ただ、休憩時間に会話をするときには周りに多くの人がいて話し声などがざわざわするため、「2」ぐらいは必要かなと感じました。

 そして孫の可愛い笑顔の踊りに満足しての帰り道、何とザーザー降りの雨! あわてて息子から傘を借り、最寄り駅まで車で送ってもらったのですが、家の近くで電車を降りたら雷まで鳴っています。ものすごい「ガシャーン!」という音が何回も響いていてとても怖かったのですが、これは補聴器を入れてなかったらそんなに大きくなかったのかもしれません。
 また、家に帰り着いたときには足もとはビショビショ。着替えて、あまりにも疲れたのですぐに補聴器を外しました。でも、この日は会場まで暑い日差しの元を歩いたので汗をかき、帰りはザーザー降りで湿度も高かったはず。それなのにはずした補聴器を乾燥ケースにしまうのを忘れてしまいました。いつもより湿気が入ったはずなのに…。あまり雨がひどいときは補聴器をつけずに出かけて出先だけつけるという対応ができるようになる必要があるのだなと思っています。何事も体験を重ねていかなければわかりませんね。

 

▶ティッシュが一瞬で固くなるー補聴器の世界

 私は目薬を付けたり、花粉症もあるのでよくティッシュを使います。不思議なことに、朝の用事が一段落してから補聴器をつけるのですが、つけた途端にいつものふわふわのティッシュがシャリシャリした固いペーパーになってしまうのです。実際使っている感じも固めになります。音は手触りまで変えてしまうのですね。とても不思議です。
 新聞もずいぶん雰囲気が変わるのですよ。パリッとした紙になってしまうのです。そして一番変わるのはポリ袋でしょうか。小さなお菓子のポリ袋でもパリッポリッととても大きな音が響きます。よほど固い物を壊しているという感じです。今まで映画館などでポリ袋をいじる人がいると「うるさいなぁ」と感じましたが、きっと補聴器をつけてだったらもっと大きく聞こえるのでしょうね。

 

▶雛の声が聞こえないかしら…という希望

 わが家には桐の巣箱があります。娘の連れ合いが手作りしてくれた2代目の巣箱です。2013年5月19日には一代目巣箱から四十雀の雛たちが巣立ちました。その様子がとても面白く、愛らしくてずっと録画していたのですが、そのフィルムをYouTubeにアップしてあります。長いので前編、後編と各8分ほどに分けて編集し、アップしたものです。以下のサイトからご覧いただけます。お時間のある方は是非のぞいてみてください。

四十雀の巣立ち 前編
https://studio.youtube.com/video/kKWxYP5onmY/edit?o=U


 そして一代目の巣箱はもう一回新しい家族が住みつき、雛が巣立ったのですが、最後の小さな雛がどうやらテグスのような糸を体に巻き付けていたようで、入口近くに入っていたヒビ割れに糸がひっかかって宙にぶら下がってしまう事故が起きました。ちょうど気が付いた私があわてて手でその糸を取り外し、物置の上に雛を乗せてあげたら、しばらくして飛んでいったのでホッとしたのでした。

 その後はなかなか入居家族が現れず、巣箱も段々傷んできたので、2代目の巣箱を作ってもらって今年のお正月に付け替えました。
 
その巣箱に3月後半あたりからときどき四十雀が出這入りしているのを三津夫も私も見ているのですが、どうもまだ雛がいるのかどうかわかりません。奈々子は先日帰省したときに「雛が鳴いているのが聞こえる」と言っていたので、「雛がいるのではないか」と期待しつつも、三津夫は「いや、僕には聞こえない。今年は生まれてないんじゃないか」と言います。私も補聴器を「6」で聞いてもすぐ近くの巣箱からは何も聞こえず、「15」にしても聞こえません。三津夫は前回まで奈々子と同じように聞こえていたので、もしかしたら奈々子は裏の家に入ったメジロの鳴き声(結構大きい鳴き声です)が聞こえたのではないかなとも思ったり…。もしわが家の巣箱から新たな巣立ちが見られれば嬉しいのですが。それが今のところの大きな希望です。





あしかがフラワーパークにて 
 ハンカチの木の花? 私は初めて見ました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2021  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

251. パリパラピリポロと水は流れる

2021年04月25日 | 日記

▶初めての補聴器体験を書いてみます。

 


あしかがフラワーパークにて



▶ご無沙汰してしまいました。

 2021年4月25日、3度目の緊急事態宣言が出されました。
 その少し前の4月19日、娘と一緒に「あしかがフラワーパーク」に藤の花を見に行ってきました。  
 初めてここを訪ねたのは2017年の5月末のことでした。藤の花はとっくに咲き終わっていました。見事な緑の葉っぱが広がる大きな藤棚を見て、娘と「いつか花の盛りにもう一度見に来ようね」と約束していたのでした。ようやく今年はその時間を作ることができました。新型コロナの変異株が東京でも見つかり始めての一泊旅行は悩ましいところでしたが、何とか旬の藤棚を見、きれいな花を沢山見ることができて帰宅。今日の写真はその中から何枚かアップしてみます。

 そして、4月22日の木曜日、私はある補聴器専門店で初めて補聴器を買い求め、補聴器生活をスタートしました。驚くことがたくさんあったので、その体験を書いてみようと思います。

 


▶まずなんで今、補聴器なのかということから。

 私は子どもの頃、2~3回中耳炎で鼓膜切開を受けています。そして教員時代には、仕事が忙しいストレスと、電車の中で英語のテープを聞いていたことで鼓膜を酷使したせいか、42歳の時に突発性難聴を煩いました。先輩教師から「放っておくと聞こえが悪くなるから明日にでも休暇を取って病院に行ってきなさい」と薦められ、翌日すぐ帝京大学医学部附属病院へ。中耳炎で切開した鼓膜は硬くなっていて聴力が落ちていること、でも突発性難聴は薬を飲んでなんとか様子を見ましょうと言われ、半信半疑で飲み薬を飲み続けました。最初は頭の中で常にトラックが走っているような騒音が響き、回りの話し声がなかなか聴き取れませんでしたが、薄紙を剥ぐように徐々に騒音が落ち着いて、何とか日常会話で困るほどのことはなくなったのです。

 それでも遠くの人の話し声は聞き取りにくい状態が完全には治りきらずにいました。

 そんな状態のところへ昨年からはコロナ禍でマスク生活が始まり、口元の見えない会話が続くと、元々聞き取りにくかった声のソフトな人やハスキーボイスの人の口元が見えなくて話の内容が本当にわからなくなってしまったのです。私の場合は耳から7割、口元から3割ぐらいの情報を得ているのだと痛感しました。一番困ったのは地元のドイツ語クラスと、いろいろな会議でのソーシャルディスタンスをキープしての発言のやりとりです。今まで辛うじて聞き取っていた会話が半分もわからなくなってしまいました。もうこれは補聴器を買うしかないという状態に追い込まれました。  

 意を決して4月始めに補聴器専門店を訪ね、耳型をとりました。翌日は提携している耳鼻咽喉科を訪ね、聴力検査、診察を受け、必要な書類を書いていただきました。やはり2回ほど切開を受けていた左耳の鼓膜は硬くなっていて動きが悪く、こちらは中度の難聴、突発性難聴を煩った右耳は動きも良く、軽度の難聴と診断されました。その補聴器を受け取りに行ったのが22日のことでした。 



あしかがフラワーパークにて

 

▶補聴器を付けると大きく聞こえる音は…

 出来上がった補聴器を付けた途端に一番大きく聞こえるようになるのは自分の声です。録音した声を聞くと何だか自分の声ではないような感じがしたものですが、自分の話し声がちょうどそんなような声になって頭に響きます。担当の方は、「その声に慣れてくださいね」と笑顔で言います。彼女が動く度に何やらガチャガチャと響く金属音は? スーツの袖のボタンでした。そのボタンが机をこする度にすごい音がするのです。そして紙! 今まで紙を触る度にこんな音がしているとは思わなかった紙の音がシャカシャカと響きます。「皆さんびっくりされるんですよ」と彼女に言われました。

 その後、耳穴型の補聴器の取り扱い、電池の入れ方、出し方、手入れの仕方などを教わりました。ようやく何とか自分の手で小さな補聴器を耳に出し入れができるようになったところでスマホでの微調整を教わりました。この補聴器を私のスマホに登録し、音量を自分のスマホから変えることができるのです。これをやっておいてもらって本当に良かったと思います。

 


あしかがフラワーパークにて

 

▶補聴器を付けて聞いた音の変化

 さて、お店を出ての帰り道。まず駅の中でピンッ、ピンッと耳をつんざくような音が響くのに驚きました。何の音だろうと見回すと、どうやら改札を人が通り抜けるときの交通カードの電子音なのです。思わず肩をすくめたくなる音です。参ったなぁ…。この音に慣れることが一体できるのかしらと胸がドキドキしてきました。自分でも何とか改札を通り過ぎ、やはりがまんできずにスマホを取り出して早速音量を少し下げてしまいました。そのおかげで電車の中ではそこまで音が響きすぎることもなく、家に帰り着きました。

 帰ってまず手洗いをすると、今度は水の音がなんと大きいこと! このブログのタイトルに「パリパラピリポロと水は流れる」と書いたように、パ行の音が響くのです。水一滴一滴に音がついて転がり落ちてくるような、映画館で音響効果がとても強く響いているような感じ。トイレに行っても、台所で洗い物をしても常にこの音の洪水となります。おまけにスリッパで歩く音はガチャガチャパタパタと巨人が歩いているように響きます。これで負けてしまっては高かった補聴器を無駄にしてしまいますから、がまん、がまん。

 最初の夕食時。夫の声は元々よく響きます。補聴器を付けたままで2人で話しているととても大きく響くのですが、食事では、その夫の声よりも自分が咀嚼する音が大きいのにまたまたびっくり。夕食後は疲れてしまって早々に補聴器を外しました。初日は正味5時間ほどの装着。

 その翌日から幸いスマホで音源と音量を微調整できるので、取りあえず装着し続けることを目標に、辛いときは音を控えめにしながら生活しています。これから会議やドイツ語クラスの授業では音量を上げればいいのかなと思っていますが、これでいいのかどうかわかりません。1か月後に補聴器の調整に行く予約を入れてありますので、それまでは自分なりに試し続けるつもりです。そして、コロナが落ち着いてドイツに再び旅をしたときに、少しでもドイツ語の聞き取り能力があがっているように踏ん張ります。

 


あしかがフラワーパークにて

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2021  Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする