先日【さだまさしンサート】に行ってきた。
毎回思い出すことがある
長男は意匠設計を専攻して就職した。
最初の3年間は全部覚えるということで施工もやることになり最初の赴任地が大阪支店、
独身寮は西の宮にあり最初の現場が海遊館の隣のビルだった。
その時の現場の所長が息子に最初にかけた言葉が【わしは東京人はきらいや、なんで大学院出がここへ来るんや、俺は中学出て現場でたたき上げてこれまでになったんや】と言ったそうだ。
それからは何かにつけて東京言葉が気に入らない、とか仕事に関係ないことでいじめにあった。
副所長が色々フォローしてくださったがかなりやつれて夏休みに帰ってきた。
長男は六甲で生まれ3年間六甲社宅にいて東京に来てから就職するまで東京育ち大阪弁が使えるわけもなくそれでも必死にイントネーションが違う大阪弁を使っていた。
秋に入り会社を辞めようかと思うと電話が来た。
そのとき私はさだまさしの歌、【主人公】の一節(あなたの人生の中ではいつでも自分が主人公です)と言うフレーズをおもいだし[ 死にたいと思うくらい辛かったら会社を捨てなさい、そしてなたの人生の中ではあなたがいつでも主人公なのだからね。理不尽なことはたとえ新入社員といえどもきちんと人事部に言ってよいと思うよ] といった。
その後その所長はもちろんこ降格になり3年間の現場も終わり本社に戻ってきた。
今では一児の父になり大きなマンションやビルの設計に携わりあのときの3年間の現場が机の上で線引きだけでは得られない貴重な勉強にもなったそうだがあの理不尽な所長に耐えれたのはお母さんが言ってくれたことばが辞めないという心になったと後から話してくれた
私はその時の言葉が[さだまさしの歌なのよ]とは今だに言っていない。
コンサートで歌われるさだまさしの詩が私の人生の中でも勇気付けられたり、
しみじみと日本人の心をよみがえらせてくれる。