10年前のクリスマス
私には本当に神とサンタクロースがいるのではないかと思った今までで一番嬉しいクリスマスだった。
夫は9月初めにものすごい咽の痛みと熱で日赤医療センターに緊急入院をした。
その5年前に胃癌で入院してから2回目
あれよあれよと言う間に呼吸困難に陥り,耳鼻科から呼吸器科にバトンタッチされ3日後にはICUに入った
その時先生から限りなく病棟に戻れる可能性がないといわれて!
それからは家族が一丸となった。
限られた面会時間を息子達と分散して夫に会いに行った。
その時息子達の頼もしさに元気付けられ友の毎日の絵手紙に励まされながら病院に通い、夫は何とか生き続け、2週間後に先生が奇跡的に良くなってきていると告げられた
病名はつけられないほどの重症心膜炎,縦隔炎、肺炎合併症が3つ
心臓に電気を当てて人口呼吸機に繋がれて氷付けになっていた
一ヶ月ほどして個室に奇跡的に帰ってきた
そのときも一生呼吸機と車椅子のお世話にとも言われた。
しかしそれも乗り越えてその1ケ月後に呼吸機もはずれ歩く練習を始めた
もう12月に入り病院病棟のクリスマス会が行われた
その時婦長さんが力丸パパさん私たち看護婦達を泣かせてくれたのよって話してくれた
【自分がよみがえれたのも家族特に妻に一番支えてもらったから感謝をこめて妻の大好きなさだまさしのコスモスを歌いますと言ってうたったのよ。まだ良く声が出ないけど精一杯の気持ちと病棟の皆さんに勇気を与えてくれたの】と。
面会時間に私が行っても何も夫も私もクリスマス会の事は話さなかった
そして本当のクリスマスの日に夫は長男の一級建築士の合否の結果が届くのでその日にどうしても帰りたいと言いクリスマスイヴの日が退院となった
退院を前にして主治医から【家族の団結が生きる力になるんだということを医者として確認出来、力丸家が証明しましたね。
男の子は大抵見守るだけなのに息子さんたちは来ると氷を取り替えたり大きな声でお父さんと声をかけたりそのときに脈拍が少し下がったんですよ。僕も大きな勉強をさせてもらいました】と言う話に家族みな涙した。
退院日の24日・・25日に結果が届くはずなのに合格通知がポストに入っていた。サンタのプレゼントのように
そして毎日絵手紙をくれた友から入院最後の絵手紙合計110枚めも入っていた。
壮絶な戦いの終了日になった。
後日夫は、日本で生還4例目で日赤医療センターでも初めての症例だったそうだ。