私がここを訪れたのは2004年、特別公開でした。
吉田茂の養父健三(貿易商)が明治17年に別邸として建てたのが始まりで敷地一万坪、建坪三百坪あり、戦後、外国貴賓を招くため新築、昭和42年10月20日に亡くなるまでの生涯をすごしました。
私が行った時は大磯プリンスホテルの別館として、西部鉄道が管理して邸内に入ったときのすごいカビの臭い、にがっかりした。
漏電警報装置と消火器はあったが、火災報知機やスプリンクラーなどの防火設備はなかったとか。
蒋介石からのガラス製ついたて、ネール元インド首相のクジャク剥製、カーター元米大統領が使った大テーブル…国宝級のものもたくさんあるのにこのずさんな管理は何だと思った。
住宅を所有・管理する西武鉄道によると、警備員1人が敷地内に常駐し、二度と行かないと思ったけれどやはり文化遺産が失われたと言うことは残念なこと。
失火か漏電かはわからないけれどもっと早くから県が買い取りに乗り出して文化遺産として保全すべきだった思った 。
今頃住民達が悔やんだって遅い。
日米講和条約が結ばれ、講和条約門と呼ばれています。
庭の小高い所に 七賢堂 があり、もともとは伊藤博文の別荘で、明治維新の元勲、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、三條実美の4人が祀られていて、大正天皇による四賢堂という額がかかっていたのです。
その後、伊藤博文と西園寺公望が祭られ、吉田の死後、吉田茂を祀り
佐藤栄作が「七賢堂」の額を書いたそうです。
中に頭を入れて後ろ上を見ると五賢堂の額があった。
お庭の小高いところに銅像があり講和条約が行われたサンフランシスコの方角を向いています。