昨日で阪神・淡路大震災から13年経った
あの日長男は就職一年目で西宮の独身寮にいた。
まさに高速道路が折れてバスが宙吊りになっていたすぐそばだった。
最初テレビをつけてあ~地震があったのねぐらいに考えていたのが時間が経つごとに大変な事態になっていることがわかり息子に電話したがもちろんつながらない。
夫は会社で私は家から電話をかけ続けていたが繋がらなく被害がどんどん拡大しているのがわかった。
会社に電話しても繋がらない状態、私はほんとうに心配で泣きながら電話をかけ続け夕方になってやっと長男から無事と言う公衆電話からの連絡が入った。
ちょうど活断層を境に息子のいるところはみな無事で反対側は軒並み家が倒壊して人々の呆然とした様子が息子にもわかり気の毒だと泣き声になっていた。
息子は4階にいて落下物で怪我もあったが一階の人は外が稲妻のように光ったらしい。
後1時間遅かったら電車の中だったからどんな事態になっていたかもっと被害がでて自分もどうなったかわからなかったと言っていた。
それからは水道ガスも出ないので大阪の建築現場から帰りに大阪市内でお風呂に入り洗濯物も送ってきた。
それを私は大阪の現場に送り返すという日々が続いた
独身寮も二人で一部屋を使うことにして復興の作業員の方に提供して日曜日にはボランティアで働いていた。
もう13年経ち復興も目覚しくても心に傷を負って立ち直れていなくて自殺する人や、独居死去年だけでも60人近くいることを私たちは忘れてはいけないと思う一日。
私ももし長男がどうかなっていたら今の幸せも無かったし可愛い孫にもめぐり合っていなかったわけだから感謝しなければいけない
名古屋もかなりゆれたんですよ。
上の子供たちは小学生。
末っ子のゆずは、まだ1歳になるかならないかで・・。
TVをすぐにつけて、あまりの光景に声が出ませんでした。
あの時、家族が一緒でほっとした記憶があります。
離れて暮らしていた時だとしたら・・。
心が落ち着かなくなる気持ち心から分かります。
沢山の方々の悲しみが年数とともに
幾分和らぐことがあったとしても、今はむしろ
切なさや寂しさに変化してると聞きます。
改めてご冥福を祈るとともに。
今こうして私たちが元気に生活していることに
感謝すること。。大切ですね。
今日もありがとうございました。
あの光景は今思い出してもぞっとします。
そして大勢の人が亡くなったこともまだまだ心の傷も深いこと忘れてはいけませんよね。
家族が元気でいられること以上に幸せなことはないとつくづく思います。