力丸ママの気ままな日記

時々日々の出来事を日記にします。

幻の甲子園

2010-08-08 15:44:59 | Weblog

大平洋戦争下、ただ一度だけ行われた夏の甲子園大会がありました!第92回全国高校野球選手大会の開催された昨日7日、NHK総合で、高校野球を通して戦争と平和を考える特集番組「幻の甲子園」が放送されました。

昨日は昼から例のごとく私のPCが立ち上がらなくて夫のを使っていたけど夜になってご機嫌が戻ったのか動き出した。
大急ぎでビデオにとってさっき見ました。
これからはNETからお借りした文です

昭和17年、太平洋戦争の下、文部省が前年中止になっていた甲子園大会の開催された。しかし、大会の主催者は大阪朝日新聞社ではなく文部省だった。戦意高揚に利用しようと文部省が朝日新聞社から開催権を奪って主催したのだ。
球児たちの戦場に向う前に甲子園で野球をやりたいと思いから、この年の甲子園は異様な熱気に包まれていた。しかし、この大会は、高校野球の公式記録には一切残されていなかった。震えるほどの感動で流したあの汗と涙は幻だったのだろうか。球児たちの熱戦は夢の中のことだったのか…。

なぜ昭和17年夏だけ文部省によって開催されたのか?なぜ公式記録に残さなかったのか?球児たちは軍人が決めた理不尽な特別ルールのなかで精いっぱいたたかい、 その後、 戦地で過酷な運命をたどった。
番組では、生き延びた元球児たちや 関係者へのインタビューと再現ドラマで当時の舞台裏を探る。

再現ドラマとして放送するのは決勝戦の計約10分間。撮影は、当時の甲子園に似ている春日スタジアムで行われた。
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スコアボードには「戦い抜こう大東亜戦」と書かれ、「選手の交代は認めない」など、軍人の押しつけた特別ルールもありました。
優勝したのは徳島商業、でも徳島商業の優勝はもちろん、全国16の代表校の試合記録は、高等学校野球選手権大会の記録には存在しません。

国策の基にすべては「戦争に勝つ」ため。出場した選手たちは「戦士」とよばれ、今では甲子園「名物」の試合開始を告げるサイレンも、この大会では試合開始を告げたのは「進軍ラッパ」でした。
選手が途中交代するのは敢闘精神に欠ける、体調が悪くても交代することは許されないという過酷なもので今じゃとても考えられません。
大会屈指の剛速球投手と注目された平安中学の冨樫淳投手もその一人、初戦は大阪の名門、市岡中学をノーヒット・ノーランに抑えた彼も、肩の故障で苦戦を余儀なくされてしまいます。「戦士を交代してはならない」というルールのためです。優勝戦まで進んだ冨樫投手ですが、最後は延長戦の末、徳島商業に敗れてしまいます。

そんなことも記録には何一つ残されることなく戦地に向かい多くの尊い命をなくし数名残った人たちからの証言です。

「幻の甲子園」大会で準優勝となった平安中学は、戦後、第38回大会(昭和31年)に全国制覇を果たしました。選手たちに胴上げされた若き監督は、「幻の甲子園」大会の剛速球投手、冨樫淳さんでした。

この最後を見て少し心が和みました。
せめて終戦の月8月に放送される特番を数多く見たいと思っています。

6日に放送された【吉永小百合 被爆65年の広島・長崎】もビデオでとったので明日見ることにします。

まだありました
ハイビジョン特集 「二重被爆 ヒロシマ ナガサキを生き抜いた記録」

【三島梅花藻と熱海のアカオばら&ハーブ園】のアルバムをUPしました。
お暇な時にでもご覧下さい。
http://rikimarumama.hannnari.com/2010misimabaikamo.html

写真は1羽だけまだ巣立っていない今朝の子ツバメです

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白ナス

2010-08-07 11:50:08 | Weblog

NET友達が黒いスイカや完熟のトマトなどの夏野菜をたくさん送ってくださいました。

その中でとても珍しかったのが白ナス
スーパーには売っていないし初めて見ました。
サラダでも食べられるそうだけれど油でさっといためました。

あくも紫色のより少ないしとろ~っとしたお味がとても美味しい。
NETにレシピも載っているので麸と一緒に煮てみようかな!。

黒いスイカ!

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戦場からのラブレター

2010-08-04 16:07:23 | Weblog

夕べNHKのクローズUP現代「戦場からのラブレター・妻の涙」】を見ました

戦後65年が経ち、残された方も80を超えて公開されたのでしょう

【戦後65年 今、言わなきゃ 夫(つま)のこと 新婚そうそう 赤紙哀しや
好きです、大好きです、抱きたい、眠れない、君は元気か 君、想わぬ日はなし 

又1組の夫婦のラブレターが紹介された。
昭和12・3年の頃、28歳の妻と別れて戦争に行った男。
奥さんはそのあと、赤ちゃんを産んだ。
2人の交換した手紙が切ない。
あるとき、中国人の捕虜を捕まえた。
奥さんと2歳ぐらいの子供もいた。
上官が、捕虜も妻も子供も銃殺しろ、と命令する。
そのときその人は、日本にいる自分の妻と子供のことを思った。
上官に捕虜を殺さないようにその親子の前に立ちはだかって頼んだ。
そのときの手紙には、「戦争は罪悪なり」と書いてあった。
始めは敵国の国民が大嫌いだった彼が段々心変わりして中国の子供達にも愛情を注ぐようになる
なんとか人よりも手柄を立て、早く日本に帰りたい、
と最初の頃は手紙に書いていた男は戦場で、左胸に弾が当たり戦死した。

こういう現実があったことを後世に伝えていかないと思ったのでしょう。
切ない時代でしたね。

昨日の放送のURLはhttp://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2924です。

写真は裏磐梯に向かう車の中で見た朝霧です

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諸橋近代美術館

2010-08-03 21:11:46 | Weblog

諸橋近代美術館は世界屈指のサルバドール・ダリのコレクション及び西洋近代絵画の2つのコレクションが特徴となっています。

私は知らなかったのだけれど五色沼の入り口にあって長男がスケジュールに入れてあって好江ちゃんも美術館大好きだから決まったらしい

ダリの彫刻はよくわからないけれど広大な敷地にお城のような建物でそこにいるだけでも別世界、絵里子はつまらないとも言わずにはしゃぎまわって作品も見ていた。

ここで半日だって遊べそう

時々印象派の絵を見て絵里ちゃんこれ好きなどといいながら

売店の所だけからはカメラOKでした

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力丸が水に入った~奇跡(爆)

2010-08-02 22:02:27 | Weblog

裏磐梯はさすがに涼しい。

五色沼を1時間半くらいハイキングコースを歩いた。

絵里子は元気で歩く。力丸はUPダウンがあるので夫が途中何回かだっこして歩き、好江ちゃんがリードを持ってくれて長男はビデオ撮影私はカメラマン、ちょっと怖いところもあった

水が流れているところでいきなり力丸が足だけ水の中に入って水を飲んだり近くを歩いたりして、皆で奇跡だ~って大騒ぎ、気持ちよいのが判ったのね。

ボートも力丸は縁に手を出して平気で乗っていた。

まだ写真をリサイズしていないのでこれだけです。

五色沼は大昔に行ったハイキングコースもかなり整備されて木道が新しく広げられているところもあって大分様変わりしていた。

 

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