力丸ママの気ままな日記

時々日々の出来事を日記にします。

新しいパソコン 

2011-01-20 15:42:32 | Weblog

新しいパソコンが土曜日に届く

それにはちょっと悪いことしたかな~なんておもう。

先日長男と電話している時にお母さんのパソコンもう1週間立ち上がらなくてお父さんのを借りているの、でも全然不自由はしていないわよって言っちゃったから母の日まで待たすの可哀想だと思ったのかも。

昨日夜の9時ごろ電話が掛かってきて今ヤマ○電機にいるのだけれど去年の夏モデルの富士○のデスクTOPが安くなっているからそれなら今でも買ってあげるよって。
お父さんの借りているんじゃ肩身が狭いでしょでしょ!って(大いばりで使っているけど)

私は[いまじゃなくてもいいし別に最新のモデルなんていらないしお父さんのPCで今までどおり出来るから母の日で良いわよ]って言って電話を切ったらそれから15分ほどして[土曜日に届くから日曜日に設定を全部してあげる]って。

有り難うって言ったけど夫に「なんだかお兄ちゃんに悪かったわ」って言ったら「買ってくれるって言うんだからいいよ、今度長男家族をまたどこかへ食事に招待すればいいじゃない」って!

長男の家は財布を長男が握っているから好江ちゃんにも悪いな~って気がしてそのことも言ったらあちらのおかあさんにも電話機を買ってあげたから良いよって。

母の日には未だ大分先だけどい頂いちゃうことになっちゃった。

これまでにカーナビ、テレビ、好江ちゃんにもありがとうだわね。

写真はヒヨドリです

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「花の詩画と書の世界~星野富弘・相田みつを展」

2011-01-18 21:24:34 | Weblog

群馬県にある旧「富弘美術館」を訪れたのはもう20何年も前のこと。著書の「愛、深き淵より」という本を読んでから是非神戸(ごうど)にある美術館に行きたくて3時間かけて渡良瀬鉄道で行った。それから東京で行われる展示会はすべて行きました。

頚椎損傷により首から下の運動機能を失って後、絵筆を口にくわえて詩と絵を描く事で今では日本中に広く知られている方です。
当時感動して著書もすべて購入しました。

美術館が新しくなって2度夫に墓参りのあとに連れて行ってもらいました。
久しぶりに相田みつをさんとのコラボ、入場券を新聞の販売店から優待券を頂いたので姉を誘って出かけた。

星野さんが事故の後に病院で世話をするお母さんに八つ当たりをしてしまった時の話をしているビデオが放映されていたのですが、お母さんの愛があふれていたのと怪我による心と体の苦悩を思って涙が流れました。

久しぶりに相田みつをさんの書とともに星野富弘さんの新しい詩画にであえてすがすがしいひと時でした。

お二人に共通するのは、人は弱さを持ち、自然の美しさ、感謝する気持ち、という事のような気がします

私の好きな作品

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震災から16年

2011-01-17 18:10:44 | Weblog

ブログを書き始めてから何度も書いたけど長男の安否がわかるまでの間の心がつぶれそうな思いを今でも思い出すとぞっとする。

16年たっても、遺族をはじめ、震災の痛手を負い続けている人たちがいる。同じ苦しみを繰り返してほしくない。いつまでも語り継いでいかなければね。
長男もこの日は特別な一日だと祈りをささげないではいられない、今の自分があるのは奇跡だと思うからと、毎年心新たにするという。

あの日長男は就職一年目で西宮の独身寮にいた。
まさに高速道路が折れてバスが宙吊りになっていたすぐそばだった。
最初テレビをつけてあ~地震があったのね!ぐらいに考えていたのが時間が経つごとに大変な事態になっていることがわかり息子の寮に電話したがもちろんつながらない。
夫は会社で私は家から電話をかけ続けていたが繋がらなく被害がどんどん拡大しているのがわかった。大阪支店に電話しても繋がらない状態、私は本当に心配で泣きながら電話をかけ続けた。
夕方になってやっと長男から無事と言う公衆電話からの連絡が入った。携帯電話もなかったし!
ちょうど活断層を境に息子のいる所はみな無事で反対側は軒並み家が倒壊して、人々の呆然とした様子が息子にもわかり気の毒だと泣き声になっていた。
息子は4階にいて落下物で怪我もあったが一階の人は外が稲妻のように光ったらしい。後1時間遅かったら電車の中だったからどんな事態になっていたかもっと被害がでて自分もどうなったかわからなかったと言っていた。

それからは水道ガスも出ないので大阪の建築現場から帰りに大阪市内でお風呂に入り、外食して、洗濯物は我が家に送ってきた。 それを私は洗濯をして大阪の現場に送り返すという日々が続いた。
独身寮も二人で一部屋を使うことにして復興の作業員の方に提供して日曜日にはボランティアで働いていた。
もう16年経ち復興も目覚しくても心の傷なんて癒えてなんていない。自殺する人や、独居死去年だけでも60人以上居る。
そんな中で皆頑張って生きて来た事に私たちは忘れてはいけないと思う一日。
私ももし長男がどうかなっていたら今の幸せも無かったし可愛い嫁の好江ちゃんや絵里子にもめぐり合っていなかったわけだから感謝しなければいけない 。

長い長い一日だった。

写真はスノードロップです

 

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薬用植物園

2011-01-16 18:22:07 | Weblog

今日もとても冷たい日。

もしかして薬用植物園に、福寿草が咲いているのでは?と思い出かけてみた

しかし未だ咲いていなかったけれどなぎいかだが咲いていた。
小さな葉の間から花が咲いている。なんだかとても不思議!
今年も来た甲斐もあった。

温室にはバナナの花が咲いていて初めて見た。

面白いお花、

帰りに東大和市駅で子供たちのヨサコイが行われていた。

寒風の中子供たちはとっても元気、なんだかパワーをもらったような気分になれた

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次男の相談

2011-01-14 22:23:32 | Weblog

夕方次男から石神井公園駅まで来たので話があるから寄るという電話がありドキッとした。

だって次男は相談になんて来たことないしこれは会社を一時の短気で辞めちゃったなんてことかしら?とドキドキ

やがてやってきた次男は小学校へ寄ったら後輩がコーチをやっていたなどの話や中学校の周りがあまりに変わって道を間違えちゃったなどなど。

ビールを出しながら本題は何よ!と思っていたら社長から常務取締役をやってくれないかと打診があったそうだ。

自分は今執行役員営業部長だけれど常務取締役なんて未だ自分の年齢には早すぎるし、未だ勉強しないといけない事が多々あり、しかも1000人の従業員をまとめていく自信もなし、などなど、

私は「受けなければ下のものが上に行ってそれもまた嫌なんじゃない」なんて単純なことしかいえない、

夫は色々な事といっていたけど「親父のような大会社と違うしさ!」とかビールを飲んでお酒を飲んで、今日はこのまま家に帰ることにして3時間くらいおしゃべりしたりしているうちに「頑張るしかないよね」って自分に納得させるかのようにつぶやいて帰っていった。

私は確かに重荷は大変だと思うけど自分に与えられたことを一生懸命やるっきゃないし、それで上手くいかなかったらその時考えればよいのじゃないなんてアドバイスにはならないことを言って応援部隊は一杯いるからねってそれしかいえなかった。

帰るときに「一人で来る時はもう少し時々きてくれない!おにいちゃんは時々寄るからいいけどあなたが寄るなんていうと会社辞めたなんて言うのかとドキドキしちゃうからね、」って言ったら「ごめんごめん」って謝って帰っていった。

確かに自分より年上の人を束ねるなんて大変な事だし、私もうぅ~~~んて心配にもなる。

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