飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

あるエピソード

2005年05月10日 00時32分58秒 | 教育論
生徒がいた。
中学3年生だ。
小学校時代から登校したことがない。
いまの担任の先生も顔をみたことがない。
でも、他の生徒と同様に扱うことにした。
毎日学級ノートを自宅に届けた。
届けるのはクラス全員が交代して協力してくれた。
朝の回収は近所に住む生徒に頼んだ。
もちろん本人は玄関にも出てこない。
母親を通しての受け渡しだった。
ノートには、返事を書く欄があった。
「よかったら書いてください。」
その生徒の分はいつも白紙だった。

なにしろ会ったこともない生徒だ。
「何を書いたらよいか。」
先生は毎日苦労した。
たまたまサッカーのW杯開催中だった。
一行書いた。
「応援している国は?」
短い返事があった。
「フランス。」
先生はインターネットを駆使した。
フランスチームの情報を集めた。
それをノートにべたべたと貼り付けて届けた。

その後、生徒は相変わらずだった。
やがて夏休みに入る。
「絶望とは愚か者の結論だ。」
先生はこう思ってノートの継続を決意していた。
それでも一方で「ムダか」という思いもあった。

1学期最後の朝だった。
回収されたその生徒のノートを開いた。
先生は驚いた。
何と返事が書いてあるではないか。
見たとたん先生は涙があふれて止まらなかった。
いつの間にかノートを握りしめ、心の中で叫んでいた。
「教師でよかった。この仕事をしてよかった。」
その返事とは、たった一行。
「先生、ありがとう。」だった。