最近、印象に残った新聞記事から。
平成17年5月28日(土)朝日新聞の記事。
良医をめざして 医療はいま 第3部。
ここに登場する医師は、椎久哉良医師、36歳。
彼は突然妻にこういう。
「3年間だけ、おれに時間をくれ」
医局を離れて、民間病院に研修に行くためだ。
そのまま医局員として過ごせば、関連病院などの就職先も確保され、自称「心臓外科医」として安定した生活が保障されている。
しかし、その安定を捨てて彼は民間へ行くという。
その理由は、ただ一つ「とにかく手術ができるようになりたいんだ」。
医師でありながら「手術」ができない。
矛盾を感じる。
そして、ほとんど手術の補助ばかりで、指導を受けながら初めて一人でバイパス手術をやり終えたのは医師に6年目にだった。
「いずれ一人前になれるだろう」と考えていた彼もその考えはまったくの誤りだったことに気づく。
脂ののった40~50代で年間100件にみたない手術しかできない心臓外科医になることに強い危機感を抱いたのである。
教師も「いずれ一人前になれるだろう」そんなふうに考えているとしたら、大きな誤りだと思う。
経験は意図的、計画的に積まねばならず、たとえ20、30年経験を積んだとしても、ひたむきな努力と謙虚さがなければその経過した時間はまったく意味を持たない。
自分の行為や教育に対して、どれくらいの教師が危機感を抱きながら仕事をしているのだろう。
最近、いろんな教師をみていて気になる。
自分も担任をもっていれば年間1000時間近い授業を行う。
しかし、現在の状況ではその半分にも届かない授業時数である。
これで、授業に対する感覚が鈍らない方がおかしい。
医師が手術の結果によって評価されるように、教師も授業を行い子どもたちの結果によって評価される。
手術ができて初めて医師であるように、授業をきちんとできて初めて教師とよばれる。
だから、心臓手術の助手や手術台を囲み、出血した血を吸い取る補助しかできない現状に疑問をいだくことは十分に理解できる。
彼は、周囲の反対を押し切り、それまで続けてきた血管移植研究をやめ、学位もとらずに大学を去り、心臓外科医を養成する研修システムに飛び込んだ。
この研修システムに応募した多くの医師は、「行くなら医局はやめていけ」と強い締め付けを受ける。
研修が始まってもだれも手取り足とりして教えてくれるわけではなかった。
ノートにメモしながら「盗む」ことに徹したという。
さらにミスには特別きびしかった
手術後の感染への対応が遅れ、1ヶ月間手術室への出入りを止められたこともあった。
彼は言う。
「以前は件数が少なかったので手術の日になると高揚感があった。
数多く経験し、いまは緊急手術にも淡々と向かうようになった。
予期しないことが起きた場合の対応も学んだ。」
挑戦をせず、自ら学ぼうとする厳しい環境に身を置くことなく、安定した医局にいたなら決して学ぶことができなかった心境である。
自分の今の状態を考えると反省すると共に教師にも同じ事がいえると思う。
SCENE35(saitani)
平成17年5月28日(土)朝日新聞の記事。
良医をめざして 医療はいま 第3部。
ここに登場する医師は、椎久哉良医師、36歳。
彼は突然妻にこういう。
「3年間だけ、おれに時間をくれ」
医局を離れて、民間病院に研修に行くためだ。
そのまま医局員として過ごせば、関連病院などの就職先も確保され、自称「心臓外科医」として安定した生活が保障されている。
しかし、その安定を捨てて彼は民間へ行くという。
その理由は、ただ一つ「とにかく手術ができるようになりたいんだ」。
医師でありながら「手術」ができない。
矛盾を感じる。
そして、ほとんど手術の補助ばかりで、指導を受けながら初めて一人でバイパス手術をやり終えたのは医師に6年目にだった。
「いずれ一人前になれるだろう」と考えていた彼もその考えはまったくの誤りだったことに気づく。
脂ののった40~50代で年間100件にみたない手術しかできない心臓外科医になることに強い危機感を抱いたのである。
教師も「いずれ一人前になれるだろう」そんなふうに考えているとしたら、大きな誤りだと思う。
経験は意図的、計画的に積まねばならず、たとえ20、30年経験を積んだとしても、ひたむきな努力と謙虚さがなければその経過した時間はまったく意味を持たない。
自分の行為や教育に対して、どれくらいの教師が危機感を抱きながら仕事をしているのだろう。
最近、いろんな教師をみていて気になる。
自分も担任をもっていれば年間1000時間近い授業を行う。
しかし、現在の状況ではその半分にも届かない授業時数である。
これで、授業に対する感覚が鈍らない方がおかしい。
医師が手術の結果によって評価されるように、教師も授業を行い子どもたちの結果によって評価される。
手術ができて初めて医師であるように、授業をきちんとできて初めて教師とよばれる。
だから、心臓手術の助手や手術台を囲み、出血した血を吸い取る補助しかできない現状に疑問をいだくことは十分に理解できる。
彼は、周囲の反対を押し切り、それまで続けてきた血管移植研究をやめ、学位もとらずに大学を去り、心臓外科医を養成する研修システムに飛び込んだ。
この研修システムに応募した多くの医師は、「行くなら医局はやめていけ」と強い締め付けを受ける。
研修が始まってもだれも手取り足とりして教えてくれるわけではなかった。
ノートにメモしながら「盗む」ことに徹したという。
さらにミスには特別きびしかった
手術後の感染への対応が遅れ、1ヶ月間手術室への出入りを止められたこともあった。
彼は言う。
「以前は件数が少なかったので手術の日になると高揚感があった。
数多く経験し、いまは緊急手術にも淡々と向かうようになった。
予期しないことが起きた場合の対応も学んだ。」
挑戦をせず、自ら学ぼうとする厳しい環境に身を置くことなく、安定した医局にいたなら決して学ぶことができなかった心境である。
自分の今の状態を考えると反省すると共に教師にも同じ事がいえると思う。
SCENE35(saitani)