飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

指示について

2005年05月26日 04時04分08秒 | 授業論
授業中や学校での活動中、教師は多くの指示を出す。
その指示が適切であれば、子どもたちの活動は混乱することなく行われるが、間違った指示やよほどのことがないかぎりしていはいけない指示の追加などをするとたちまち集中力はなくなっていく。
授業の骨格が、発問、指示、説明であるように教育活動の中核をなすのが指示ではあるが、あまり重要視されていない場合も多い。

指示は大きく二つに分類できる。
一つは、子どもを動かす指示。
もう一つは、学習内容にかかわった指示。

前者は、「教科書をひらきなさい」「掃除を始めましょう」「赤鉛筆でかきます」などのいわば単純に子どもを動かすような指示である。
それに対して後者は、「○○のようにやってごらん」ろいう、学習内容に直接かかわる指示である。

基本的なことをいくつか。
指示の意味を説明する。
一時に一事を指示する。
短く限定する。
全員にする。
指示の追加はしない。
とくに大切なのは、一時に一事の原則。
よくしてしまうのは、「教科書の○ページをあけて、漢字にふりがなをふって、音読をしなさい」というような指示。
この指示には複数の内容が含まれている。
まずはこのような指示はやめる。
一回にひとつのことだけを伝えるようにする。
「教科書の○ページを開きます」
「漢字にふりがなをふります」
「音読練習をします」
さらに「10分でやります」というように時間や回数をつけるとさらに集中して取り組める。

どうしても複数の指示をしなければならないときは、予告文の形で指示する。
「今から、お昼を食べます。
気をつけることを三つ言います。
一つめは、……、二つめは、……、三つ目は、……」。

学習内容に関する指示は、教師の技量が反映された形で出てくる。
よい指示とそうでない指示の違いは、子どもの動きが変わるか、また、できないことができるようになるかという観点でみていくとよく分かる。
たとえば「力を抜かせたい」とき、「力をぬきなさい」ということばはまったく意味をもたない。
わかりにくい指示やいくらその通りにやってもできるようにならない指示は、このような構造になっている。
逆によい指示は、やってもらいたいことをそのまま言うのではなく、別のことばで言い換えている。
こどもがイメージできる言葉と言ってもいい。

では、こどもが変化する言葉をどうして見つけるか。
一つめは、イメージ語を探し、それを別の言葉にするということ。
たとえば柔らかく、しかも遠くまで響くような声を出させたいとする。
次のように指示する。
「お月様に声をそっと届けるように歌ってみよう」
要するにイメージ語を探すのである。

二つめは、身近にある具体的なものにたとえる。
ゆったりとした声を出すには、「横隔膜がほどよく下がった状態で歌う」ことが大切だと言われる。
このときは、「カメラのシャッターを押す瞬間を想像しよう。」と指示する。
子どもたちの生活経験の中にある行為の中からイメージさせる。

三つ目は、数やものを指示する方法。
「ほんの少しだけ間をあけて」と言うよりも、「シャーペンの芯2本分くらいあけて」というように指示する。

この指示を意識することにより、教師の技量も向上し、統率のとれた学級が育っていく。

SCENE32(saitani)


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