飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

慎始敬終

2016年01月03日 16時49分06秒 | 教師論
1992年4月4日土曜日。
これは私が教師であり続けるために友人二人と始めた教育サークルの第1回例会が開かれた日である。
早いものであれから、今年で24年目になる。
ただ子供にとって価値ある教師に、プロ教師になりたいと願い20年以上続けてきたサークルである。
そこには指導されるような有名な先生はいない。
ただ未熟であっても、子供たちにとっては、教育実践においては謙虚に絶え間なく学び続ける若い教師がいるだけである。
情熱や学ぶ意欲だけは誰にも負けないという自負心だけはあった。

自分がサークル学び始めた頃に活躍されていた先生に福山憲市氏がいる。
最近、福山先生の文書を読んだときに,なるほどと感じることが多々あった。
いくつか引用する。

若い先生を見ていて一番伝えたいのは、「教えを請う」という意味での「請う動(行動)」ですね。
今の若者は「すみません。これちょっとわからないので、教えてもらえませんか」が言えない。

サークルのメンバーによく言っている言葉に「響師になろう」というのがあります。
どういう意味かというと、いくら教師がいい教育技術をもっていても、それが鐘のように子供たちに響かないと本当の意味での子供たちに火をつけることはできません。
だから子供たちの心に何かを響かせることができる教師になろうということなんです。

「鉛筆型人間」。
鉛筆の真ん中にまっすぐ芯があるように、教師もまっすぐの芯を持つべきだと思います。
もっとも小学校の教師については、特にいろんな芯の硬さをもたなければならないと思います。
それと鉛筆の芯の周りには木を使っていますね。
だから、「気を使って」常にアンテナを張り巡らせる、そういう人間でないといけません。
さらに鉛筆は削っていくものなので、教師も身を削りながら芯を貫いていくと。
それを最低10年やると、自分の思いがきちんとした形で見えてきます。

引用終わり。

物事を熟成させるためには20年かかると言う。
さらに人とは違う味を出していくには30年やる必要があると言う。

慎始敬終、慎みの気持ちで学び、鵜山気持ちで終わる。
今年もまだまだ教師修業は続く。

saitani

平成28(2016)年 謹賀新年

2016年01月03日 11時08分43秒 | 趣味
平成28年がスタートした。
いつになく穏やかな新年だった。
今年も良い年にしたいと願う。

最近、ミニマリストという本で様々な考えを学んだ。
少し前だと断捨離という言葉が有名だったが、昨年の流行語大賞にもノミネートされた。

その本に趣味について書かれてれているものがあった。

以下、引用。

多くの方にとって、趣味は自分らしさを表現できるとても重要な領域だと思います。
そこで実用主義の制限をもうけてしまったら、人生の一番美味しい部分を削ぎ落としてしまうことになります。

趣味の物が家にゴチャゴチャあるのは邪魔という考えをもありますが、日常生活の中に趣味のものが混ざっている邪魔に感じるのだと思います。


趣味以外は物を必要十分なところまで徹底的に削ぎ落として、そこに趣味の物を追加した部屋は、趣味の空間として完成されており、むしろ美しいと思います。

引用、終わり。

限られた範囲ではあるが、趣味の部分も充実できるような1年にしたいと考えている。

saitani