飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

我慢の二種類

2016年01月14日 22時39分58秒 | 教育論
子供たちに「我慢は大切だよ。自分を成長させてくれるし、多くのことを学ぶことができる」と言って、我慢させることがある。
時には、徳川家康の逸話などを入れて話すこともある。
しかし、なんとなく納得出来ないという表情をしている子も少なくない。
ひとつに「あるがままの自分でいいんだよ」という自己肯定することが大事的な風潮が大勢を占めていることも影響がある。
自己否定をすることと、我慢をさせることとはまったく次元の違う話だ。

我慢には二種類あるという。
ひとつは、やりたいことがあっても我慢してやってはいけない場合。
もうひとつは、やりたくなくても我慢してやらなければならない場合。
このどちらも、現代の子供たちに不足している我慢である。

我慢させるときに、重要になってくるのは、我慢の先に何があるかということである。
人間は目標があると我慢できるという側面もある。
〇〇にあるためには、今は我慢の時である。
〇〇を達成するためには、我慢してでも実行しなければならない。
そういうストレスを感じないですむ、思考ができるからである。

我慢を強いるときには、何のためにということも合わせて指導することが大切である。

saitani