飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

同じ課題

2021年12月13日 09時17分43秒 | 教育論
学級内においては子どもたちには同じ課題を与えることが基本となる。
「○○についての自分の考えをノートに書きなさい。」
「○ページの練習問題をノートにやりなさい。」等。
このときに教師は「書けない人はいいですよ」とは絶対に言わない。
個に応じた指導と言われるが、30人の子どもが学級にいたら、本来は30種類の課題が必要になる。
それが個に応じた指導だろう。
でも、現実的にはこれを実行しようとすると授業自体が成立しなくなる。

学級にも、社会にも提出期限というものがある。
この期限を守ることが大前提となるが、守らない子どもがいることも現実だ。
では、その未提出の責任は誰にあるのか。
学校、家庭、本人。
多くは、学校、学級の責任として追及される。
今の世の中は自己責任とはいかないことが多いのである。

育った 環境が異なり、受けている教育も同一ではない。
能力も性格も異なる子どもたち。
その子どもたちが、同じ課題を出されて、同じようにこなしてくことは本当にできるのだろうか。
その根本を疑う必要はないだろうか。

saitani