飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

授業づくりの基礎・基本

2022年11月13日 16時07分24秒 | 授業論
良い授業をするにはどんな力が必要だろうか。
いろんな角度から、必要な力が導き出されるだろう。
一つの考え方として、次の三点が必要な力と考えられる。

1 教材研究力
 教材研究の第一歩は、教科書研究である。
 教科書を教える立場を厳守して、教科書通りに教える。
 これができそうでできない。
 教科書に込められた意図や思考ステップを理解していないからだ。
 算数は、比較的、易から難へと言うセオリーに則って配列されている。
 しかし、思考が跳んでいたり、関連性がきちんと説明されていないものも多い。
 そこを教材研究によってみつけ、補う必要がある。
 国語は基本的には、教材文しか示されていないので、授業の組み立てを考える手立てを知らないと展開を構想することはできない。
 学習の手引きが以前に比べれば、使いやすくなっているものの、これもやはり教材研究をした上で活用しないとうまく展開できないだろう。

2 授業構想力
 深い教材研究をもとに、授業の骨格である発問・指示・説明を考える。
 どの部分で子どもたちに思考をさせるのか。
 討論をさせるのか。
 その前にどのような伏線をはっていくのか。
 子どもたちが理解でき、なおかつ、討論を進める上で新しい発見や自分の理解の不十分さに気がつくような発問を考える必要がある。
 授業構想力とは、発問研究の主体と考えてもいい。
 
3 授業展開力
 授業構想はあくまでも設計図である。
 その設計図をもとに、目の前の子どもたちに問題を投げかけ、展開していく。
 子どもたちの発言の意図を理解するには、深い教師の教材研究が必要だ。
 ときには、補助発問をしたり、ゆさぶりをかけたりする。
 子どもたちの発言のレベルがどの段階にあり、どの発言をもとに思考を広げていくのか、瞬時に判断するのも授業展開力である。
 
以上三点が、授業づくりの基礎基本である。

これ以外にも、教師が力量をあげていくには次の二点が必要だ。

1 授業を分析する力
2 分析を授業にいかす力

日頃、授業をたの先生にみていただく機会はそう多くはない。
本来、実践は常に批判、批評の対象となることが大事だ。
しかし、教師の多くは公開することを拒む。
ましてや、働き方改革の名の下に研究授業はなくそうという意見さえもっともらしく言われている。
専門職として、実践を公開し、批評されないことがありえるのだろうか。
もし、医師が手術の技術を公開しないいったら医学の進歩はありえるのだろうか。
これまで脈々と受け継がれてきた先人の技を次の世代につなげることができるのだろうか。
もちろん、形式主義であったり、本質から外れていたりする研究授業は廃止すべきだし、意味はなり。
しかし、自ら提案性のある実践を公開し、修正し、広めていく活動は継続的に続けていくべきだと強く思う。

その際に、自らの授業を分析し、その分析したポイントを次の授業にいかす力は不可欠なのである。
あれども見えず、学びを生かすことができなければ、成長や進歩はありえない。

saitani
コメント
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