飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

音を大切にする日本語の文化

2022年11月23日 18時14分40秒 | 教育論
日本の教育には伝統と文化がある。
その伝統の部分をおろそかにして表面上のことに気を使いすぎてはいないだろうかと考える。
日本に教育の伝統に一つに素読がある。
古典を意味の理解は二の次として、ひたすら唱えるのである。
そうすることにより、その言葉や音の中にある哲学やリズムを血肉に変えていく。
そういった地道な取り組みにより、教育の素地ができあがり知識や教養が身についている。
この素地を耕す行為が、今の教育にはない。
長い歴史の中で、教育者たちは経験則的に素読の効果やメリットを理解している。
だから、取り組むのである。
これはある意味、教科書や参考者を開いて漢字や文法を教えたり、数式をマスターしたりすること以上に大切なことであり基本的なのだ。
そのことをどれだけの教師が理解しているだろうか。

必ず担任をすると名文暗記詩文集というノートを全員にくばる。
そこに2週間に一つくらいのペースで、名文の一部が印刷されたプリントを配る。
そうすると子どもたちは、黙々と暗記取り組む。
そのあと試験を受けるのである。

子どもたちの国語力を高めるには、音読と読書が不可欠である。
これは基本的なことだが、教育における真理であると思う。
これを習慣化させることも学校教育の最優先の課題である。
生涯学習の観点からも、この習慣が身につけば常に人間は学び続ける存在であるということにもつながっていく。

saitani

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