飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

十思公園

2013年08月21日 11時48分39秒 | 歴史
夏の暑い日、小伝馬町駅近くにある十思公園を訪れた。

伝馬町獄は、江戸時代慶長年間から明治8年まで使用され、当時は2618坪の広さがあった。
その敷地の約三分の一が十思公園として整備されている。
処刑場も備えていた獄跡地の一部であるわけだが、昼間は普通の公園として人々の憩いの場になっている。

近くはオフィス街でちょうど昼食時だということもあり、財布をもったサラリーマンやOLの歩いている姿が多かった。

公園自体は、それほど広いものではなく、こじんまりとした感じだ。
休憩をとるサラリーマンと清掃を行う係の方がいらっしゃる程度だ。
地元の方にしてみれば、日常のありふれた風景のひとつなのだろう。

伝馬町獄は、安政の大獄に連座して処刑された吉田松陰の終焉の地でもある。
松陰が刑死したのは、安政6年(1859)10月27日、享年30。

公園内には、松陰関連の石碑がいくつか建っている。

あの弟子たちに向けて書いた遺書ともいうべき「留魂録」はこの地で書かれた。
その原本は2通あったようだが、一通は萩に届いたあとに紛失。
もう一通は、明治になって同じ獄舎にいた沼崎吉五郎の手を経て、現在は萩の松陰神社に保管されている。

日本の礎となった吉田松陰に思いをはせながら、この地をあとにした。


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