今年気がついたことがある。
『あーー!これがこういう意味かぁ!』って。
目から鱗。
目が覚める。
膝を打つ。
アホやな、自分。
人生なんか損ばかりしてる気がした。
いや、してる。
その改善点を昔から考えていたけどコレだ❗️と見えてきましたょ❗️
きっかけは会社の事務員の言動。
私にだけ仕事を押し付けようとしてきた。
周りの人に相談すると「人を見てるんだろうね」「優しくて断らないから何でも受けると思ってるんじゃない」とのお声が聞こえてきた。
私は困った時はお互い様だから出来る事なら受けてあげようという思いから様々な仕事を受けていた。
本来の仕事を早めに切り上げて頼まれた仕事をしたり、休み返上でこなしたりした事もある。
それなのにあいつに押し付ければ何にも言わずにやるだろう扱いされるようになるなんて本末転倒。
人の心理「優しい人は雑に扱われる」本当に当たっていると思った。
私だって優しいお客様は後回しで、煩いお客様を優先する。
そーゆー事なのだ。
なので頼まれた仕事は2回に1回は断るようにした。
そうするとあら不思議、頼まれなくなった。
そう、どんな理由であれ相手も断られるのは嫌なものだ。
仕事は断らない人にフリたい、NOと言われたくないものだ。
そしてそこでもう一つ気がついた。
頼まれた仕事をこなしても何とも思わないほど余裕があれば「自分だけに」ではなくただ涼しい顔してこなせたのでは?
余裕も器もないのに、大きく見せて安請け合いしてたのは自分なんじゃないか、って。
相手からしたらちゃんとそこは見えてて「受けてくれる優しい人」ではなく「安請け合いする人」と見えてたのでは?と思いました。
だから相手が調子良い人、というよりも、私が大風呂敷広げてただけで、相手はそこをちゃんと見極めてた、って事なんじゃないかなぁ。
❗️
もしかしてこの大風呂敷を広げてた=大きく見せる?ってこと??
うわーー。
私、大きく見せてたん?
うわーー。そーゆーこと??
優しいから人に甘えられる、と思ってきたけれど 大風呂敷広げてたのは自分。
相手はそこにつけ込むだけ。
相手のせいではなく自分だ。
相手を受け入れるのも自分。
頼まれことを受けるのも自分。
優しさを出すのも自分の責任。
自分がいけない、とか卑下するような事は思わないけど 受けるなら自分の器以内。それ以上は「大きく見せる」ってことなのだ、と肝に命じる。
復習。
休日返上してまで仕事受けるのは「大きく見せてる」
大丈夫なふりをするのも「大きく見せてる」
そう思ったら人生の損の意味が分かった。
自分が我慢したり、器以上頑張った分だけ相手からは見下される。なんてつまらないことだろう。
これからは年の功、色んな言い訳使って断って良いんだ。
大丈夫なフリしなくていいんだ。
素直に泣いても良いのかも。
不安に感じたら素直に心配だなぁ、と呟いて良いんだ。
嫌だって思ったら自分の感情を誤魔化さず避けて良いんだ。
良い人で居なくて良いんだ。
試しに注射怖くてやだぁー、と言ってみた。
子どもも、友達も嬉しそうに励ましてくれた。
事務員さんにもひとつお願いをした。
受けてくれた。
人に頼って良い。
弱音を吐いて良い。
それでうまく回るなんて、なんて素敵なんだろう。
「大きく見せる」ってこーゆー意味なんだね!
見栄張ってブランドモノ着たり、盛った話しする事が「大きく見せる」なんだと思ってました。
あはは。
50過ぎてひとつお利口さんになりました
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