去年の暮れに、横須賀の母方の伯母が天寿を全うした。
享年106歳。 もしかして、地方紙の社会欄にも載ったかも…。
大正・昭和・平成・令和…と、激動の106年間。
従妹に寄れば、穏やかな死であったそうな。
この伯母は、埼玉の羽生の出の人だが、若い頃、東京の三井様に行儀見習いに出た…と言うのが、ご自慢の人だった。
言葉使いから始まり、一流の作法を身につけられた伯母だった。
私の母は、実家で半年ほどその兄嫁と一緒の生活を送った。
家の中でもすれ違う時、
「恐れ入ります…」
と挨拶されるなど、かなり、窮屈な思いもしたそうだ。( ^)o(^ )"
私たち姉妹は、夏休みになると、横須賀と東京を行ったり来たり。
母方の従兄弟たちとは年齢も近く、よく遊んだものだ。
今でも、鮮明に覚えてるのだが…。
伯母は、私たち子どもを、お弁当持参で、近くの猿島に遊びに連れて行ってくれた。
母が子供のころは、猿島まで、遠泳と評したものがあったそうだ。
が、子供の私たちは船で渡るのだ。
海水浴と言うと、江ノ島のあるにぎやかな海岸しか知らなかったので、猿島の海は、ちょっと寂しく感じた。
お昼になると、伯母は、子供たちを海から上がらせ、食事になる。
塗りのおひつに、豪華な混ぜご飯。
同じく塗りのお皿に、取り分けて、三段重ねのお重には、煮ものやら卵焼きやら、エビフライやら…。
子供の好きそうな、豪華なおかずがいっぱいだ。
子供心にも、なんだか、雅な雰囲気に圧倒されていた。
多分、実家なら、おにぎりやサンドイッチを頬張るお弁当だから…。
後年、あれが、三井様の流儀だったのか…と、納得したものだ。
聡明な伯母の目には、今の日本はどう映っていただろう…。
安らかにお眠りください。 合掌
大往生とは言え、寂しくなりますね。
三井様で色々お作法を習ったなんて素敵。
きっとどんな場所で怯む事などなかったでしょうね。私は幼稚園から白百合だった後輩がいますが、彼女の振舞いや言葉使いを見習いが洗練されていて憧れました。真似しましたが、根がこんなやんちゃですから😅
大変な時代を生き抜いた叔母さま。
ご冥福をお祈りします。
知も錬も識も立派な方だったんですね✨
そりゃそうか🙄全うとはこの事という御享年ですものね😊
嘆くだけに視えなかったかも知れませんよ❓
もしかすると、違う世界線が見えていらっしゃったかも🙄なんて。
そう思いたいだけだけど😊
私は違う世界を見てきましたよ😓
果てと言うかその先と言うか😭😭
復活です🐴
優雅なたたずまいには憧れますよね~。
「お里が知れる…」なんて、言われたら、一生懸命に育ててくれた両親に申し訳がありません。
気持ちだけでも、優雅に、素敵に行動しましょう。
(⌒▽⌒)アハハ!🌸🌸
今、ギネスは何歳だったのでしょう…。😊( ^)o(^ )
あの伯母には、もう少し、頑張ってほしかった…。
あちらから生還~?
どんなでした~?
あちらには、両親をはじめ、友人も、かなり、行ってますが…。
誰も、あちらの住み心地のこと、教えてくれません。
可愛い孫のため、私も、もう少し、こちらに居させて貰います。 (´∀`*)ウフフ🌸
大正の初めに生まれた伯母。
まだ、江戸のお話のようなこと、あったのね!
地方の豪農の方は、真からのお嬢さんだったわけで…。
もっと、お屋敷での生活、訊いておけばよかった…と後悔してます。(´;ω;`)😭