「そうだ,久しぶりに横浜○○に住む旧友を訪ねがてら,岸恵子さんちのミモザをみてこようかな」
~ひまな呑兵衛じいさんの戯言~
五木寛之さんがNHKの深夜放送で,「私の自宅は横浜◎◎の坂の上。岸恵子さんのご近所」と漏らした一言をふと思い出しました。
そして小説『わりなき恋』や,『岸恵子自伝」に登場のミモザの木が頭にうかびました。
▼『わりなき恋』388ページ 岸恵子著 幻冬舎刊
長い坂道を一人の男が歩いてゆく。
若くはないが、年寄りという風情ではない。すっきりと背筋を立てて、豊かではあ
るがかなり白くなった髪の毛を掻きあげて、坂道に画したちいさな家のちいさな庭に
眼をやった。そこにもう、男に懐いていた犬はいなかった。坂はまだだらだらと続い
ていた。その坂を、一歩一歩踏みしめるように男はゆっくりと登っていった。
坂を登りつめたところにある、おおきな角地のブロックに男が愛した、純日本式の家ももうなかった。歩調をゆるめた男は、東に面した道から、角を曲がって、かつて裏庭のあった道に回った。
そこに、はっとするほどおおきな房をつけたミモザの木があった。まだ冷たい春風のなかに、黄色いミモザの花盛りがあった。
塀をまたいで、路上にこぼれ咲く花を、男は見つめ、そっと手を触れた。
「よう、生きていたね。おおきくなったなあ、逢いたかったぞ。俺は今日、七十五歳になった。同い年になったんだ。それを言いに来た」
男の眼が潤んだ。潤んだ眼から涙が零れた。零れた涙は浅い皺のなかにうっすらと浮かんだ笑窪にひととき留まって流れ落ちた。・・
・・・・・・
『岸恵子自伝』(講談社発行)の325ページでは,自宅庭のミモザが次のように描いています。
庭のミモザのつぼみはもう膨らんでいる。春に先駆けて、いち早く黄色い華やかな房を咲かせるミモザは、看取れなかった母への供養として、帰郷後の二〇〇一年に、母が使っていた部屋の前に植えた。その後ろに、柚子の実に覆われた大木が見事な立ち姿を見せている。
岸 惠子 (きし けいこ)さん略歴
横浜市で1933年生まれ。『我が家は楽し』で映画デビュー。『君の名は』『雪国』『おとうと』『怪談』『細雪』『かあちゃん』など名作に出演。現在も映画,テレビ界の第一線で活躍。40年あまりのパリ暮らしの後,現在はベースを日本に移しながらフランスとの間を往復しつつ活動。海外での豊富な経験を生かし,作家,ジャーナリストなど多方面で活躍。2011年,フランス共和国政府より芸術文化勲章コマンドールを受勲。『ベラルーシの林檎』(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)『風が見ていた』『私のパリ私のフランス』ほか著書多数。
わりなき恋 (幻冬舎文庫) | |
国際的なドキュメンタリー作家・伊奈笙子、六十九歳。大企業のトップマネジメント・九鬼兼太、五十八歳。偶然、隣り合わせたパリ行きのファーストクラスで、二人がふと交わした「プラハの春」の思い出話。それが身も心も焼き尽くす恋の始まりだった……。成熟した男女の愛と性を鮮烈に描き、大反響を巻き起こした衝撃の恋愛小説。待望の文庫化!
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幻冬舎刊 岸惠子著 650円 |
◆『わりなき恋』 104ページ
侵入してきた九鬼兼太を受け入れながらも激痛が走った。固く閉じたオブジェの扉は開くことができないでただ裂けたように笙子は感じた。身を反らせながら発した自分の叫び声に自分で傷つき、蒼ざめていった。この世の果てのような暗がりのなかで笙子はもがいた。
ほっそりとした体が慄(おのの)いた。自分では恥じいる枯渇したその姿態にしたたかなエロティシズムが潜むことなど笙子は知る由もなかった。
「ごめんなさい」
九鬼兼太の手が、滑るように背中を這って、襟首をつたい髪の毛に潜った。「ごめんなさい」再びささやく兼太に、笙子は声も出なかった。
「ごめんなさい……でも、ぜったいに離れないで。ぜったいに消えてしまわないで。ぼくにとってあなたがどれほど大切か……」
同年配女性 ご壮健な著名人(敬称略)
・樋口 恵子:1932年5月4日 (90歳) 評論家。東京家政大学名誉教授。
・寿美花代:1932年2月6日 (90歳)
・岸 惠子:1932年8月11日 (89歳)
・黒柳 徹子:1933年8月9日(88歳) -「死ぬまで初めて!」
・草笛光子:1933年10月22日 (88歳)
・中村メイコ:1934年5月13日(86歳)
◆ 岸惠子さんブログ記事 ~バックナンバー~
・岸惠子さん - そのドラマチェックな人生 2019-04-06
・岸惠子さんの小説『わりなき恋』-モデルは元デンソー副社長I氏 2019-01-25
・わりなき恋-その3 「主人公と恋仲になるモデルは,トヨタ元取締役」
・わりなき恋-その2 「岸惠子さん-パリ在住四十年」 2017-12-17
・わりなき恋-その1 「驚異的な若さの理由-岸惠子さん-85歳」
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