◆名言・至言
「私の人生だから,私の好きなようにさせてよ!!」 - 黛ジュン
※1948年5月26日 生まれ-
御年,66歳の今も,超ミニスカートでかっ歩の黛ジュンさん。
「いい加減にやめろ」という人もいる。
そんな声に対して,黛ジュンさん曰く,「私の人生だから,私の好きなようにさせてよ!!」 。
2014/05/02/ 文化放送 「大竹まこと ゴールデンラジオ」
⇒⇒ youTube ⇒ 黛ジュン 夕月 http://youtu.be/lyB97TlN2TY
⇒⇒ youTube ⇒ ブルー・コメッツ 夕月 http://youtu.be/oHd4QxzGGU8
◆コマドリ姉妹 波乱の人生なれど とにかく常に前向きで真っ直ぐで明るく生きる
死ぬ目に何度もあってきた。生きようとする思いが強い ・・・。 「生きる」ということへの必死さ,その生命力そのもののパワーがステージで炸裂する。、
「一日でも長生きしたら得よね~」などとサラリと言ってのける。
「おいしいものが食べられればそれでいいんだ」とも。
こまどり姉妹は,「老人ホーム」の慰問もやっている。無表情、無反応だった「お年寄り」が「笑顔」を見せて、感激した老人ホームの若いスタッフたちがステージ終了後,「こまどり姉妹」のもとに駆け寄って涙ながらにお礼を言うというエピソードも・・・・。
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こまどりのラーメン渡り鳥 |
クリエーター情報なし | |
日本コロムビア |
コマドリ姉妹の曲に「涙のラーメン」という曲がある。遠藤実の作詞・作曲。帯広の流し時代、仕事終わりに「興行師」の兄さんに奢ってもらったラーメンをテーマにした歌である。
「ラーメンのスープのニオイと、屋台のランプの油のニオイが~」
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涙のラーメン |
クリエーター情報なし | |
COLUMBIA |
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1938年(昭和13年)北海道・釧路の炭鉱町で、姉・長岡栄子、妹・敏子の姉妹が生まれる。
終戦まで樺太で過ごすが、日本へ引き揚げ芦別・羽幌の炭鉱町を一家は渡り歩く。
父親の病気から,銭函という炭鉱町は,家賃が払えず両親、姉と姉妹の一家5人で夜逃げ。のち、大楽毛(たのしげ)に移り住み、ここで母親とともに民家を一軒一軒訪ねてまわり、嫌々ながら姉妹で一曲唄って日銭を稼ぐ「門付け」で糊口をしのぐ。このとき姉妹は11歳。
昭和26年、一家は上京し「山谷」(ドヤ街)に辿りつく。このとき姉妹は13歳。そこを住家にして浅草で「流し」の生活を始める。のちにこれがデビュー曲となる「浅草姉妹」のモチーフに。
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昭和41年には、姉・栄子の熱狂的なファンの男がステージ上へ上がりこみ、妹の敏子を姉と間違え、刃物で刺して敏子が重傷を負う事件が発生。今でいうところのストーカー犯罪のハシリである。
その後,妹・敏子が末期ガンの宣告を受ける。業界関係者が次々と彼女たちから去っていく中、翌年、奇跡的に回復。
昭和49年、姉・栄子が女児を出産するが、結局は芸能の仕事をしなければならず、入籍することなく未婚の母となる。
⇒⇒ youTube ⇒ コマドリ姉妹 浅草姉妹 http://youtu.be/SC6tT6VtX0M
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◆座右の銘
「死ぬこと以外はかすり傷!」 - 飛鳥とも美
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あなたに決めました |
飛鳥とも美,麻こよみ,碓氷夕焼,冬弓ちひろ,伊戸のりお,松井タツオ | |
ビクターエンタテインメント |
⇒⇒飛鳥とも美さん『ピョン太郎旅がらす』の歌詞
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-130619-188
▼ 2013年6月19日、いよいよデビュー! 35歳 二児の母
なんと高校生のお子様がいるとのこと。学生結婚で出産・・・・子育てを経験をされてからの歌手デビュー。
◆飛鳥とも美-プロフィール
・北海道生まれ、現在東京都在住 35歳
・3人兄妹の末っ子(姉・兄・そしてわたし)
・二児の母
・特技 料理 英会話
・資格 教員免許 習字師範
・趣味 人生について語ること
未来手帳を日々更新していくこと
・座右の銘 「死ぬこと以外はかすり傷!」
・目標 日本人初!演歌でグラミー賞を獲ること(世界に演歌を伝えたい!)
・2013年6月19日、デビュー!