羽田雄一郎参院議員(長野県選挙区)死去におもうこと-長野県選挙区選出
27日,立憲民主党の羽田雄一郎(はた・ゆういちろう)参院議員が新型コロナウイルスの感染症で死去。羽田氏は参議院長野県区選出,当選(4回)。ことし10月に立憲民主党の参議院幹事長に就任されたばかりであった。
雄一郎氏の父上は故・羽田孜(はた・つとむ)首相。祖父の羽田武嗣郎(はた・ぶしろう)氏は自由民主党の衆議院議員と,三代目の世襲議員である。なお,羽田孜氏は上田市の名誉市民に,上田城跡公園には祖父の武嗣郎氏の銅像が建つなど,羽田ブランドは上田地域では影響力を持続してきた。
私は,浦和生まれであるが4歳から長野県上田で育った。上田は羽田さんの選挙区であったことから,普段から氏の動向には注目し,ご活躍を期待していた。53歳の若さでの急逝は少なからずショックである。
羽田孜(はた・つとむ)氏 祖父:武嗣郎氏(ウィキペディアより) 上田市 「上田城 資料編」より
12月29日のニッポン放送の朝7時からのニュース番組「飯田浩司のOK! Cozy up!」で週刊文春記者の和田泰明氏が,“立憲は「自分が,自分が」という人が多いのですが,そのなかで(羽田氏は)紛れもなく人格者だった”とし,雄一郎氏のひととなりの一端を,好意的に語っていた。
『親分肌ですね。古き良き政治家ということで,まさに若い人に飯を食わせていると。高級中華が行きつけだったようで,そこに若手を集めて,当然ご馳走するのだということですが,下戸ではないがあまりお酒を飲まれない。高級中華なので美味しい時間帯にその人たちに出してもらうように気を使ったり,お酒を飲まないので自分で車を運転してきて,後輩を宿舎に送り届けたりしていた。』,とのことである。
長野県はもとより,日本にとっても誠に惜しい人を失ったと,悔やまれる。
“ 羽田雄一郎 公式ホームページ 「ふるさとが原点」”では,野党勢力の結集による反撃を訴えておられる。願い不成の無念さを察し,哀悼の意を表します。
真夏の決戦・いざ 出陣、野党結集で反撃の夏に!!
野党が結集して、心ひとつに力を合わせ、政権と真正面から対峙することこそ民主主義を守り、国民生活を守る唯一の政治の姿と信じます。 私たちは大いなる反省の上に立ち、今原点に立ち返り、「二大政党による政権交代可能な緊張感あるダイナミックな政治の実現」を、何がなんでも成し遂げなければなりません。 政治を国民の手に取り戻すため、私たちは国民の想いを大切にする本物の政治を求め、これからも全力で戦っていくことをお誓いいたします。
◆羽田雄一郎氏 経歴
・平成4年玉川大学文学部 卒業 保育士の資格を取得
・平成9年4月~平成11年9月 衆議院議員 羽田 孜 秘書
・平成11年10月 参議院議員 初当選
・平成11年 農林水産委員
・平成12年 民主党政権奪取運動委員会副委員長、議院運営委員会委員 他
・平成13年7月 参議院議員 当選(2回)
・平成19年7月 参議院議員 当選(3回)
・平成21年 参議院国会対策委員長代理、理議院運営委員会筆頭理事 他
・平成22年7月~平成24年6月 参議院国会対策委員長
・平成24年6月~平成24年12月 国土交通大臣
・平成25年7月 参議院議員 当選(4回) 参議院幹事長、民主党幹事長代行
・平成29年 民進党参議院幹事長、幹事長代理、役員室長
・平成29年10月 国土交通委員会理事、政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会委員
・平成30年10月 国土交通委員長
出典:羽田雄一郎 公式ホームページ 「ふるさとが原点」http://www.y-hata.jp/index.html
追記--長野選挙区の動き
>>>井出庸生衆院議員の入党を承認- 自民党長野県連
自民党長野県連は2019年12月15日,総務会と選対委員会の合同会議を開き,衆議院長野3区選出の井出庸生(いで ようせい) 議員から出された自民党入りの希望を承認した。
○井出庸生
井出 庸生(いで ようせい、1977年11月21日 - ) 衆議院議員(3期)。
祖父は農林大臣,郵政大臣,内閣官房長官を歴任した元衆議院議員の井出一太郎。伯父は厚生大臣、新党さきがけ代表を歴任した元衆議院議員の井出正一。
井出議員は,元NHK記者で,2012年の衆院選で「みんなの党」から出馬し,比例復活で初当選。その後,野党再編に伴い,「維新の党」や「旧民進党」などに所属してきましたが,「旧民進党」と合流した「国民民主党」には参加せず,2018年5月から無所属で活動してきた。