報道によると,大相撲の前身とされる江戸相撲で「史上最強」とも伝わる大関「雷電」に土を付けた力士「梶ケ浜(かじがはま)」にまつわる古文書を、鹿児島在住の子孫が発見しました。 相撲博物館(東京都)の学芸員は「相撲の歴史を伝える上で大変興味深く、貴重な史料」とかたっています。
◆雷電
雷電は,明和4年(1767)に,信濃国小県郡大石村の関半右衛門家に生まれ,幼名は太郎吉です。体格は,身長7尺(約2.1m)から6尺5寸(約1.97m),一説には6尺7寸5分(約2.02m),体重49貫600匁(約168.8kg)とあります。
寛政2年(1790)付け出し関脇として土俵にのぼって以来,文化8年(1811)引退までの成績は,総取組数285・勝星254・負星10・勝負預り等21・勝率9割6分2厘と伝えられています。
雷電は,寛政10年(1798)に生家を,若い頃に世話になった長瀬(旧小県郡丸子町)の上原源吾右衛門の家をまねて,金50両を投じて改築しています。
孝心に厚かった雷電は,父半右衛門が生前,酒が好きだったので,父の死後,石塔を建てて供養するのにあたり,冥土の旅には酒を不自由させない心遣いから,笠石には盃を,棹石には酒樽を,台石には膳箱を形どって造らせています。
◇雷電の生家:所在地 東御市滋野乙1981-2
昭和59年(1984)老朽化のため関係者の協力で,現在の生家が復元されました。
◇千葉県佐倉・雷電の墓
千葉県佐倉市臼井は国民的ヒーローである長島茂雄さんの出身地として知られています。実は長島元監督ばかりではなく、江戸時代のヒーロー「雷電」とも縁の深い町なのです。「雷電」は,当時,超国民的ヒーローでした。
引退する文化8年(1811年)までの35場所で、総取組数285戦、勝数254、負数10、引分け2、預かり14、無勝負5、休み30の成績を残しています。
佐倉市臼井(当時は成田街道の臼井宿として)の妙覚寺には雷電墓と碑があります。雷電の妻「おはん」(後に八重)はこの臼井宿の街道沿いの甘酒茶屋「天狗」を営んでいた忠八の看板娘(一人娘)でした。雷電が「天狗」に立ち寄ったおりに、見初めて妻に迎えたといわれています。
妙覚寺域内にある碑の,雷電の文字は佐久間象山筆によります。雷電の墓は,出身地の長野県東御市大石関家墓所,東京都赤阪報土寺,島根県松江市西光寺,そしてここ臼井の四ヶ所にありますが,妻と娘と一緒に葬られているのはここ妙覚寺だけです。
雷電は文政八年(1825年)2月11日・没(59才)。妻「おはん」,同十年1月20日・没(61才)。
◇佐久間象山
佐久間 象山(さくま しょうざん(ぞうざん))は,日本の武士(松代藩士),兵学者・思想家。
〒285-0861
千葉県佐倉市臼井台1201(妙覚寺)
▼梶ケ浜の経歴
梶ケ浜は鹿児島県姶良市加治木出身で、「津川力右衛門」と名乗った藩のお抱え力士。1790(寛政2)年に35歳という高齢で新入幕。前頭となり、翌年に雷電と対戦して寄り切りで破ったと伝わります。