>>>考古学者 大塚初重先生 -皇国史観を排しての古代史研究-
考古学界の重鎮で,明治大学名誉教授の大塚初重(おおつか・はつしげ)先生(95歳)が21日,ご逝去された。戦時中に乗船の撃沈による二度の漂流体験が,皇国史観を排した古代史研究に立ち向かう情熱を生み出したということです。数奇な体験をお持ちの古代史学者であられました。
私が,大塚先生の人となりを知ったのは,雑誌「歴史と旅」1998年1月号(秋田書店発行)に掲載の"古代史の荒波に棹さして五十年”の大塚先生のエッセイを読んでです。そこでは,1945年4月,海軍1等兵曹時に2度,中国・上海に向かうがいずれも乗っていた船が米軍に撃沈され,神国日本とする皇国史観に疑問を持ったのが歴史を学ぶきっかけとなったと語っておられます。
二度目の撃沈で冷たい東シナ海で暗夜を漂流中,「命あって生き長らえ,再び日本の土が踏めたなら,科学的な真実の日本古代史を勉強したいと思った」(170ページ)と,古代史研究のきっかけを語っておられます。
上海で捕虜となり,復員して商工省(現経産省)に入省。働きながら明治大学の夜間部で学び,考古学の道に進み,明治大学文学部長や,日本考古学協会長を歴任されました。一般向けの書籍も多く著し,日本考古学界の第一人者としての名声を築かれました。
働きながら大学で学び,研究者の道に進まれたという点では,私と共通するところです。大塚先生の学識,功績と私を比べるのは不遜の極みですが,恩師伊東光晴先生と共に,独り合点で師と仰いでいました。
2007年上梓作家の五木寛之さんとの共著『弱き者の生き方』では,共に自身の悪をさらし,その心の葛藤を無類のユーモアをまじえ,迫真のライブトークを繰り広げ,人生を語っておられます。
---そのやりとり--
「私はこれまで,ずいぶん多くの人々と対話を重ねてきた。しかし,今回の大塚先生との対話ほど,よく笑い,かつ深く感動した機会はなかったように思う。それは圧倒的な体験だった」 ― 五木寛之 12ページ-
「対談中に私の目が曇り,五木さんの声の震える瞬間があった。私は作家・五木寛之さんの言葉や文章表現や考え方に,幼き日からの人間形成の道のりが確かによみとれると思った。」― 大塚初重 258ページ-
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27日午後4時から,成田市郊外の斎場で一般の焼香が開かれるとのことです。大塚先生とは全く面識はないのですが,弟子の末席と自認し,焼香させていただくつもりでおります。ちなみに斎場までは,我が家から車で約1時間弱で行けるはずです。
(この項,続く)