はい!滝沢ロコです!

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チャーくんも、元気です・・・!

2008年09月13日 | 今日のわんにゃん
皆さんに以前おめもじした、チャーくん

http://blog.goo.ne.jp/rokoroko_1956/e/4baf7388766aa613972e74886d77a3fd

見てください

こんなに、きれいなにゃんこになってるんですよ~

体もぴっかぴか

毛艶が良くなって、毛並みがそろっています

うえは、ちょっとびっくりしてのカメラ目線



もう、ガラス戸越しなら、こんなに近くで見ていても

がつがつご飯を食べるようになりました



これは、2日前の雨模様の日

赤い舌を、ペロッと出して食べてます

これは、直接真上からのショット



最近は、お気に入りの缶詰があって

カリカリは、ちょっと残したりもするようになりました

まあ



この日は、お天気も悪かったので、ちょっと、涙が出てましたが

上の写真のように、今日は、バッチリ綺麗

今は、お薬も飲まなくてOKです

この頃は、私の帰りを待っていて、ちゃんと座ってご飯の催促をしたり…


以前は、何処から見ても病気の塊みたいだったこの子が

こんなにきれいなぴかぴかのにゃんこになろうとは

そして、引きつっていたおっかない顔が

はじめ、気弱な子猫みたいな顔に変わり

そして、今の顔に

まだちょっと、びくびくしているところもありますが

そのくらいのほうが、変な冒険しなくて、怪我しなくていいから

まだ、いいでしょう


秋が来て、冬が来るけど


チャーくんのことも

たまに、お知らせしますね

「ね、チャーくん」

映画『千羽鶴』の再上映をすすめるための試写会

2008年09月12日 | ロコ企画
広島平和公園にある 折鶴を掲げた少女の像

あの少女は『佐々木禎子ちゃん』

そう、ロコ企画が、この夏語りを演りました「想い出のサダコ」のサダコちゃんです

今年は あの原爆の子の像設立50周年

下記の通り、再上映をすすめるための試写会があります

映画『千羽鶴』の再上映をすすめるための試写会があります。

*日時 9月20日(土)夜18:30~

*会場 渋谷区桜丘施設集会室


渋谷駅から歩いて5分、東急セルリアンタワーの足下にある小さな建物です。

映画の紹介 

1955年、広島の少女佐々木禎子さんが原爆症で亡くなります。

クラスメイトたちは、子どもたちがこれ以上戦争や原爆の犠牲にならないようにとの願いを込めて、原爆の子の像の設立運動を始めます。

劇映画「千羽鶴」は、その運動の最中に撮影され、実際の除幕式(1958)がエンディングとなっています。

映画から伝わってくるのは、戦争の傷跡から、手をたずさえて生きようとする子どもたちのまぶしいばかりに健康な姿と民主教育の息吹です。

木村荘十二監督67分1958年公開。

英字幕をつけて世界へ  

原爆の子の像の話は、子どもたちに平和の尊さを伝えるすぐれたエピソードとして、世界各地で語り伝えられています。

「千羽鶴」は、禎子さんの闘病生活や原爆の子の像の設立過程を、実際の学校や広島の町を舞台に詩情豊かに伝える貴重な作品です。

これに英字幕をつけてDVDにするならば、

サダコストーリーをもっと深く知りたい、知らせたいと願う世界中の人々への素晴らしいプレゼントとなることでしょう。

「つるにのって」監督 有原誠治

※追記:試写会はどなたでも参加できますが、会場は30席ほど。

先着順で満席になったら、床に座っての鑑賞、あるいは立見となることがあることを

あらかじめご承知下さい。

 会場は6時から受け付けます」

会場への地図は、下記をご覧下さい

  http://hikakueiga.exblog.jp/

どうぞ、よろしくお願いいたします

私は自作の「想い出のサダコ」の歌を歌います

お蔭様でこんなに大きくなってます

2008年09月11日 | 今日のわんにゃん
皆さん

お蔭様で、あのチビにゃんこが、すっかり大きくなりまして

筋肉モリモリの、立派な男性になりました


本当に、はじめは小さくて

生後1ヶ月も経ったかしら…

という頃に我が家の猫の額(=庭)にふらっと登場

あれから一冬を越して

今や、1歳のわんぱくにゃんこに成長しました


はじめは、人間の姿が見えると、すっ飛んで逃げていましたから

生粋の野良にゃんこだったのでしょう

猫の額にご飯を食べに来ては

何処でどう寝ていたのか、また消えていく毎日…

冬は、寒かろうと毎日湯たんぽを入れてやって

近所の野良にゃんこたちにいじめられないように気にしながら

時には、夜中にガバッと飛び起きて、どら猫を追い払ったりしながら

大きくなるまで、と思って見てきました

http://blog.goo.ne.jp/rokoroko_1956/e/0cc45652e21b6a14e19b1f5cb5642d25

それが、まあ、この寝方を見てください

どう見ても、野良じゃないですね…



なるほど、ここは寝心地いいわ、という場所を見つけて

お腹を丸出しにして、寝ていました

こんな無用心な寝方は、野良世界では絶対にありえない

今では、私のひざに抱っこもするほどです

顔つきも変わるんですよね~

自分を大事にしてくれる人がいるってわかると

表情が、穏やかに、可愛くなるんです

これには、びっくりです

きっと、人間もそうなのかも知れませんね

誰かに愛されていることがわかると、優しくなれる

一人ぼっちで、周りが敵ばかりだと思っている人は…


このチビにゃんこは、私たちが大事に思っていることがやっと通じたのでしょう

本当にのん気に、無防備に、気持ち良さそ~~に過ごしています

たまに来るどら猫には、ひたすら逃げていますが、それでよし

無駄に戦う必要など、全くありません


このあと、またおんなじカッコで、すやすや寝ていましたとさ…

めでたし、めでたし

ありがとう、トゥリマカシィ・・・

2008年09月09日 | 旅、史跡探訪
翌朝は、バリのホテルでゆっくり…のつもりが

日頃の癖というか習慣というか

さっさとおきてしまいました


せっかくだからと海岸を散歩

何人か、ジョギングやウォーキングをする人たちがいましたが

静かなもの…

かなり長いこと歩いているおばあさまがいらして

なんだか素敵に思えたので話しかけてみたら、イタリアから来たとのことでした

日本人?と聞かれたのでそうですと答えると

「私の孫の嫁は日本人で、ゆき子というのよ」、と

本当に嬉しそうに色々話してくれました

なんでも、聡明で利発で、とっても可愛いそうです

「あなたもきっとそうなんでしょうね

そう言ってくださるそのご婦人が、一層素敵に思えました



海には、地元の人が何人か、釣りをしています

とても静かな、風と波の音しかしない

実に穏やかな風景です

あと2時間もすれば、この辺りには、大勢の人が寝そべっていることでしょうが…



ほんの今、枝から離れたプルメリアの花

その瑞々しさが、なんとも愛おしい気がしました


今回の旅は、あっという間の出来事でした

とにかくハードスケジュールで、駆けずり回った感じです

でも、私の念願だったボロブドゥール寺院、そして、プランバナン寺院に

行くことができました

まだまだ、見足りません

ぜひ、繰り返し訪ねてみたいと思います


石に刻まれたレリーフには、昔の人間が自らを戒める教えの数々が刻まれ

それは、幾つもの宗教の教えでもあり

何のことは無い、今でも、多くの人間が、見せつけ、抱え、悩み、考えていることだったりして…

かえって私は、安心を感じられました

だって、千年以上も昔から


人は同じようなことを、何度も何度も繰り返しながら

毎日毎日、暮らしていたんだなぁって思ったら

そうか、何があっても、これからもこうやって人は生きていくんじゃん

大丈夫じゃんって…

そんな気になれたのです


歴史を紐解くとき、必ず思うのが、そのときを生きていた人たちのことです

私は、そんな発見が大好きで、遺跡や史跡の探訪を続けています

そして、出会った何人もの人たち


出会うこともなく、それでも同じ時代を共に生きている人たちのことを

あれこれ思うのです


今を生きている私が、千年を超えて出会う遺跡には

多くの人との会うことない出会いが、たくさんありました




海からの風に吹かれて、このホテルでの今回の旅の最後のジュースを飲んでいるとき

遠くで、私に手を振る人がいました

「トゥリマカシー…

「ありがとう…

人って本当に、素敵です

そして・・・ムンドゥッ寺院へ

2008年09月07日 | 旅、史跡探訪
ボロブドゥール寺院から3キロほどのムンドゥッ寺院に向いました

途中、インドネシア独立記念のパレードに出会い

車が全然進めなくなったのにはびっくり

張りぼての馬や、同じ衣装に身を包んだ小学校の子供達、着飾った大人達が

長い列になって、道を埋めています

地元の人に、抜け道を聞き、迂回

農家の庭先で、鶏がコッコと鳴いているような道を通らせていただき


車は進みました

インドネシアが独立したのは1950年

まだ新しい国ですね

このあたりの事を調べると、やはり、思いは駆け巡ります

年配の方々は、色々な記憶の中で、この日を過ごすのでしょう・・・


さて、おかげで無事到着

はじめに、すぐ近くの小さな門をくぐりました

  

ここは、若い僧が、学ぶ所だそうです

沙羅双樹の木の下で、Jさんは、お釈迦様の話をしてくれました

ヒンドゥーの話に比べると、だいぶ教えが優しい気がしますが・・・

私が知らないだけなのかもしれません



珍しく、新しい建物です



お釈迦様の修行中の姿

肋骨の上には、血管が浮き出ています

色々な教えは、すなわち人として恥じない人間になるということの戒めなのでしょうか

悟りを開くのは、大変なことですね


そして、すぐ目の前のムンドゥッ寺院に・・・



釈迦牟尼仏が中央に、そして、両脇には観世音菩薩 金剛手菩薩が

この三尊は、この時期の建立仏としては最高傑作といわれているそうです

入り口の両側には、鬼子母神と毘沙門天が描かれています

鬼子母神といえば入谷、毘沙門天といえば神楽坂

この辺りは私にもなじみのあるところですが・・・

そして、聖鳥ガルーダ(鷹)のレリーフも

これはヒンドゥーの神ビシュヌの乗り物であり

この辺りで、ヒンドゥーと仏教が重なり合っているのかしらと・・・

とにかく、単純に美術品としても、当時の人間の生き方を映すのもとしても

私には、興味津々の空間の一つでした



これは、ガジュマル



こんな大きな木は初めてです

Jさんのたっての勧めで、ターザンの真似事を

近所のおばあさんや子供達が、笑ってみていました

このたくさんの蔓が地上に着き、地面に埋まって根を伸ばすと、そこが幹になるそうです

どんどん増えていきそうですね


このあと、空港近くまで車で一走り

インターネットカフェで、4人でコーヒーを飲みました

1杯百円しなかったと思います

しかし、このジャワ島での取材は、考えてみたら1日です

もったいないですね~、せっかくなのに、もっとゆっくり見たかったです

でも優秀なガイドさんと、物凄いカーチェイスの折り重なるような道路を

巧みに通り分けてくれた運転手さんに、感謝

私たちは、後ろ髪ひかれる思いで、空港の中に入りました

ガラス戸の向こうに、手を振るJさんが見えました

「また来るからね~、その時も、お願いしますね~~」



早朝から駆けずり回ったジャワの旅

本当に、色々と勉強になりました

知らないことが、何と多いことでしょう

この先も、色々な所を、旅して回りたいと、強く思った一日でした


もう空は、真っ暗

バリに着いた時には、辺りはとっぷりとくれていました



世界遺産、ボロブドゥール寺院

2008年09月06日 | 旅、史跡探訪
Aホテルから、車で山道を少し下る形で20分足らず

一生のうちに一度は訪れたいと思っていた「ボロブドゥール寺院」に来ました

1991年に世界遺産に登録されたこの寺院は、

8~9世紀に造られたそうですが

近くにある火山メラピ山の大噴火で火山灰に埋もれ

1814年に発見されたそうです

この日は、うす曇だったので多少楽だったのだと思いますが

暑さと疲れが 結構堪え始めていて

初めのうちは、やっと来た興奮と感動でワクワクしていた私も

時間が経つにつれ 「み、水・・・」という感じでした。

入り口で、この寺院専門の、地元のガイドKさんにバトンタッチ

地元の人に仕事を増やすため、色々な国の言葉を学んでガイドを養成

寺院内は、地元ガイドさんしか、案内を許されていないそうです

ふ~ん、なるほどねぇ

色々と考えられているんですね



とにかく広い

周りの山々まで見渡せる広~~~い所に

その、石造りの寺院は 慄然と建っていました

かなり広い公園のような場所には、売店や物売りの人たちが大勢いました

一人から買うと、あっという間に何十人が集まってくるという経験を

昔、初めてこういうシーンに出会ったとき、したことがあったので

とにかく、関らない、という姿勢でいたのですが

物静か、おとなしい感じを受けました

パンフレットを売っていたおじさんは、消え入そうな声で

「じゃ、あとで・・・帰りに・・・」と日本語で言っていました

色々な石のレリーフの説明を、Kさんは、丁寧にしてくれました

人間の醜い顔と、優しい顔

昔から、人の欲や嫉み、恨み、噂話などなど、変わらないんだなぁ~と思いました

それを戒めるために、様々な宗教が必要だったのでしょう




これは、ストゥーパの中にいる仏像に触れると幸せになるというので

手を伸ばしてさわっている所です

ここが良いというのは、Kさんが教えてくれました



女性は 足の裏




男性は 手首



私たちは、きっと今よりもっと幸せになれるでしょうなんちゃって…



このストゥーパは、下側がひし形の穴

上の方は、四角い穴になっています

ひし形は不安定を示し、四角は安定を示します

ひし形が、右に倒れたら地上界へ降りて人間として修行をし

反対側に倒れたら、極楽に行くという話しでした

全体が、下に5層、上に3層という構成で建てられており

3層は、三界を意味するそうです

「欲界」「色界」「無色界」がそれ

この辺のお話は、中々面白く、詳しく勉強してみたくなりました

仏教とヒンドゥー教との違いや、その関係なども、かなり面白そうです


イスラム教徒の方たちも来て居て、

一生懸命、足の裏に触ろうとしていたおばさんに

触りやすい場所を 教えてあげました



これは、裏側に当たるところです

近くの山の稜線が、お釈迦様の涅槃の形に見えるというのも、中々のお話

暑くて、フ~フ~言いながらでしたが

古い遺跡大好きの私には、とっても興味深い時間でした

このあと、周りにある公園の道をスタスタ入り口まで帰ったのですが

驚いたのは、さっきのパンフを売っていたおじさんが、待っていたのです

「帰りだって…」とまたもや消え入りそうな声で、訴えかけてきます

散々、仏教の話を聞いて人間の様々な様子を振り返っていた私は

『いやぁ、生きている現実に勝る教えはないかも』

と、改めて、確信した次第です



高級とは・・・

2008年09月04日 | 旅、史跡探訪
プランバナン寺院から車で約1時間

田園風景が、悠久の時をゆったりと刻むところに着きました

ホテル、A

ここは、かなりな高級ホテルだそうで、

その佇まいも、スタッフも、洗練のひとことに尽きる感じです

白い大理石の階段には、薔薇の花びらがちらほらとまいてあり

インドネシア音楽の静かな生演奏が

心地よくBGMを奏でています

ボロブドール寺院の一番高い塔が

田園の真ん中に見える小高い位置のレストランは

テーブル数も少なく

いかにも、「あなたは、特別なお客様です」と言っているようです

食事も美味しく、スタッフの礼儀もマナーもきちんとしていて

本当に心地よいランチを頂くことができました


が、しかし

ここに来るまでの間に通ってきた道の数々を思うと

私は、何ともいえない思いになりました

市街地の真ん中は、昔行ったモロッコのジャマエル・フナ広場のようで

旧市街に迷路のように連なる小さな店がひしめき合う地域

そして、その地域では、やせっぽちだけど元気いっぱいの父ちゃん母ちゃんが

大きな声で商売をしています

道路にはバイクが溢れかえり 

車はまるでカーチェイスのように走っています

庶民の暮らしは、本当に一生懸命なんだと言うのが

街全体から伝わってくるのです


そして、市街地を過ぎて田園地帯

農家は、こつこつと農作業をし、畑を丹精込めて作っているのでしょう

この辺りは、ほとんどがたばこ畑です

お盆の時期だったその日は、ほとんど畑に出る人はなく

たまに家の食材を採りに出たおばあさんを見かけたくらいでしたが

現地ガイドのJさんの話だと、

大学を卒業した人の初任給は、日本円で4万円くらいと言うこと


因みに、国立大学は、授業料は、ただ

ただし、優秀な人しか入れないそうですが…


その優秀な人たちでさえ、4万の給料と言う中で

このAホテルは1泊10万を下らない、

スイートは20数万円だと言うのです

私は何だか考えてしまいました

もちろん、観光を産業にしているのですから

こういうホテルがあるからには、繁盛した方が良いのでしょう

でも、さっき見た、あの商店街のおばちゃんたちは

月々一体いくら位で生活しているのか・・・

私は、今自分がここに居て、このテーブルで食事している現実が

何だか、色々なものの縮図のように思えても来て

遠くに霞んで見える千年のときを刻むボロブドール寺院の影を

じっと見つめていました…

それでも、しっかりと昼食を頂いて、デザートも堪能した私ですから

まあ、ナンと申しましょうか



写真を撮るときに満面の笑顔で一緒に写ってくれた

民族衣装を着た現地の可愛い少女が、

学校から帰って、ああやって働いているんだと聞き

少女の元気さが 頼もしいとも切ないとも思えた私です

世界遺産、ブランパナン寺院

2008年09月01日 | 旅、史跡探訪
ついに、来ました

プランバナン寺院です

9世紀頃から建てられたというこのとてつもなく大きな寺院郡は

大きな空を背景に、どっしりとその姿を誇っていました



スマトラ島沖地震で、修復が終わったものまで再度大きな被害を受けたとの事

もっとも大きなシヴァ神の寺院は、建設工事の足場のようなものが組まれ

物々しい復興の作業が、それでもゆったりとした時間の中で

着々と行われていました

日本で言う宮大工のような方々が、石の割れた断面を詳しく調べながら

接着剤を流し込んだり、ひもで縛ったりという細かな作業と

豆粒ほどにしか見えないような高いところにまで昇って

その石塔を設置する作業などを

じりじり焼け付く太陽のもと、どこか陽気に(私にはそう感じられましたが)行っていました

現地ガイドのJさんはとても博識で、次から次へと質問する私に

実に丁寧に答えてくださいます



回廊には、ラーマヤナの話を刻んだ石のレリーフが連なっています

1つ1つ丁寧に写真を撮る、オランダ人の若いご夫妻にも会いました

日本人には、本当に会いません



石塔の中には、石像が千年という時を超えて立っていました

外の暑さに比べると、ひんやりとして、ホッとする空間です



この部分にあるのは、シヴァ神殿、ビシュヌ神殿、ブラフマー神殿

そして、その前には、やや小さめのナンディ堂、ガルーダ堂、ハンサ堂があります

シヴァは聖牛ナンディ、ビシュヌはガルーダ(鷹)とそれぞれ乗り物が決まっているそうです



これは番外編。

世界遺産を背景に芝居が観られるという、野外劇場が、神殿の裏手に見えました

いやぁ、実にうらやましい

こんな壮大な場所で、しかも野外劇場で、朗々と芝居が出来たら

何てしあわせなんでしょう

手前は、修復を待つ瓦礫のような寺院のあとです

昔から、数々の地震で被害を受けたこの寺院も、長い年月の後、新たな姿を見せることでしょう



遠く一段と高い場所にあるシヴァ神殿などの周りには

このような大小数多くの石塔が立ち並び

その多くが、崩れたままになっていました

地道に、丹念に、修復は続くのでしょうね…



そして、その周辺の壮大な敷地には、木々が生い茂り

今までの太陽にさらされていた空間から

一気に森の中へと風景が変わります

その木々の間に、はるかに霞み、再び仰ぎ見る神殿の尖塔

やはり、世界遺産の認定を受けたものは、こういうところが違うのかなぁ~

と、私は素朴に思いました

素晴らしい歴史建物が多くある日本も、そのすぐ近くに高層マンションが立っていたら…

そして、あたりには、塵一つ落ちていないのです

何だか、うらやましいような、恥ずかしいような思いと共に

色々なことを感じた私です