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A380の翼のヒビを検査するとEASA

2012-01-20 | Weblog

http://bbs5.as.wakwak.ne.jp/110307/r1160-1327064931.jpg(写真)ヒビは緊急の安全の脅威ではないとエアバス側

20機のエアバスA380は翼にあるヒビの検査を受けなければならないと安全規制官。

ヨーロッパ航空安全局(EASA)は、現在飛行中の3分の1の航空機がヒビの目視検査を受ける予定だと言いました。

1,800回以上飛行している飛行機は4日以内に検査が必要だとも。

エアバス側は、ヒビは緊急に安全の不安にはならない。もしヒビが見つかれば修復すると。

シンガポール・エアラインとアラビア首長国航空とエア・フランスが運営している飛行機に影響を与えたことは問題です。

当局は、ヒビはある期間運用された飛行機で大きくなることが分かったと言いました。

「もしヒビが見つからなくて修復されなければ、この条件での飛行は飛行機の構造に影響を与える可能性がある」と検査の指示書に書かれています。

A380の翼で2度目のヒビ見つかったことになります。

最初は、今回よりも深刻ではなかったものの、2010年11月のロールス・ロイス製のエンジンの破壊を受けてカンタスA380を修理している時にヒビが見つかりました。

それがもっと広範囲な検査を促すことになって、木曜日に英国製の翼に深刻なヒビが見つかりました。

もし同じようなヒビがもっと多く見つかれば、飛行機はエアバスと検査局の間で合意された修復計画を実行するために地上待機になるかもしれません。

1,800回以上のフライトをした飛行機だけが緊急の検査の対象になります。1,300回から1,800回の間のフライトをした飛行機は6週間以内に検査を受けなければなりません。

「エアバスは、定期検査中にA380のいくつかの翼に更にいくつかのヒビが危機的ではない範囲の制限された数で見つかることはあると確信している。」と会社が声明を出しました。

しかし、EASAは更なる手段が必要だと警告しました。

「現在の検査の結果として、更なる必要な検査が考慮されるかもしれない。」と。

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エアバスA380は欧州エアバス社のターボファン4発の超大型旅客機です。多くの客を運ぶ飛行機にヒビが簡単に入るようでは怖いですね。
        
当初から何かと話題の多い飛行機です。日本には2008年からシンガポールと成田の間で飛行しているとか。初日から悪天候で途中中部国際空港経由をして4時間遅れて成田へ。

詳しくは↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%B9A380#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.B8.E3.81.AE.E5.B0.B1.E8.88.AA


党:ムシャラフ氏が政府の警告を受けて帰還を再考慮

2012-01-19 | Weblog
 帰国するとすぐ拘束すると政府が警告したことを受けて、前ムシャラフ大統領は計画を再考していると彼の政党が木曜日に語りました。

全パキスタンムスリム同盟党のサイフ事務局長によれば、3年間出国していたムシャラフ氏は1月27日から30日の間に帰国する予定でした。

しかし、難問をかかえた政府が政治的問題から注意を逸らすために彼の帰国を利用するかもしれないとして側近が帰国日の再考を求めました。

彼が出国先から帰国したら逮捕すると政府が繰り返したからです。

マリク内相によれば、ムシャラフ氏がパキスタンの地に着いた瞬間に、ブットー前首相の暗殺との関連で拘束するとのこと。

ムシャラフ氏は2008年に辞任してパキスタンを離れ、ロンドンやドバイに住んできました。

サイフ党首は、マリキ氏の脅しは無駄だと言っています。「我々はいかなる状況にも直面する準備はできている。ムシャラフ氏は帰国を計画している。」と言いました。

ムシャラフ氏は、最近、ドバイからビデオでカラチ南部の都市の数千人の支持者に向けて来年の選挙に出馬する意思を伝えました。彼は、逮捕の危険性を認め、彼の命にも危険があることを理解していると話しました。

「パキスタンを導きパキスタンを統治することは非常に困難なことです。パキスタンは多くの多様性のある国です。あなた方は命を賭けなければならない、夜を徹しなければならない、懸命に働いて理解しやり遂げなければならない。あなた方は快適さと命を賭けているのです。」

ムシャラフ氏が対立者や連立野党の標的になって辞任を迫られた時、彼は大統領職を辞することによるのではなく彼の政治記録に関して判断されるべきだと求めました。彼は、その後間もなくパキスタンを離れました。

国連は、2010年に、ムシャラフ政権が2007年のブットー氏の暗殺の前に彼女を守れなかったとする報告書を発表しました。

ムシャラフ氏は、これを拒絶して、ブットーは警察から守られていたので不必要に危険にさらされたのだと言いました。しかし、パキスタンの裁判所は彼に逮捕状を出しました。

彼は、1999年にパキスタンの3回目のクーデターで政権に就き、4人目の軍事指導者になりました。

もし彼が帰国すれば、全権を持つ軍を制御するために米国に支援を求めたと言われているメモが引き起こしたパキスタン政府と制服組の指導権争いの最中に戻ることになるでしょう。

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軍事指導者や権力者が何回も復権を図るのは非民主国家に多いですね。

ムシャラフさんやタイのタクシンさんなどは出国していても国内に支持者が多くいて復権を求めているのでしょうか。それとも勝手にそう思っているのでしょうか。問題の多いパキスタンに今戻っても命が危ないだけではないのかしら。それでも帰国して立候補するのでしょうか。分かりません。

占領デモ中にホワイトハウスに発煙弾が投げ入れられる

2012-01-18 | Weblog

米シークレットサービスは、大規模占領デモ中にホワイトハウスのフェンスから投入された発煙弾と思われる物質を調査しています。

火曜日の夜のその出来事の後すぐには逮捕の報告はなく、デモ参加者達は解散しました。

諜報部報道官は、発射物は1,000 人から1,500人のデモ参加者が現地に集まった後,投げ込まれたと語りました。

オバマ大統領と夫人は、夫人の48才の誕生日で友人と共に出かけていたと報じられました。

ホワイトハウスの報道部の記者は、最初、事件が起こっている間,現地から離れることができませんでした。

諜報部報道官が、発射物を取り除く措置が行われていると言いました。

当日早く、政治の金の堕落した影響を非難するために何百人ものデモ参加者が国会議事堂の外に集まった時、4人が逮捕されました。

警察は、議員が冬休みから戻ってきた時に行われた集会中に〝議会占領″活動家達が議会の廊下に入ったことを否定しました。

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今日の米テレビニュースでデモの光景を見て、年末のようなデモが再び起こっているのかと驚いたものです。その時は、まだ、発煙物質が投入されたことは報じられていませんでした。

その後起こったようですが、あれだけの人々が集まってストをしていれば過激派も混じっていてもおかしくないといえるでしょう。占領デモは再び昨年のように拡大するのでしょうか。


警察:「爆発物がタイの外に送られようとしていた」

2012-01-17 | Weblog

タイで拘束されているレバノン系スウエーデン人の男が、別の目的地に運び出す前に、バンコクで爆発物の材料を蓄えていたと警察。

バンコクの警察長は、国の治安上の配慮から、容疑者がどの国を目的地としていたか語りませんでした。

バンコクの裁判所は、火曜日の午後、爆発物の材料を不法所持していたとして容疑者を12日間拘束するように命じました。

彼は、月曜日に、4トンの尿素肥料と数ガロンのアンモニア硝酸カリの液体を隠していた倉庫に警察を連れて行きました。

彼の逮捕は、バンコクでテロの可能性があるという米国とイスラエルの先週の警告に基づくものでした。

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レバノン系スエーデン人の男がタイのバンコクで爆発物を隠していて、それを他の場所に持ち出そうとしていた。テロの警告は米国とイスラエルによるもの。

この男は、どこでテロを実行しようとしていたのか。ミステリアスですね。米国かイスラエル?


トリポリの近くでリビアの民兵が衝突、2人死亡

2012-01-16 | Weblog
http://bbs5.as.wakwak.ne.jp/110307/1326708415.jpg
(写真)Gharyanの病院へ運ばれる負傷兵

http://bbs5.as.wakwak.ne.jp/110307/r1160-1326708434.gif
(写真)リビアの地図

リビアで週末に起こった衝突で少なくとも2人が死亡、40人以上が負傷しました。

首都トリポリから南へおよそ80キロにあるGharyanの町の周辺で、敵対する武装グループがロケットや重機関銃を発射しました。

暫定政府は停戦の仲介をしてきましたが失敗しました。

地方の役人は、彼らは親カダフィ民兵の武装解除を試みている自らの革命団をコントロールできる力さえ無いと語りました。

およそ3か月前にカダフィが捕まって殺されて以来リビアではほとんど見られることのなかった光景がGharyan周辺の丘で見られました。革命軍が、再び、ピックアップトラックの荷台に対空砲を積んでアッサビアの町に向かって西の方に進んでいます。

金曜日に戦闘が始まり週末も散発的に続きました。

土曜日に、防衛大臣が停戦の仲介のために現地に向かいましたが、成功しませんでした。

地方役人は、リビアの前指導者に忠実な民兵がアッサビアにまだ残っているので、もし必要なら強制的に武装解除させるべきだと記者に語りました。

日曜日に、部族長達がGharyanに行って紛争を仲介し捕虜の交換の交渉を試みましたが、歩み寄りはなく緊張したままです。

リビアの暫定政府は、国内の種々の武装集団に国軍に加わる選択肢を与えながら武器を手放すよう圧力をかけています。

しかし、いまのところ、成功した例はほんのわずかです。

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今年は、昨年起こった〝アラブの春″がどうなるのだろうと気になる年になりそうです。

リビアでも、まだカダフィ忠誠軍(?)の残党がいて衝突が起こっているようですし、暫定政府に統治能力がなさそうなので安心できません。なにしろ、イラン同様に石油を持つ国なので日本にも中東の不安定の影響はすぐに押し寄せてくるでしょうから。