
京葉工業地帯の貨物輸送線だった鶴見線にある、
<石油支線>という変わった名前の路線の特集です。
なかなか一般にはおめにかかれない踏切をみながら、
線路を進むとやがて極小さな規模のヤードに出ます。

鉄路は完全に錆び付いていますが、
点々と残存する転轍機はどれも塗装がはっきり残り、
最後に塗られたのはそう遠くない時だと思われるのが不思議です。
ヤードの左側には、昭和シェル石油の巨大な石油タンクが幾つも並んでいます。

前々日の記事でアップした道を挟んでの貯油タンクの光景は、
地図で確認するとエクソン・モービル社の貯油タンクのようです。
安善町の埋立地の全体をみてみると、
その殆どが石油関係の施設に使用されています。

昭和10年頃のこの場所の鳥瞰図をみると、
今と同じように「~石油」という名前のついた会社が並んでいますが、
どれもこれも現在の会社とは違う、
耳慣れない名称の工場ばかりです。
上の現在の地図と照らし合わせると、
東京ガスは昭和10年の時に既にここにあったようですが、
道をはさんで反対側、現在は米軍の油槽基地になっているところは、
この特集の#04 で触れたように<臨港大野球場>でした。
橋を渡って現在のEsso、昭和シェル、橋本の位置には<ライジングサン>、
現在のエクソン・モービルの位置には<スタンダード>、
海よりの米軍油槽所の位置には<日本石油>
とそれぞれ記されていますが、
後で調べてみると、ライジングサンとスタンダードは、
それぞれ現在の会社の前身の名称だということがわかりました。
また鳥瞰図には記載されていないエッソですが、
エッソはエクソンの販売ブランドです。
また臨港大野球場は、戦時下にアメリカのスポーツということで粛正され、
跡地はガソリンタンク用地として使われるようになります。
安善町の埋立地にある二つの米軍油槽所は、
もともと貯油場として使われていたものを、
戦後の接収でそのまま転用していることがわかります。
初期の鶴見線が運搬していたものは、
その殆どが石炭と石油でした。
まさに国を動かすエネルギーの出荷元だったわけですね。
★。.:*:・'゜Merry Christmas ☆。.:*:・'゜
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■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
「中年とオブジェ」のリンクに廃墟徒然草を加えさせていただきました。よろしくお願いします。
ベッヒャー展、ごらんになりましたか?
書き込みありがとうございます!
たった1km足らずの廃線ですが、
路線をとりまく環境は思いの外深いものがありました。
鶴見に沖縄料理!ちょっと不思議ですが、そうみたいですね。
大正の初期頃から経済不況にあえいだ沖縄県人が、
いわゆる移民の形で工業都市の賃金をめあてに沢山移り住んだそうですね。
今でも京浜の沖縄人は親交が深いらしく、
川崎には「沖縄労働文化会館」もあるそうです。
「中年とオブジェ」にリンクして頂きありがとうございます。
つたないblogですが、これからもよろしくお願い致します。
ベッヒャーは、結局仕事がおしまくり、いけずじまいでした。
とても残念です。