一昨日からアップしている、玉川上水余水路の話です。
昨日までは「玉川上水はけ水路」というタイトルでアップしてきましたが、
『渋谷の玉川上水』渋谷区教育委員会編 をみると、
「上水の水は、四谷大木戸まで野方堀で送水されてきたが、ここに水番所があって、
水量が多過ぎる場合、余水を渋谷川へ落水させた。今もその落水口が東京都水道局
大木戸出張所の裏手にある。渋谷側はもともと水量の少ない川であったが、この余
水の流入で、水量が増え、その結果、川筋に水車が架けられるようになった。」
『渋谷の玉川上水』渋谷区教育委員会編 より引用
と書いてあるので、
「はけ水路」よりは「余水路」の方がわかりやすいと思い、
記事のタイトルを変更しました。
この水路は外苑西通りの下を流れていたらしく、
道沿に、地下水路の開口部が今でも残っています。→Mapion
▼
これは通りから水路跡へ降りて開口部を見た画像ですが、
古いガードレールを立てて、侵入防止の柵代わりにしています。
すきまが沢山あるので中をのぞいてみると、
ほんの数メートル、トンネルになっているものの、
その先は完全に塞がれ、土砂も流れ込んでいます。
▼
Yahoo! 古地図で東京めぐりの明治と現代をみ比べると、
水流の上に、外苑西通りが通っているのがよくわかります。
◆ 江戸探訪 其の壱 玉川上水余水路 ◆
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昨日までは「玉川上水はけ水路」というタイトルでアップしてきましたが、
『渋谷の玉川上水』渋谷区教育委員会編 をみると、
「上水の水は、四谷大木戸まで野方堀で送水されてきたが、ここに水番所があって、
水量が多過ぎる場合、余水を渋谷川へ落水させた。今もその落水口が東京都水道局
大木戸出張所の裏手にある。渋谷側はもともと水量の少ない川であったが、この余
水の流入で、水量が増え、その結果、川筋に水車が架けられるようになった。」
『渋谷の玉川上水』渋谷区教育委員会編 より引用
と書いてあるので、
「はけ水路」よりは「余水路」の方がわかりやすいと思い、
記事のタイトルを変更しました。
この水路は外苑西通りの下を流れていたらしく、
道沿に、地下水路の開口部が今でも残っています。→Mapion
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これは通りから水路跡へ降りて開口部を見た画像ですが、
古いガードレールを立てて、侵入防止の柵代わりにしています。
すきまが沢山あるので中をのぞいてみると、
ほんの数メートル、トンネルになっているものの、
その先は完全に塞がれ、土砂も流れ込んでいます。
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Yahoo! 古地図で東京めぐりの明治と現代をみ比べると、
水流の上に、外苑西通りが通っているのがよくわかります。
◆ 江戸探訪 其の壱 玉川上水余水路 ◆
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