国内初の廃道DVD『廃道クエスト』リリースから1年、
新作廃道DVD『廃道ビヨンド』のリリースを前に、
作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。
◆
その前に本日『廃道ビヨンド前夜祭』@東京カルチャーカルチャーが、
無事終了致しました。
会場にお越し頂いた方々、
そして最後のところだけでしたが、Ustでご覧になって頂いた方々、
ありがとうございました!m(_ _)m
イベントは終了しましたが、
今回収録した物件の探索はまだ残っているので、
そろそろとアップして行こうと想います。
◆
離島の廃道撮影でやって来た神津島の初日が天候に恵まれず、
撮影が翌日に延期になったので、島内を散策した時のリポート。
前回はDVDには未収録の大黒根の廃隧道でしたが、
今回はそのすぐ近くにあった鉱石軌道跡にちょっと寄り道。
google mapで見るとmapでは当然表示されませんが、
航空写真に切り替えると、しっかりと軌道の跡が写っています。
ほぼ中央を少しずつ曲がりながら、左右に伸びている筋がその軌道跡です。
この場所が面しているのは名組湾という湾で、
その名前がつい名組湾の鉱石運搬軌道跡と呼ばれているようです。
車道から防風松林越しに軌道跡がみえますが、
コンクリートの橋脚が波風で劣化して自然石のようになり、
あたかも海岸にあった岩肌をくり抜いて造った様な感じで、
なんか妙な光景です。
この光景を見た時に、もう10年以上も前に、
ウェブで見て一度行ってみたいと想いながら、
すっかり忘れていた軌道跡だったことを思い出しました。
軌道跡の背後には神戸山という山があり、
その山から採掘される坑火石という、
主に建材に使われる石の運搬のための軌道跡です。
採掘した鉱石を海岸線までは索道で運び、
そこから港までの運搬に、このトロッコを使っていたようです。
画像の頂上付近の山肌は崖崩れか採掘跡かは分かりませんが、
山頂には今でも採掘現場が残されています。
荒涼とした瓦礫が一面に広がる山頂には、
ところどころに石切場の跡が残っています。
採石は昭和17年(1942)に始まり、
平成12年(2000)まで続いたというので、
50年以上の長きにわたって採掘されていたことになります。
戦中に採掘が開始されているのはちょっと気になるので、
機会があったら郷土史でも見てみようと想います。
採掘は50年以上続いたものの、
索道&トロッコによる積み出しは昭和30年代には終了し、
その後はトラックによる運搬に変わっていったそうです。
なので、トロッコの軌道跡は、
約50年、風雪波浪に耐えて来たわけですね。
近づいて見ると、レールや枕木はないものの、
かつてトロッコが走っていた様子を
彷彿とさせるような橋脚にびっくり。
かつてレールがあった時の光景。
1つ前の画像の奥の方の部分だと想いますが、
レールがあってもなくてもさほど印象がかわりません。
ためしに橋脚の中へ降りてみました。
これまた摩訶不思議な光景です。
橋脚の下部を見ると、フジツボなどが付着しているので、
橋の下部は時により海水に浸ることもあるのだと想います。
橋脚のしたの砂地には、
真っ赤に錆び付いた鉄の車輪が眠っていました。
確かに、トロッコが運行していたんですね。
少し海の方へ移動してみました。
劣化が激しい橋脚。
特に、画像右奥の橋脚などは既に折れてしまってます。
更に海よりに進み、軌道が橋脚ではなく、
自然の岩石を路盤として利用している所へたどり着くと、
そこには枕木がしっかりと残っていました。
おそらく自然石を削り取って軌道スペースを確保し、
路盤にコンクリートを流し込んで、
そこに枕木を敷いたんだと想います。
枕木の残る路盤を進み、海っ端までたどり着くと、
「ポンプ」と呼ばれた船積み施設にたどり着きます。
当時の写真を見ると、
極めてシンプルな構造の船積み施設だったことが分かります。
人知れず働き、人知れず廃止され、
そして悠久の時を刻みながら眠りにつく産業廃墟。
廃道撮影で訪れた神津島でしあたが、
おもわぬ発見がありました。
新作廃道DVD『廃道ビヨンド』のリリースを前に、
作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。
◆
その前に本日『廃道ビヨンド前夜祭』@東京カルチャーカルチャーが、
無事終了致しました。
会場にお越し頂いた方々、
そして最後のところだけでしたが、Ustでご覧になって頂いた方々、
ありがとうございました!m(_ _)m
イベントは終了しましたが、
今回収録した物件の探索はまだ残っているので、
そろそろとアップして行こうと想います。
◆
離島の廃道撮影でやって来た神津島の初日が天候に恵まれず、
撮影が翌日に延期になったので、島内を散策した時のリポート。
前回はDVDには未収録の大黒根の廃隧道でしたが、
今回はそのすぐ近くにあった鉱石軌道跡にちょっと寄り道。
google mapで見るとmapでは当然表示されませんが、
航空写真に切り替えると、しっかりと軌道の跡が写っています。
ほぼ中央を少しずつ曲がりながら、左右に伸びている筋がその軌道跡です。
この場所が面しているのは名組湾という湾で、
その名前がつい名組湾の鉱石運搬軌道跡と呼ばれているようです。
車道から防風松林越しに軌道跡がみえますが、
コンクリートの橋脚が波風で劣化して自然石のようになり、
あたかも海岸にあった岩肌をくり抜いて造った様な感じで、
なんか妙な光景です。
この光景を見た時に、もう10年以上も前に、
ウェブで見て一度行ってみたいと想いながら、
すっかり忘れていた軌道跡だったことを思い出しました。
軌道跡の背後には神戸山という山があり、
その山から採掘される坑火石という、
主に建材に使われる石の運搬のための軌道跡です。
採掘した鉱石を海岸線までは索道で運び、
そこから港までの運搬に、このトロッコを使っていたようです。
画像の頂上付近の山肌は崖崩れか採掘跡かは分かりませんが、
山頂には今でも採掘現場が残されています。
荒涼とした瓦礫が一面に広がる山頂には、
ところどころに石切場の跡が残っています。
採石は昭和17年(1942)に始まり、
平成12年(2000)まで続いたというので、
50年以上の長きにわたって採掘されていたことになります。
戦中に採掘が開始されているのはちょっと気になるので、
機会があったら郷土史でも見てみようと想います。
採掘は50年以上続いたものの、
索道&トロッコによる積み出しは昭和30年代には終了し、
その後はトラックによる運搬に変わっていったそうです。
なので、トロッコの軌道跡は、
約50年、風雪波浪に耐えて来たわけですね。
近づいて見ると、レールや枕木はないものの、
かつてトロッコが走っていた様子を
彷彿とさせるような橋脚にびっくり。
かつてレールがあった時の光景。
1つ前の画像の奥の方の部分だと想いますが、
レールがあってもなくてもさほど印象がかわりません。
ためしに橋脚の中へ降りてみました。
これまた摩訶不思議な光景です。
橋脚の下部を見ると、フジツボなどが付着しているので、
橋の下部は時により海水に浸ることもあるのだと想います。
橋脚のしたの砂地には、
真っ赤に錆び付いた鉄の車輪が眠っていました。
確かに、トロッコが運行していたんですね。
少し海の方へ移動してみました。
劣化が激しい橋脚。
特に、画像右奥の橋脚などは既に折れてしまってます。
更に海よりに進み、軌道が橋脚ではなく、
自然の岩石を路盤として利用している所へたどり着くと、
そこには枕木がしっかりと残っていました。
おそらく自然石を削り取って軌道スペースを確保し、
路盤にコンクリートを流し込んで、
そこに枕木を敷いたんだと想います。
枕木の残る路盤を進み、海っ端までたどり着くと、
「ポンプ」と呼ばれた船積み施設にたどり着きます。
当時の写真を見ると、
極めてシンプルな構造の船積み施設だったことが分かります。
人知れず働き、人知れず廃止され、
そして悠久の時を刻みながら眠りにつく産業廃墟。
廃道撮影で訪れた神津島でしあたが、
おもわぬ発見がありました。
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