前回の記事でアップした吉見百穴の見学は、
所用の後の訪問だったので、
じきに日も暮れて来たので帰途につくと、
道沿いに金網のフェンスで封鎖されたエリアがあり、
その奥に百穴と同様、岩肌を穿ったあとが見えました。
そうそう、吉見百穴のすぐ近くには『巌窟ホテル』がありましたね。
すっかり忘れていました。
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明治から大正にかけての21年間、
一人の男がノミ一本で彫り上げた伝説の穴蔵跡。
「巌窟を彫ってる」が転じて、
『巌窟ホテル』と呼ばれる様になったとか。
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かつては見学もでき、多くの観光客で賑わったそうですが、
今はもう入ることはできません。
部屋は勿論、家具から花瓶まで、
完全に岩を彫り貫いて作られた内部は、
一度見てみたいものです。
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目の前には『巌窟売店』
御休所の下には小さく「巌窟ホテル発掘の家」とあります。
時間が遅かったのでやってなかったのが残念。
温泉入口の看板と土産物店兼御休所。
ほっこり観光地の見本の様な光景は心和みます。
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巌窟ホテルもいいのですが、
隣接して建つ古色蒼然とした建物に惹かれました。
岩を穿って観音様を祀ったことから
『岩室観音堂』と言うのだそうです。
創建は800年の初頭とも。
秀吉の松山城攻略の時に焼失し、
現在のものは江戸中期に建てられたものだとか。
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敷地に入ると確かにくり抜かれた岩の中に観音様が沢山。
この他にも、お堂の下部がやはり岩をくり抜いた状態で、
沢山の観音様が並んでいます。
堂内に安置された観音様は全部で八十八体。
どれもが四国八十八ヶ所の本尊に似せて造られているそうです。
四国へ行かずともお遍路が出来ちゃうノリは、
富士塚にも共通しますね。
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御堂の一階にはやたらと急な階段があり、
二階へ昇れます。
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御堂の二階からは奥の山の景色が見えます。
と言ってもご覧のように鬱蒼と繁る森。
石畳があるので一見平坦のように見えますが、
奥に行くに従ってかなりの急斜面です。
石畳の先を登ると、
石田三成に陥落された松山城跡だそうですが、
もう暗いので断念、
画像中央に写る岩肌の見える大きな石の左側は、
岩肌を昇る急斜面になっていて、
その奥に「胎内くぐり」があるといいます。
もうあたりはかなり暗いですが、
とりあえず行って見ることに。
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補助用に設置された鎖を頼りにつるつる滑る岩肌を昇ると、
そこにはかがんでやっと通れる位の狭い胎内くぐりが。
「諸難を除き、安産その他の願いごとが叶うと言われている」
だそうです。
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胎内くぐりは国内に数多ありますが、
基本的には女性の胎内に模して、
そこを通ることによって生まれ変わり、
魂の浄化を行なうための装置です。
死後も次の世界へ行ける様にとの配慮から、
横穴式に造られた吉見百穴を見て、
エジプトの死後の世界観を思い出しましたが、
胎内くぐりもまたエジプトを連想させます。
世界最大のピラミッドは未だにその目的が分かっていません。
様々な説がありますが、その中の1つに興味深い説があります。
大ピラミッドの中には大回廊と呼ばれる急傾斜の広い通路があり、
その手前に外界と繋がる極めて細い通路があります。
これらを女性の胎内に模し、
王子が玄室である日数を過ごし、
やがて大回廊から細い通路を通って外へ出た時に、
王、すなわちラーとなって復活する
という説です。
すなわち、ピラミッド=胎内くぐり説ですね。
吉見百穴と岩室観音、
埼玉県のほっこり観光地で意外にも、
古代エジプトに想いを馳せてしまいました。
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所用の後の訪問だったので、
じきに日も暮れて来たので帰途につくと、
道沿いに金網のフェンスで封鎖されたエリアがあり、
その奥に百穴と同様、岩肌を穿ったあとが見えました。
そうそう、吉見百穴のすぐ近くには『巌窟ホテル』がありましたね。
すっかり忘れていました。
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明治から大正にかけての21年間、
一人の男がノミ一本で彫り上げた伝説の穴蔵跡。
「巌窟を彫ってる」が転じて、
『巌窟ホテル』と呼ばれる様になったとか。
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かつては見学もでき、多くの観光客で賑わったそうですが、
今はもう入ることはできません。
部屋は勿論、家具から花瓶まで、
完全に岩を彫り貫いて作られた内部は、
一度見てみたいものです。
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目の前には『巌窟売店』
御休所の下には小さく「巌窟ホテル発掘の家」とあります。
時間が遅かったのでやってなかったのが残念。
温泉入口の看板と土産物店兼御休所。
ほっこり観光地の見本の様な光景は心和みます。
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巌窟ホテルもいいのですが、
隣接して建つ古色蒼然とした建物に惹かれました。
岩を穿って観音様を祀ったことから
『岩室観音堂』と言うのだそうです。
創建は800年の初頭とも。
秀吉の松山城攻略の時に焼失し、
現在のものは江戸中期に建てられたものだとか。
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敷地に入ると確かにくり抜かれた岩の中に観音様が沢山。
この他にも、お堂の下部がやはり岩をくり抜いた状態で、
沢山の観音様が並んでいます。
堂内に安置された観音様は全部で八十八体。
どれもが四国八十八ヶ所の本尊に似せて造られているそうです。
四国へ行かずともお遍路が出来ちゃうノリは、
富士塚にも共通しますね。
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御堂の一階にはやたらと急な階段があり、
二階へ昇れます。
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御堂の二階からは奥の山の景色が見えます。
と言ってもご覧のように鬱蒼と繁る森。
石畳があるので一見平坦のように見えますが、
奥に行くに従ってかなりの急斜面です。
石畳の先を登ると、
石田三成に陥落された松山城跡だそうですが、
もう暗いので断念、
画像中央に写る岩肌の見える大きな石の左側は、
岩肌を昇る急斜面になっていて、
その奥に「胎内くぐり」があるといいます。
もうあたりはかなり暗いですが、
とりあえず行って見ることに。
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補助用に設置された鎖を頼りにつるつる滑る岩肌を昇ると、
そこにはかがんでやっと通れる位の狭い胎内くぐりが。
「諸難を除き、安産その他の願いごとが叶うと言われている」
だそうです。
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胎内くぐりは国内に数多ありますが、
基本的には女性の胎内に模して、
そこを通ることによって生まれ変わり、
魂の浄化を行なうための装置です。
死後も次の世界へ行ける様にとの配慮から、
横穴式に造られた吉見百穴を見て、
エジプトの死後の世界観を思い出しましたが、
胎内くぐりもまたエジプトを連想させます。
世界最大のピラミッドは未だにその目的が分かっていません。
様々な説がありますが、その中の1つに興味深い説があります。
大ピラミッドの中には大回廊と呼ばれる急傾斜の広い通路があり、
その手前に外界と繋がる極めて細い通路があります。
これらを女性の胎内に模し、
王子が玄室である日数を過ごし、
やがて大回廊から細い通路を通って外へ出た時に、
王、すなわちラーとなって復活する
という説です。
すなわち、ピラミッド=胎内くぐり説ですね。
吉見百穴と岩室観音、
埼玉県のほっこり観光地で意外にも、
古代エジプトに想いを馳せてしまいました。
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