![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/32/d1de962e5e8a9a252248e2a5c9ba7fe7.jpg)
京葉工業地帯のど真ん中を走る鶴見線の中の、
廃線<石油支線>の特集。
今回は支線への分岐駅<安善駅>周辺の話です。
改札を出ると目の前に数件の店がありましたが、
殆ど人気がなく、また見渡す限り全く人がいません。
廃墟のような、時間が完全に止まった感じはしませんが、
かといって進んでいる感じもしません。
安善駅の改札口は、方向的には路線の北側なので、
駅から南へ延びる石油支線へ行くには、
まず今来た線路を横断しなくてはなりません。
横断歩道の途中で、鶴見方面をみると、
画像のような光景です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/c2/c91164a59c6582bf15f67e3b95dc5bb4.jpg)
右寄りに写る線路が、今乗ってきた線路ですが、
電車が去った後はしんと静まりかえり、
草の間を渡る風の音だけが聞こえます。
中央の線路の左側の草むらは、
実はただの草むらではなく、
ひとつ手前の浅野駅近辺からずっと寄り添うように走っていた、
錆び付いた線路が敷かれているスペースです。
横断歩道を少し進むと、
鬱蒼と茂った草むらの中から線路が延びてきています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/1a/e62488f40a41ddd06c7abb85b7b91da8.jpg)
この様子からして相当の間使われていないものだと思いますが、
後ろを振り返ると、プラットホームから見えた
タンク車の停車するヤードへと繋がっています。
ところで、この昼間は殆ど利用客のいない鶴見線とは、
どういった路線なのでしょう。
川崎の埋立地が浅野財閥で知られる浅野総一郎氏によって造られたことは、
すでにこのblogの記事川崎・千鳥の光景 #03で書きましたが、
その埋立地の輸送機関の確保のために、
同じく浅野総一郎氏が造った貨物鉄道が<鶴見臨港鐵道>でした。
大正15年(1926)のことで、当初は現在の路線の中央部分である、
弁天橋駅から浜川崎駅の区間と、
大川支線(武蔵白川←→大川)でスタートしました。
前述の一つ前の駅<浅野駅>とは、
この浅野総一郎氏の苗字からつけられました。
埋立地の先端に砂浜をつくり、
工場街の煙突の見える海水浴場をつくろうとした、
京浜工業地帯の生の親は、
現在も自分の造った埋立地の中にその名前を残しています。
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■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#02 鶴見線・安善駅
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
今では地元になった? 鶴見線沿線
調べてみるとなかなか奥深いものがありますね
工業地帯を走る本当に地~味な路線ですけれど
家の近所に 浅野学園てのがありまして
朝な 夕なに 丘の上にある総一郎氏の銅像を眺めながら 駅に向かっています(笑)
鶴見線と言えば先月発売された
”鶴見線物語”をご存知でしたか?
コメントありがとうございます!
地元からみると、地味~ですか(^^;)
元々産業遺構に興味があって、
今回の石油支線もその流れなんです。
だからこのblogにアップしてる廃線も総て、
産業専用線ばかりなんですが、
そんなわけで、
私からみると鶴見線や各支線は、
凄~く燦然と輝いてみえます(笑)
『鶴見線物語』は知りませんでした。
早速読んで、この特集のネタに使わせてもらいます。
ありがとうございますm(_ _)m