黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

廃線:鶴見線石油支線 #01

2005-12-18 01:29:46 | 鉄道遺産


東京と神奈川をまたいだ湾岸沿いにひろがる京浜工業地帯には、
日常の生活とはかけ離れた様々な工業施設が密集しています。
その中の一つが時々このblogでもとりあげている千鳥町の埋立地ですが、
それとは別に今回取り上げるのは横浜市に入ってすぐの、
安善町の埋立地です。

この安善町に<石油線>という変わった名称の路線があることを知りました。
しかも既に廃線になって何十年も経っている路線でもあると聞き、
さっそく見学に出かけてみることにしました。
(といってもだいぶ前の話なので、
これから取り上げる遺構が全て残存しているかはわかりません)



今よりはまだ暖かかったとある小春日和の日。
品川から京浜東北線に揺られること約30分。
鶴見線への乗換駅<鶴見駅>に到着します。
普通JRどうしの乗り換えは新幹線などの特別な列車でない限り、
階段のあがりさがりで別のホームへ移動するのが一般的ですが、
この鶴見線への乗り換えは、一旦改札を通過します。
そしてその先に広がる始発プラットホームの光景は、
一見ヨーロッパの始発駅の様な雰囲気もある、
趣のある光景でした。

さすがに東京近郊線なので、発着は頻繁にしているようです。
入線してきた電車にさっそく乗り込んで、
まずは<石油線>の分岐駅<安善駅>へと向かうことにしました。



鶴見駅を発車してまもなくすると、
中央に使われなくなったプラットホームだけがある場所を通過していきます。
廃駅<本山駅>です。
鶴見線が旅客輸送を始めた昭和5年(1930)に、
この本山駅も造られたそうですが、
第二次大戦中の昭和17年(1942)に廃止になり、
60年以上経った今もホームだけが朽ちながら残存しています。
開業当時の写真をみると、
簡単な作りですが木造の三角屋根があったみたいです。

Roc写真箱』のGG-1さんとのお約束で、
この特集をアップすることにしました。

>次の記事

■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
 


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3 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
有難う御座います (GG-1)
2005-12-18 04:10:08
大川や昭和から分岐する第一セメントはホッパーを見に行っているものの、安善町の方は米タンをはじめとする石油関係が多く、駅も無いので見に行っておりませんでした。

次からが愉しみ楽しみ。
返信する
すみません (GG-1)
2005-12-18 04:20:44
昭和からではなく、第一セメントは浜川崎からの分岐で、浅野町でした。

Googleローカルで確認すると、第一セメントの路線も廃止されているようです。

良く考えると青梅からの石灰石輸送が廃止されているので、ヤードも廃止が当然ですね
返信する
石油支線 (廃墟徒然草)
2005-12-19 02:11:24
▼GG-1さんへ



お返事おそくなりましたm(_ _)m



<米タン>というのは、

「米軍油槽施設用のタンク車」ということでしょうか?

そういえば駅近辺には沢山タンク車が停まっていました。

ただ石油支線に関しては、

もっぱら廃線部分をアップ予定なので、

タンク車は全然でてきません(汗)

やっぱり鉄ちゃんじゃないから、

ピカピカの車輌に反応しないんですね(^^;)



石油支線には駅も残っていますので、

おいおいアップしていきます。



また第一セメント専用線の他、

幾つも廃線になった支線があったみたいですね。

 

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