江戸時代、
玉川兄弟がたった7ヶ月で工事を完了した玉川上水は有名ですが、
開渠部分は四谷で終わり、その先は地下水道になって、
江戸市中を潤していました。
新宿四谷四丁目の交差点には、
今も暗渠になる前の水門の跡が「四谷大木戸」の碑として建っていますが、
水量が豊富だった玉川上水は、
その余った水を、この四谷からはけていたそうです。
そして、そのはけ水を流していた水路が、
今も新宿御苑の敷地沿いに、ひっそりと残っています。
四谷大木戸から少し南下した地点。→Mapion
▼

四谷大木戸方面をみた光景です。
新宿御苑の杜と隣のマンションの前庭の木々に覆われて、
昼でもかなり暗いながら、
あきらかに川筋の跡が残っています。
左側は新宿御苑の塀になってますが、
右側には古い石組が今も残っています。
少し南下すると、なんらかの石の遺構があります。
▼

おそらく水量調節のための堰板を差し込む遺構だと思いますが、
当時の遺構だとすると、
江戸時代からの劇的な変化を乗り越えて、
よく残ったものだと思います。
◆ 江戸探訪 其の壱 玉川上水余水路 ◆
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玉川兄弟がたった7ヶ月で工事を完了した玉川上水は有名ですが、
開渠部分は四谷で終わり、その先は地下水道になって、
江戸市中を潤していました。
新宿四谷四丁目の交差点には、
今も暗渠になる前の水門の跡が「四谷大木戸」の碑として建っていますが、
水量が豊富だった玉川上水は、
その余った水を、この四谷からはけていたそうです。
そして、そのはけ水を流していた水路が、
今も新宿御苑の敷地沿いに、ひっそりと残っています。
四谷大木戸から少し南下した地点。→Mapion
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四谷大木戸方面をみた光景です。
新宿御苑の杜と隣のマンションの前庭の木々に覆われて、
昼でもかなり暗いながら、
あきらかに川筋の跡が残っています。
左側は新宿御苑の塀になってますが、
右側には古い石組が今も残っています。
少し南下すると、なんらかの石の遺構があります。
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おそらく水量調節のための堰板を差し込む遺構だと思いますが、
当時の遺構だとすると、
江戸時代からの劇的な変化を乗り越えて、
よく残ったものだと思います。
◆ 江戸探訪 其の壱 玉川上水余水路 ◆
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軍艦島で検索してこちらにたどり着いたのですが、近所である四谷に、こんなところがあるなんて知りませんでした。
四谷にはいがいに古くからのものが残っています。
近々見てこようと思います。
仕事場が千駄ヶ谷なもので、御苑界隈まではよく散歩に行きます。
外苑西通り沿いのエンパイアコープの横からみえる暗渠がずっと気になっていて、
辿っていったらこんな物が残っていました。
画像は2年位前のものなので、もし見に行かれるのでしたら、
まだあるといいですね。
osh-norさんのblog、少し拝見しました。
四谷の情報がいっぱいありそうですね。
ゆっくり拝見して、活用させて頂きます。
ところで軍艦島にご興味がおありでしたら、
是非是非軍艦島オデッセイをご覧になってみてください。
www.gunnkanjima-odyssey.com