昨年のことですが、
仕事がらみで埼玉県の熊谷へ行く機会があり、
しかも早々に用件が終わってしまったので、
かねてから行きたいと想っていた吉見百穴へ脚を伸ばしました。
「吉見百穴」…その名前からして奇妙なこの遺跡は、
埼玉県のほぼ中央、比企郡吉見町にある、
古墳時代の墳墓跡。
江戸時代中期の文献にその名が残り、
明治時代には居住vs墳墓論争が繰り広げられたものの、
結局現在では墳墓説が定説になっているようです。
入場料を払って敷地に入ると、
いきなりそこかしこに穴の空いた、
巨大な蟻塚のような百穴遺跡が現れますが、
実際に見るとかなり大きく異様な光景でもあります。
穴の配列は西から東へ行くに従って整然とし、
また、上中下段で穴の空き方が違う様ですが、
それが時代によるものか、はたまた、
埋葬した人の身分とかと関係があるのは謎だそうです。
配置によっては、こういった顔の様に見える場所も。
穴の大きさは目分量で高さ約1m位です。
穴へ導く様な「羨道」を通って穴の中の玄室へと続いています。
玄室入口にはかつて「封鎖石」と呼ばれる石製の扉があり、
粘土で固定されていたそうです。
玄室には「棺座」と呼ばれる、
遺体を安置する場所を造り込んだものが多くあります。
棺座はけっこう大きく、
一族代々に渡って使うためのものだったようです。
棺座手前の床麺は出入口に向かって傾斜し、
内部に入り込んだ水を排水できる構造になっていた様です。
古墳時代の人々は、死後の世界を信じていた様です。
横穴の構造も、死者が出入りし易い様にとの配慮から。
そういう意味では、古代エジプトとかと同じですね。
幾つかの穴には「ヒカリゴケ」が生息しています。
太陽の光を反射して発光している様にみえるコケですが、
平地での生息は極めて珍しいようで、
天然記念物に指定されています。
後編へ続きます。
仕事がらみで埼玉県の熊谷へ行く機会があり、
しかも早々に用件が終わってしまったので、
かねてから行きたいと想っていた吉見百穴へ脚を伸ばしました。
「吉見百穴」…その名前からして奇妙なこの遺跡は、
埼玉県のほぼ中央、比企郡吉見町にある、
古墳時代の墳墓跡。
江戸時代中期の文献にその名が残り、
明治時代には居住vs墳墓論争が繰り広げられたものの、
結局現在では墳墓説が定説になっているようです。
入場料を払って敷地に入ると、
いきなりそこかしこに穴の空いた、
巨大な蟻塚のような百穴遺跡が現れますが、
実際に見るとかなり大きく異様な光景でもあります。
穴の配列は西から東へ行くに従って整然とし、
また、上中下段で穴の空き方が違う様ですが、
それが時代によるものか、はたまた、
埋葬した人の身分とかと関係があるのは謎だそうです。
配置によっては、こういった顔の様に見える場所も。
穴の大きさは目分量で高さ約1m位です。
穴へ導く様な「羨道」を通って穴の中の玄室へと続いています。
玄室入口にはかつて「封鎖石」と呼ばれる石製の扉があり、
粘土で固定されていたそうです。
玄室には「棺座」と呼ばれる、
遺体を安置する場所を造り込んだものが多くあります。
棺座はけっこう大きく、
一族代々に渡って使うためのものだったようです。
棺座手前の床麺は出入口に向かって傾斜し、
内部に入り込んだ水を排水できる構造になっていた様です。
古墳時代の人々は、死後の世界を信じていた様です。
横穴の構造も、死者が出入りし易い様にとの配慮から。
そういう意味では、古代エジプトとかと同じですね。
幾つかの穴には「ヒカリゴケ」が生息しています。
太陽の光を反射して発光している様にみえるコケですが、
平地での生息は極めて珍しいようで、
天然記念物に指定されています。
後編へ続きます。
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